【詳しく】袴田さん再審 検察改めて死刑求刑 弁護団は無罪主張

58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審=やり直しの裁判で、検察は改めて死刑を求刑しました。一方、弁護団は無罪を主張しました。

法廷での審理は22日ですべて終わり、判決は9月26日に言い渡されます。

17:40

姉 ひで子さんが弁護団と会見「この1年の方が尊い」

裁判のあと、袴田さんの姉のひで子さん(91)と弁護団が会見を開きました。

会見の冒頭、ひで子さんは、「本当にほっとしております。弁護士さんの反論はすばらしくよくて、これで勝ったようなものだと思っております。判決まではちょっと一服しようと思っております。みなさま長い間ありがとうございました」と述べました。

22日朝、浜松市の自宅を出発する際、袴田さんに「静岡には、もう1回行くだけでおしまいだよ」などと声をかけたということで、「『ああそう』と言っていました。たぶん、わかっていると思う。判決の9月26日になったら、わかるかわかりませんが、巌に説明しようと思っています」と話しました。

そして、「知らないうちに58年が過ぎてしまいました。この1年の方が尊いと思っています。大変長かった。死刑求刑は検察側の都合で言っていることだと思います。巌は無実ですから、判決は無罪だと思います」と期待を述べました。

弁護団の事務局長の小川秀世 弁護士は「5月に袴田さんの様子を見て、まさに妄想の世界でしか生きていないということを改めて感じ、ひどすぎると思った。死刑判決のえん罪というのは本当に回復しがたいダメージを与えてしまう。死刑制度自体、存続すべきでないと確信している」と述べました。

その上で判決に期待することとして、「強くはっきりと警察や検察による証拠のねつ造を認定してもらいたい。それしか無いと思っているし、立証はできていると思う」と述べました。

死刑求刑に検察幹部「自信もって犯人だと立証している」

一方で、検察幹部の1人は、「犯行の凶悪さ、被害の重大さ、そして、ご遺族の心情などを勘案して死刑を選択する以外にないと判断した。立証において自白調書は一切用いていない。5点の衣類を含めた証拠とそのほかの証拠から、自信をもって被告が犯人であると立証している」と話しました。

15:00ごろ

袴田さんはテレビは見ず

支援者によりますと、袴田さんは22日朝、テレビは見ず、出かける際に持ち歩くティッシュペーパーを折ったり、自宅で飼っている猫と過ごしたりしたということです。

そして、午後3時ごろ、支援者が運転する車で日課の散歩に出かけたということです。

再審 判決に向け大きな節目に

58年前の1966年に今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審は、去年10月から静岡地方裁判所で行われてきました。

11:00

審理で遺族の意見陳述「4人の命忘れないで」

審理は午前11時に始まり、法廷では、事件で亡くなった専務夫婦の孫にあたる男性の意見書を検察官が読み上げる形で遺族の意見陳述が行われ、「事件で尊い4人の命が奪われたことをどうか忘れないでほしい」と訴えました。

意見書の中で男性は、専務夫婦の長女である、自身の母親について触れ、事件のあと、計り知れない悲しみの中、重度の病気を患っていたと明かしました。

事件後の様子については、「何十年も毎日毎日自宅の仏壇の前で涙を流し、『さびしい。ひとりぼっちになっちゃった』と悲しみながら問いかける姿や、犯人に対する憎しみの思いからか、周りからは見ていられないほどつらそうな姿は、今でも忘れません。1日の大半がそのような過酷な状態でした」などとしています。

母親はテレビやインターネットなどで外部からの情報を得ることなく生活し、再審請求が行われたことも知らなかったということで、2014年の再審開始の決定を知ることなく病気で他界したということです。

一方、ネット上に今も、事実と異なり、根拠がなく、母親に対して悪意ある書き込みが多数あることに悩んでいるとして、「母親は、1度に家族4人を失った被害者であり、幸せな人生を奪われたことを強く訴えたい」と述べました。

