定着率90%超 障害のある人が“辞めない”異例のオフィスとは

定着率90%超 障害のある人が“辞めない”異例のオフィスとは
春といえば就職や転職などで新しい職場、環境に入っていくという人も多いのではないでしょうか。しかし、対人関係が苦手で不安を抱えやすいなどの精神障害がある人たちにとって、新しい環境で働くハードルは高くなりがちです。

そんな人たちを受け止めるユニークなオフィスが大阪・梅田にあります。

さまざまな企業に障害者雇用で採用された人たちが1か所に集まるコワーキングオフィスで、「サポーター」と呼ばれる見守り役が常駐しているのが特徴です。利用者の90%以上が1年後も働き続けているという異例の実績をあげています。

取材すると、さまざまな支えが安心につながっていることが見えてきました。

(大阪放送局 ディレクター 泉谷圭保)

サポーターが常駐 その効果は?

コワーキングオフィスがあるのは大阪・梅田の駅に直結するビルの一室です。

「おはようございます!」

9時半過ぎに訪ねると、早速、2人の「サポーター」が目を見てあいさつをしてくれました。
オフィスは一見すると、自習室のようなつくりで、ひとりずつ座る席が仕切られています。

すぐに気がついたのは、電話が1つもないこと。
電話は予期しないタイミングで相手と話さないといけないという状況が緊張やストレスにつながる人もいることから、置いてありません。

利用者たちは、室内のロッカーからパソコンを出して机に座るとそれぞれの仕事に取りかかります。私語をする人は皆無で、聞こえるかどうかくらいの音量でジャズが流れています。

それに慣れたころでした。
「キーンコーンカーンコーン♪」
学校さながらにチャイムが鳴りました。

利用者たちが仕事に集中しすぎて疲れてしまわないように、ペース配分を促そうと、50分ごとに10分の休憩時間を知らせる合図だそうです。

画面に向かっていた利用者たちはおもむろにのびをしたり、お茶を飲んだりし始めます。
室内には、壁を高くして周りの音を遮りやすいように工夫を施したソファーもあります。
利用者は周りの目を気にせず、目を閉じて体の力を抜き、つかの間の休息をとれます。自分のペースを守りながら働けるようにと置かれていて、集中すると疲れやすい傾向の人などに好評だそうです。

「リラックスして頭をリフレッシュできます」
コワーキングオフィスの利用者は20代から50代の36人。全員、障害者手帳を持ち、障害者雇用でそれぞれ別の民間企業に採用された人たちが集まっています。

売り上げのデータや、領収書のインボイス番号の入力、紙データのPDF化など、幅広い事務作業を担っています。
最大の特徴が「サポーター」と呼ばれる“見守り役”が常駐していることです。ソーシャルワーカーなどの経験がある人もいます。利用者と直接の雇用関係はなく、利用者の不安を取り除く役割に徹しています。

サポーターのひとり、森野広昭さん。
こまめな声かけを大切にしています。
森野広昭さん
「そろそろ疲れてきた時間帯?」
利用者
「休憩も自分で入れているんで大丈夫です」
サポーター 森野広昭さん
「日々のちょっとしたやりとりを通じて皆さんが安定して働けるようにするのが私の仕事です」

“助走”期間のオフィスを

このコワーキングオフィスを立ち上げた、大阪に本社がある人材サービス会社です。

精神障害のある人の就労をサポートしてきましたが、一般企業への就職のハードルが高く、採用されても働き続けることが難しい実態に直面してきました。
独立行政法人障害者職業総合センターが2017年4月に発表した調査では、障害のある人が一般企業に就職して1年後も働き続けている割合は、精神障害のある人が49.3%、身体障害がある人が60.8%、知的障害がある人が68%、発達障害のある人が71.5%となっています。

精神障害のある人たちの2人に1人は1年以内に辞めていて、働く側にとっても、企業側にとっても、職場にいかに定着できるかは大きな課題です。

そこでこの会社は、精神障害のある人たちが採用されて、いきなり企業の職場に入るのではなく、その前に、サポート態勢の整った「助走期間」を過ごせるオフィスを考案しました。
人材サービス会社 ディンプル 吉村有加さん
「障害者手帳が精神の手帳っていうだけで、採用を見送られる方もいらっしゃいます。働きやすい状況さえできていれば活躍できると思います」
さらに、利用者の「助走期間」後の未来予想図もきちんと描くことにもこだわりました。

助走の後は、利用者がスキルアップしながら採用された企業の職場などに移ることも想定。それぞれにあった形で利用者がスキルアップしながら働き続けられるように長期的な伴走を続けているのです。

