輪島高校を訪れたのは、ユーチューブでも演奏を配信している、ピアニストの「チカコシュカ」さんで、ほかのピアニストとともに地震の被災地で演奏会を開いてきました。
輪島高校の玄関ホールにあるピアノは、もともと「朝市通り」に近い住宅にあり、大規模な火災で周囲が延焼する中、被害を免れました。
輪島高校は当初から避難所でもあり、ピアノを所有している校長が、誰でも自由に弾けるようにと、玄関ホールに設置しました。
7日の演奏会は昼休みに行われ、映画音楽などが流れると、生徒たちがしだいに集まり、好きな曲をリクエストして一緒に歌ったり、ピアノを弾ける生徒が「チカコシュカ」さんと校歌を連弾したりしていました。
今も避難所で過ごしているという高校2年の男子生徒は、「避難所ではあまり大きな音を出せず、小さな音で聞いたりイヤホンを使ったりするので、きょうは感動しました」と話していました。
別の高校2年の男子生徒は「わくわくするというか、前向きな気持ちになります。音楽って欠かせないものなんだなと思いました」と話していました。
石川 輪島 朝市通りで火災免れたピアノをピアニストが演奏
能登半島地震で大規模な火災が起きた石川県輪島市の朝市通りで焼け残ったピアノが、輪島高校の玄関に設置されています。被災地で演奏会を開いてきたピアニストが、7日、高校を訪れ、このピアノで生徒たちに生の音楽を届けました。
チカコシュカさんは「生き抜く強さをこのピアノは持っている。皆の強さを感じ、逆に元気づけられました」と話していました。
輪島漆芸技術研修所 約2か月遅れ金沢で卒業式 作品展も
石川県を代表する伝統工芸「輪島塗」の技術などを学ぶ、輪島市の県立輪島漆芸技術研修所は、地震で建物が被害を受け、研修生たちは受け入れ先となった県内外の施設で研修を続け、5月7日、例年より2か月ほど遅れて卒業を迎えました。
会場となった金沢市の「しいのき迎賓館」には、漆芸の技術を学んできた20歳から42歳までの卒業生14人が集まりました。
式では卒業生を代表して蒔絵科の日野勇輝さんが「ここに立てたことを当たり前に思うことなく、それぞれの道に進んでいきたいと思います」と決意を述べました。
式が行われた「しいのき迎賓館」では、卒業生たちが避難を続けながら制作した蒔絵の箱や器などの作品34点が、7日から展示されています。
卒業生の日野さんは「一緒に学んできた仲間たちと無事に卒業式を迎えることができてうれしいです。漆芸の産地である輪島も大きな被害を受けましたが、自分たち若い世代が盛り上げていけるよう頑張っていきたい」と話していました。
卒業作品の展示は5月12日まで金沢市の「しいのき迎賓館」で行われています。
被災地で手放さざるをえなくなった人形 金沢の神社で供養
能登半島地震で被災した人が手放さざるをえなくなった、ひな人形などが、人形の供養を行っている金沢市の神社に持ち込まれています。
金沢市の安江住吉神社では、20年ほど前から人形の供養を受け付けていて、ことしは能登半島地震で被災した人からも届けられています。
7日は、大型連休中に内灘町から持ち込まれたひな人形や、志賀町から持ち込まれた日本人形などの「おたきあげ」が行われ、宮司が見守る中、総代たちが人形を火の中に入れていきました。
この神社にことし持ち込まれた人形のうち、およそ4分の1が能登半島地震の被災地からのもので、家が倒壊したり人形を入れたガラスケースが割れたりしたため、持ち主が保管をあきらめるケースもあったということです。
安江住吉神社の菅野佐登志宮司は「能登の人たちは人形をとても大切にしていると感じます。その思いに少しでも応えることができるよう、気持ちを込めて供養していきたい」と話していました。
能登町の酒造会社 酒米を岩手で仕込み 6月に出荷へ
石川県能登町にある「数馬酒造」は、能登半島地震で酒造りが一時できなくなり、地元の農家から仕入れた能登産の酒米を使い切ることが難しくなりました。
こうした中、東日本大震災で岩手県大槌町にあった蔵が全壊し、2年後、盛岡市で新たな蔵を再建した「赤武酒造」が、数馬酒造から酒米1500キロを預かり、4月下旬から仕込みを行っていました。
7日は、数馬酒造の数馬嘉一郎社長が赤武酒造を訪れ、従業員とともに、能登産の酒米をほぐして、こうじ菌を育てる作業などを行いました。
作業を終えた数馬社長が、酒蔵の復活のため必要なことを尋ねると、赤武酒造の古舘秀峰社長は「自分自身が笑顔で前向きに取り組み、積極的に周囲を頼って販路を広げていくことが大切です」と答えていました。
数馬社長は「勇気をもらいました。おいしい日本酒を届けられるよう頑張っていきたい」と話していました。
能登産の酒米を使った日本酒は、6月中旬におよそ4000本が出荷されるということです。