そして、今回の再審について、「真実は決して変わること消えることなく、永遠に存在する。再審では重要な事実を再度、精査して真実を明らかにしてほしい」と訴えました。

弁護団によりますと、この事件の裁判で遺族の意見陳述が行われるのは初めてだということです。

検察の主張は

検察は、「証拠からは袴田さんが犯人であると認められ、犯行の結果は極めて重大だ」などとして、改めて死刑を求刑しました。

犯人について

検察は、「証拠を正しく評価すれば、犯人は当時みそ工場で働いていた袴田さんであり、金を得るために犯行に及んだ」と主張しました。▽現場から見つかった雨がっぱは工場の従業員のもので、ポケットには凶器とされるくり小刀のさやの部分が入っていたことや、▽被害者の家が焼けた際に工場にあった油が使われたとみられることなどから、「犯人は工場の関係者である」と述べました。

そして、「袴田さんは事件当日の夜、みそ工場の従業員寮に住んでいて、犯人の行動を取ることが可能だった。事件前の行動からは犯行動機があったと認められる」などと主張しました。

5点の衣類について

続いて事件の発生から1年2か月後にみそタンクから見つかった「5点の衣類」は、袴田さんが犯行時に着ていた衣類だと述べました。その理由として、▽5点の衣類の1つであるズボンの布の切れ端が袴田さんの実家で発見されたことや、▽みそ工場の従業員の証言から、事件前に袴田さんが着ていた衣類と特徴が合致することなどを挙げました。

そのうえで、「衣類が見つかったみそタンクは袴田さんの作業スペースだった」として、袴田さんが犯行後に衣類を隠したと述べました。

弁護側の「5点の衣類は捜査機関のねつ造だ」とする主張については「何ら合理的な根拠もなく、非現実的で実行不可能な空論だ」と反論しました。

最大の争点・赤みについて

裁判の最大の争点は、「5点の衣類」の血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかです。

弁護側は「1年以上みそに漬かっていたら血痕は黒く変色するはずで、赤みが残ることはない」と主張しています。

これについて、検察は、「みそタンクの中で、化学反応の速度や程度を決める条件がどのようなものだったのかは判然としない。弁護側の鑑定を行った専門家の説明では、なぜ『赤みが消失する』と断定できるのかが不明で、十分な根拠を伴っていない」と述べました。

そのうえで、「検察の実験では、1年以上たってからみそから取り出した血痕には赤みが残っていると確認できた。

みそタンク内の環境次第では、5点の衣類が1年あまりみそに入っていても赤みが残る可能性があることを示している」と主張しました。

求刑

検察は「被害者4人の将来を一瞬にして奪った犯行の結果は極めて重大だ。被害者には何の落ち度もない。冷酷で残忍な犯行で、生命軽視の態度は極めて顕著であり、強い非難に値する」と述べました。

静岡地裁は去年10月の初公判で袴田さんについて「自己の置かれている状況を認識できず、意思疎通ができない状況で『心神喪失』の状態にある」と判断し、出廷を免除することを認めています。

この点については、「33年あまり死刑囚として身柄を拘束され、現在、訴訟能力の観点から『心神喪失』と認定されているが、被害者が無残に殺害された事件であり、身体拘束の事情は刑の重さを何ら変更させるものではない」と主張しました。

そして最後に、「罪責は誠に重大だ」として、死刑を求刑しました。

弁護団の主張は

一方、弁護団は、最終弁論の冒頭で、袴田さんが過去に家族に宛てた手紙や日記などで繰り返し無実を訴えてきたと述べ、「われわれは巌さんに真の自由を与えるため、全身全霊をかけて最終弁論を行う」と宣言しました。

最大の争点・血痕の赤み

弁護団はまず、再審での最大の争点となった、「5点の衣類」に付いていた血痕の赤みについて、「専門家による鑑定などで、1年以上みそに漬けられた血痕に赤みが残ることはないことが明らかになった」として、「発見された衣類の血痕に赤みが残っていたことは極めて不自然であり、衣類は1年以上みそ漬けにされていたものではない」と述べました。

また、「検察側の専門家による共同鑑定書や証言は血痕に赤みが残る抽象的な可能性を指摘しているに過ぎず科学的な反証になってない」としたうえで、「検察官は完全に立証に失敗している。有罪の立証に踏みきり、裁判を長期化させた検察の判断は厳しく批判されなければならない」と強調しました。

