関根勤さん 娘・麻里さんに伝えた「逃げてもいいんだよ」

タレントの関根勤さん。
民放の昼のバラエティー番組に、およそ30年にわたってレギュラー出演していました。しかし、当初は順風満帆とは言えず、「逃げたい」と思うこともあったそうです。工夫をする生き方で、その「逃げたい」気持ちを解決してきた関根さん。家庭では、娘の関根麻里さんに「逃げてもいいんだよ」と諭したといいます。本当に逃げてもいいんでしょうか?
(聞き手:守本奈実アナウンサー、取材:新井信宏アナウンサー)

「お昼休みはウキウキ~」ではなかった!?

(関根さん)
若いときは「結果を残さなきゃいけない」とか、「目立たなきゃいけない」とか、大変なこともありました。
僕の中でいちばん難しかったのは、32歳のときに『笑っていいとも!』のレギュラーになったときなんですよ。僕は男性にウケる笑いしかやってこなかったんですよ、ずっと。でも、『笑っていいとも!』に行きましたら、9割5分、若い女性なんですよ。どうしていいかわからない。えー、この人たちをどうやって笑わせたらいいんだろう…。キャリア11年あるのに…。僕が例えば、起承転結で話そうとしますよね。「起→承→転」まで話して、「結」に入る前に、客席から「浜ちゃーん!」と。レギュラーが一緒だったダウンタウンのファンから。「あ、ちょっと、オチ…。あー、興味ないんだ、俺のこと」と。
(守本)
最後までやれない?
(関根さん)
そう。だから、次からは「起→結」でしゃべっていました。若い人、待てないんですよ。女性のファンは、草なぎ剛くんだったり、中居正広くんだったり、香取慎吾くんだったり、目当てがもう決まっちゃっているから、ダウンタウンも人気ありましたから。だから、僕に注目してこないわけですよ。そこでどうしたらいいのかという…。もう違和感。毎週、違和感。
※「草なぎ剛」さんの「なぎ」は、「弓へん」に「剪」

(関根さん)
だからもう、我慢して我慢して。なんとか、なんとか解決していこうと。
(守本)
我慢と言いつつ、ずっとカメラを向けられて何か求められているわけですよね?
(関根さん)
今思い出すと、どうやって乗り越えたかっていうと、スタジオにいる人たちは、たまたま20代前半のファンの人が来ていると。この人は笑わなくても、テレビの向こう、カメラの向こうには10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、100歳までいますから。その人たちを笑わそうと、切り替えましたね。だから、もう現場無視(笑)。現場はウケなくてもいい。カメラの向こうの誰かが笑っているというのを想像しながら。要は、どうしたら現場に慣れるんだろうと。でも、なかなか慣れないんですよ。ここから逃げたいなと思ったんですよ。逃げるにはどうしたらいいんだ?そうだ!テレビの中に逃げてしまえって感じ。
(守本)
こう行ってつらかったら、このまま行くんじゃなくて、ちょっとずらしてみる?
(関根さん)
目線を変えたり、行動を変えたりして。下から、上から、斜めから。そうやって工夫をして生きてきたっていう感じですよね。

逃げる道もあることを忘れないで

関根勤さんと麻里さん(当時6歳)

(守本)
逃げ道があると思えることも大事ということですか?
(関根さん)
そうです。僕ね、娘の麻里にも言ったんですよ、小学校4年くらいのときに。「いじめられて親に言わない子が多い」と。「親に言わなくて、追いつめられて命を亡くしてしまう。そんな悲しいことはお父さん、嫌だ」と。だから、「苦しいときは絶対、お父さん、お母さんに言ってくれ」と。「われわれはいろんな経験しているから、いろんな解決策があるから、必ず相談してほしい」と。「私はあなたのために死ねるんだから」と言いました。そうやって親が子どもに、大事なときは逃げるとか相談するとかいうことを、小さいころから言っておいたほうがいいなと僕は思ったんですよ。
(守本)
麻里さんにも逃げ道をつくったということですか?
(関根さん)
そうです。やっぱり、お母さんにいい顔したいでしょ、子どもって?
(守本)
はい。
(関根さん)
勉強頑張っていたんですよ、すごく。いい成績だったんですよ。ところが、僕は老婆心で、無理しているんじゃないかなと。(高校のときに自称「赤点の自転車操業」だったという)僕の遺伝子を半分持った子だから。
麻里が大学に行きまして、アメリカから電話かかってきました。「レポート書けない。消えてしまいたい」と。「ここだ!」と思ったんですよ、私の出番。「麻里、優等生の仮面を脱いだっていいんだよ。赤点取っていいんだよ」と。そうしたら麻里から、「お前と一緒にするな」と言われた…。「おお、そうか。元気だな。じゃあ、いいな」と言って。
(守本)
逃げ道つくろうと思ったのに(笑)
(関根さん)
ただ「大変だね」って言って共感してくれれば、それでいいって。それを「なんかアドバイスして」と(笑)

「理想のお父さん」も、関根さんの一つの顔になっていきました。
しかし、こうした関根勤像とは別に、自分らしい芸を追求できる場所も大切にしたいと言います。

「ウラ関根」も、「オモテ関根」も。

(関根さん)
「カンコンキンシアター」という舞台公演を毎年やっていますけど、誰もやらないようなことばっかりやっています。僕の本当にやりたいことは、やっぱり、ここなんですよ。
だから、コンプライアンスとかいろいろあるんですけど、これで毎週、コントをこのテイストでできたらなと、それで視聴率が良ければなっていうのが理想です。でも、それは不可能です(笑)

(守本)
本当はこういう芸をやりたいけれども、ここではこうだと演じ分けてらっしゃるんですか?
(関根さん)
そうです。人間っていろんな角度があるじゃないですか。その角度を変えているだけですね。
(守本)
疲れませんか?
(関根さん)
いや、疲れないです。自分の一部を見せているだけだから。そこに合わせている自分がいるっていう。なんていうんですかね、気持ちいいですよね。「俺、合わせられている、今」。この切り替えること、これがプロフェッショナルだと思っているんですよ。自分の好きなことを前面に押し出すだけじゃなくて、その番組の視聴者に合わせる。
(守本)
へぇー。
(関根さん)
生きのびるためには、「家庭的な優しいお父さん」というのを見せていかなきゃいけなかった。でも、本当はそれを見せたくないんですよね。本当は「マニアックな関根」を見せたい。だから、例えば、僕が人生終わったあとにも、「あの人、訳わからなかったな。どういう人だったんだろう」というのが理想なんですけども、一応、生き残るために「妻思い、子ども思い、孫思いの優しいおじいさん」というの、これは戦略ですけどね(笑)。まあ、戦略だけど、うそじゃないから。
(守本)
そうですよね?
(関根さん)
僕のでっかい一面だから。オモテ(「家庭的な優しいお父さん」)もバーンと、ウラ(「マニアックな関根」)もバーンと。