こうした手厚い支援が功を奏し、このオフィスで働き始めた人の93.9%が、1年後も働き続けるという異例の実績をあげています。

“いずれ社内に迎えたい”

事業を始めて2年。全国から問い合わせが来るようになりました。
福岡に本社がある大手企業では、おととしからこのコワーキングオフィスを利用しています。適切なサポートを受けた社員たちは実力を発揮しているといいます。
オフィスを利用している企業の部長
「コワーキングオフィスで働く社員たちを高く評価しています。データ入力であれば入力ミスが極端に少ないです。スキルアップしながらずっと働いていただききたいですし、態勢を整えていずれ社内にも迎えたいです」

“見守り”によって働けるように

利用者のひとり木村さん(30)。
大手企業の契約社員として採用され、このオフィスに通うことで、新たな一歩を踏み出せたといいます。
木村さんがいま任されているのは障害のある人向けの業務マニュアル作り。
「曖昧な説明や指示」はストレスになるため、何をどの順番でするのかを写真とともに明示することなど、誰もがスムーズに業務に当たれる手順を、自分の経験も踏まえて作成しています。
木村さん
「大切なのは何を求められているかがはっきりとわかることだと思います。あいまいな表現は混乱のもとなので、使わないように気をつけています」
もともと緊張しやすいという木村さん。大学時代、就職活動に行き詰まり社交不安障害と診断されました。その後、障害者雇用で大手企業に採用されたものの、初対面の人と話す不安は抱えたままでした。そうしたときに支えてくれたのがコワーキングオフィスのサポーターや仲間たちです。
木村さん
「ここはありのままの自分を理解して、受け入れてくださったから安心することができたました。自分以外にもいろんなことを乗り越えようとしている人たちと出会うこともでき、『自分だけじゃないんだ』と思うことができました。ここの存在がなかったら正直、いま働けているか。ちょっと難しかったんじゃないかなと思います」

業務日誌は交換日記スタイル

特に支えになったのがサポーターと毎日交換する業務日誌です。自分の気持ちを受け止めてもらえることが安心材料になったといいます。
木村さんの日誌
「(上司への)質問のタイミングがとりづらい」
サポーターの返信
「あらかじめ誰に聞けばよいか聞いておくのも手ですね」

木村さんの日誌
「(後輩の指導で)内心ドキドキ」
サポーターの返信
「内心は他人に見えないので堂々としていたら良いですよ」
入社したときは、まだ不安が強かったという木村さん。
就職して1年。

先輩として新たに入った社員に業務を教えるようになりました。
分かりやすいよう、ゆっくりと丁寧に説明します。
そして、業務が完了したと報告を受けた木村さんは笑顔で「OK」と一言。

それを見た新入社員も安心した表情を見せていました。

“定着”には関係者が連携した支援を

日本精神障害者リハビリテーション学会の前会長で精神科医の池淵恵美さんは、精神障害者が職場に定着するためには、関係者が連携して支援することが大切だと指摘しています。
「精神障害は見えない障害で、社会生活を送る上で苦手なことや困難を感じる内容も人それぞれ違います。しかし、精神障害がある人たちは、環境さえ整っていれば働きたいと考えている場合がほとんどだと感じています。同僚や上司ができるだけその人のよいところを発見し、みんなの前で伝えるなどしていくことが大きな力になります。職場、就労支援、医療、生活支援など、支援者が分野別に縦割りでバラバラに本人に関わるのではなく、顔の見える関係を作ってノウハウなどを情報交換しながら共に支える態勢を構築していく姿勢が有効だと言えます」

取材後記

新しい環境や人間関係は誰にとっても最初が一番ハードルが高いと思います。だからこそ、このコワーキングオフィスのような長い目で見たサポートが広がって欲しいと感じました。それを体感した人たちがバトンのように、次は誰かを支える側に回っていく姿が印象に残りました。
取材の最後の日、最寄り駅から一緒にオフィスまで歩きながら、木村さんはようやくキャリアを踏み出せたと感じていると話してくれました。
木村さん
「こんな日が来るなんて、1年前は想像も出来なかったです。ちょっと一歩前進できたかもしれない。多くの人たちの支えのお陰で、『世の中にはいろんな人がいて、いろんな気持ちで頑張っている。ひとりじゃないんだ』と思えるようになりました。コワーキングオフィスで出会った人たちは大事な仲間。誰かの役に立てていると思うとうれしいし、これからも成長していきたいと思います」
大阪放送局 ディレクター
泉谷 圭保
平成12年入局
子育てや教育、障害者の雇用問題などを取材