そのうえで、「衣類は発見される少し前に隠されたのであり、拘束されていた巌さんが隠すことは不可能だ。捜査機関が巌さんを有罪にするために隠したとしか考えられない」として、証拠がねつ造されたと改めて主張しました。

取り調べの録音テープ

検察から証拠開示された取り調べの録音テープについては、「捜査機関がみそ工場の従業員だった巌さんに目をつけ長時間の取り調べを続けて自白を強要したことが、白日の下にさらされた。まさに巌さんは犯人に仕立て上げられた」と訴えました。

「複数犯の事件」と反論

犯人は1人で、金を奪う目的で行ったという検察の主張について、「実際の事件とはまったく異なり犯行の動機は怨恨だった。犯行時間帯は夜だったが被害者4人が全員起きていて、犯人が複数犯だったことは間違いない」と主張しました。

無罪主張

終盤で弁護団は「もう一度、この場で確認します。袴田巌さんは無罪です」と述べました。

そして、「捜査機関が証拠をねつ造した結果、巌さんが4人を殺害した犯人とされてしまった。誤って死刑囚にされることは国家の重大な犯罪行為で、巌さんの58年の人生を完全に奪ってしまった」と述べ、検察に対し、直ちに袴田さんに謝罪するよう求めました。

また、裁判所に対しては、「世界中の目がこの裁判に向けられています。日本の裁判所がどのように正義を実現するか注目されている。この裁判で明らかになった捜査機関の不正や違法な行為をはっきりと認定していただきたい」と求めました。

そして最後に、「この事件が『間違った』原因の調査と、繰り返さないための対策、さらに、速やかに間違いを改めることができる方策を早期に実現しなければならない」と訴えました。

姉のひで子さん「弟 巌を人間らしく過ごさせて」

そして最後に、再審での出廷が免除された袴田さんに代わって、姉のひで子さん(91)が意見を述べました。

ひで子さんは、まず、袴田さんが逮捕されたあと母親に宛てた手紙の内容を引用し、「けさ方、母さんの夢を見ました。夢のように元気でおられたらうれしいですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね」と読み上げました。

その上で、「巌は47年7か月、投獄されておりました。獄中にいるときは、辛いとか悲しいとか一切口にしませんでした。釈放されて10年たちますが、いまだ拘禁症の後遺症と言いますか、妄想の世界におります。釈放後、多少は回復していると思いますが、心は癒えておりません」と述べました。

また、みずからについても、「私も一時期夜も眠れなかったときがありました。夜中に目が覚めて巌のことばかり考えて眠れないので、お酒を飲むようになり、アルコール依存症のようになりました。今はというより、ずいぶん前に回復しております」と述べました。

そして最後に、「58年闘ってまいりました。私も91歳、弟は88歳でございます。余命いくばくもない人生かと思いますが、弟 巌を人間らしく過ごさせてくださいますようお願い申し上げます」と締めくくりました。

証言台の前に立ったひで子さんは、法廷の外まで聞こえるほどしっかりとした声で用意した紙を読み上げ、最後は声を震わせながら思いを訴えていました。

法廷での審理は22日ですべて終わり、判決は9月26日に言い渡されます。

8:40ごろ

ひで子さん地裁へ出発「巌に代わり申し上げる」

袴田巌さん(88)と一緒に暮らしている姉のひで子さん(91)は、午前8時40分ごろに浜松市内の自宅を出て支援者の車に乗り込み、静岡地方裁判所に向けて出発しました。

出発する前に報道陣の取材に応じ、審理に臨む心境を問われると「平常心でございます。裁判にも慣れたようで普通でございます」と述べました。また、これまでの審理を振り返り、「58年闘っていますが、この1年は実際に動いているのでいちばん長く感じました」と述べました。

意見陳述に、袴田さんがかつて家族に宛てた手紙の内容を盛り込むことにしていて、「巌は今は話はできないから、巌に代わって、巌の言いたいことを申し上げるつもりです」と話しました。

けさ、袴田さんとやりとりをしたということで、「巌には裁判とは言わずに、『静岡に行くのはきょうでおしまいだからね、夕方に帰ってくるね』と伝えたら、『ああそう』といっていた。たぶん察してはいると思うけれどね」と話していました。

およそ30年にわたって支援活動を続けている山崎俊樹さんは、22日、裁判所の前で集会を開きました。

血痕の付いた衣類をみそに漬ける実験を重ねてきた山崎さんは「再審開始にあたって私たちの実験を証拠として評価してもらえたという意味では、大きな役割を果たせたのではないか」と話しました。

また姉のひで子さんが法廷で意見を述べることについては「袴田さんは手紙の中で、一貫して無実を訴えていた。その思いがきょうの法廷で伝わることを願っています」と話していました。

8:30ごろ

朝から傍聴の希望者の列 倍率は約8.6倍

静岡地方裁判所によりますと、26の傍聴席に対し傍聴を希望した人はおよそ8.6倍の224人でした。

裁判所では午前8時半ごろから傍聴を希望する人たちが列を作りました。

両親がかつて、袴田さんの裁判で検察側の証人として証言したという高橋國明さんは、再審を傍聴しようと自宅のある群馬県から毎回訪れています。

高橋さんは「両親は晩年、みずからの証言が袴田さんの有罪につながったのではないかと気に病むような思いでいました。その思いを背負ってしっかりと裁判を見届け、袴田さんの完全無罪を墓前に報告したい」と涙ながらに話しました。

22日で審理が終わることについては、「そもそも死刑が求刑できるのかと弁護団は主張している。検察側から袴田さんに対して無罪を求刑してもらいたい」と話していました。

また、事件が起こった静岡市清水区に住む50代の女性は、「小さい頃から事件については気になっていましたが、何十年たった今もまだ裁判が終わっていないことに驚き、自分の目で真実を確かめたいと思い、裁判所に来ました。人生で、これだけ長い時間拘束されているので、検察には死刑を求刑することは本当に正しいことなのか考えてもらいたい」と話していました。

最大の争点 “衣類の血痕に赤みが不自然か”

最大の争点は「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかです。

「5点の衣類」は、事件の発生から1年2か月後の、すでに裁判も始まっていた時期に現場近くのみそタンクから見つかった血のついたシャツやステテコなどで、死刑が確定した判決では袴田さんが犯行当時着ていたものだとして、有罪の決め手とされました。

当時の捜査資料では、血痕について「濃い赤色」などと記されていました。

これについて再審請求の審理で弁護団は「1年以上みそに漬かっていたら血痕は黒く変色するはずで、赤みがあるのは発見される直前に袴田さん以外の誰かが入れたものだからだ」と主張。

争点は血痕の色の変化に絞られ、弁護団が鑑定を依頼した法医学の専門家は「血液がみその成分にさらされると黒く変色する化学反応が進み、1年2か月の間、みそに漬けた場合、赤みが残ることはない」と結論づけました。

去年3月、東京高等裁判所は弁護側の専門家の鑑定結果などを踏まえ、「1年以上、みそに漬けられると血痕の赤みが消えることは化学的に推測できる」と指摘し、捜査機関が衣類をねつ造した可能性が極めて高いとして、再審を認めました。

そして、去年10月から静岡地方裁判所で始まった再審でも、再び血痕の色について争われてきました。

検察は再審での新たな証拠として、法医学者7人による「共同鑑定書」を提出し、「長期間、みそに漬けられた血痕に赤みが残る可能性は認められる」と主張しています。

一方、弁護団は鑑定を依頼した専門家による意見書を新たに提出し、「検察側の専門家の主張を踏まえても、血痕に赤みが残らないという結論は揺らがない」と反論しています。

検察側の専門家 “弁護側の鑑定に異論ない”

最大の争点となっている血痕の色の変化をめぐっては、ことし3月の審理で検察と弁護団の双方が申請した専門家の証人尋問が行われました。

このうち検察の要請を受けて法廷で証言した専門家の1人、日本法医学会の元理事長、池田典昭さんがNHKの取材に応じ、争点に対するみずからの見解を語りました。

池田さんは証人尋問で弁護側の専門家の鑑定について「異論はない」とした上で、「おそらくほとんどの法医学者が1年以上みそ漬けされた血痕に普通、赤みは残らないと思っている。誰が考えても常識だ」と証言しました。

この証言について池田さんはインタビューで「弁護側の専門家の実験自体は文句のつけようがないと思う」と述べ、一般的に赤みが残らない可能性については「95%ぐらいだと思う。そういうレベルの議論だ」と話しました。

一方で、池田さんは、弁護側の専門家の鑑定は血痕が黒くなる化学反応を妨げる要因の検討が不十分だとして、「赤みが残らないとは断定できない」という見解を示しました。

ただ、みそタンクの中で衣類がどのような環境に置かれていたのかなど、わかっていないことが多く、科学的な証明には限界もあるとして、「なんとも言えないというのが結論だと私は思った」と述べました。

弁護団側の専門家「赤み残らない 断定できる」

一方、弁護団の要請を受けて法廷で証言した専門家は血痕を1年以上みそに漬けた場合、「赤みが残らないと断定できる」という見解を示しています。

弁護団からの要請を受けて、「5点の衣類」についた血痕の赤みについての鑑定を行った旭川医科大学の奥田勝博助教は再審の法廷で弁護側の証人として証言しました。

検察側の専門家が弁護側の鑑定結果について「異論はない」などと証言したことについて、奥田助教は「発言を聞いた時は正直驚いた」と述べました。

その上で、検察側の専門家が「赤みが残らないとは断定できない」という見解を示していることについて、奥田助教は「みそに漬けた期間が数日とか数週間であれば断定はできないかもしれないが、1年2か月という期間は時間の単位が違いすぎるので、黒くなる化学反応を妨げる要因を考慮する必要はない。赤みが残らないと断定できる」と反論しました。

姉 ひで子さん「無実だと最初から手紙に」

袴田巌さん(88)の姉のひで子さん(91)は、袴田さんが逮捕されて以来、無実を信じて半世紀以上にわたり支え続けてきました。

袴田さんは2014年に釈放が認められ、48年ぶりにひで子さんのもとに帰ってきましたが、死刑への恐怖のもとで長期間収容された影響で、十分な会話ができない状態になっていました。

それから10年たった今も、意思の疎通が難しい状態が続いている袴田さんは再審での出廷が免除され、ひで子さんは補佐人としてこれまですべての審理に臨んできました。

去年10月の初公判でひで子さんは証言台の前に立って無罪を主張し、「弟の巌に真の自由を与えてくださいますようお願い申し上げます」と述べました。

22日に行われる審理の最後に、ひで子さんは再び法廷で意見を述べる予定です。

意見陳述を前にひで子さんは袴田さんが逮捕された後、毎日のように家族のもとに送っていた手紙を読み返していました。

逮捕された翌年の1967年に母親に宛てた手紙には、「僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。ここ静岡の風に乗って世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ」などと、無実の訴えがつづられています。

ひで子さんは手紙の内容を抜粋して、弟の思いを裁判官に伝えたいとしています。

そして、1日も早く袴田さんを「死刑囚」という立場から解放してあげたいと願っています。

ひで子さんは「私の意見というより巌の意見を言いたい。巌はいま、自分の意見を言えないが、無実だということは最初からずっと手紙に書いていた。これが巌の本心であるということ、真実であるということをわかってもらいたい」と話していました。

再審 40年以上たって実現 なぜ?

袴田巌さんの再審は、申し立てから40年以上たって実現しました。

再審に至るまでに長い時間がかかったことを受け、ことし3月には再審に関する法律や手続きを見直そうと、超党派の国会議員による議員連盟が発足しました。

再審の制度は通常の刑事裁判とは違って審理の進め方や証拠開示のルールが具体的に定められておらず、再審請求の審理が長期化する要因になっているとの指摘があります。

議員連盟のヒアリングで最高裁判所の担当者は「証拠開示で時間がかかることもある」などと話しました。

法務省の担当者は有識者などでつくる協議会が再審での証拠開示についても議論しているとした上で、「個々の事案の内容、証拠の量などさまざまな事情が積み重なっているので、何が長期化の原因になっているかを一概に評価するのは難しい」などと述べました。

一方、小泉法務大臣は4月の衆議院予算委員会で再審の制度の運用について「審理期間がたくさん伸びて、非常に長い期間かかっている事例があるのは事実だ。どうしてそういうことになったのか突き詰めて分析・検討し、原因を究明して対応していくことは今、取り組んでいるところだ」と述べています。