戦闘続くスーダン 武力衝突から1年 避難生活送る人は

国連によりますとスーダンでは4月26日現在少なくとも870万人が住む場所を追われて国内外での避難生活を余儀なくされています。
隣国のエジプトには50万人が身を寄せていますが、戦闘が続く中、スーダンへの帰国を諦める人がいる一方、危険を承知で帰国を決める人も出てきています。

エジプトに逃れたモダッセルさん “当面スーダンに戻らない”

首都カイロ近郊で避難生活を続けるモダッセル・フセインさん(28)は、去年12月、62歳の母親と24歳の妹を連れて首都ハルツーム近郊からエジプトに逃れてきました。

いまは、同じく戦闘を逃れて避難してきたスーダン人が開いた喫茶店で働いていて、わずかな給料を得て暮らしています。

状況が落ち着けばスーダンに戻りたいと考えていましたが、ハルツーム近郊の自宅は破壊され、家財道具もすべて持ち去られたということで帰る場所はありません。

モダッセルさんは現地では今も戦闘が続いているとして「教育も医療も何もない。スーダンには通りには死体が散乱している。もう何も残されていない」と話し、当面、スーダンに戻らないことを決めたといいます。

帰国決めたマリアムさん “安全ではなくても戻るしかない”

一方、危険を承知で帰国を決めたという人もいます。

マリアム・アワドさん(32)はハルツーム近郊で暮らしていましたが去年10月、戦闘が激化し、子どもたちの安全を確保できないとして5歳から10歳の3人の子どもを連れてエジプトに逃れました。

もともとエジプトで暮らしていた姉夫婦の狭いアパートの部屋を間借りし、6畳ほどの部屋に4人で暮らしています。スーダンでは小学校の教師として働きながら子どもを育てていましたが、エジプトでは仕事を見つけることもできず、生計は姉夫婦に頼るしかありません。

ただ、姉夫婦の収入もわずかで、支援を願い出ようとNGOなどに電話してもつながらず、支援も受けられないなか、暮らしは厳しさを増す一方です。

子どもたちを学校に通わせて教育も受けさせることもできず、ただ、耐えるだけの日々に、マリアムさんは、危険を承知でスーダンに戻る決意を強くしています。

マリアムさんは「安全ではなくてもスーダンに戻るしかありません。スーダンで戦争が起きていることを世界の人たちは忘れてしまったのだと感じています」と涙ながらに話していました。

スーダンからの留学生などが研究 鳥取大学乾燥地研究センター

鳥取市にある鳥取大学乾燥地研究センターではスーダンの研究機関などと共同で厳しい乾燥や高温に耐えられる小麦の新たな品種を開発するプロジェクトを5年前から続けていて、現在、スーダンからの留学生や研究者が8人がセンターを拠点に研究しています。

任期迫る研究員イザットさん“状況何としても改善してほしい”

おととしから客員教授として大学で研究をしているイザット・タヒルさんは武力衝突が起きたことを受けて去年5月、スーダンに住んでいた妻と大学生の息子と娘を鳥取に呼び寄せました。

スーダンの自宅近くでも激しい戦闘が起き情勢は悪化しているため帰国できる見通しはたっておらず、イザットさんは2人の子どもの将来に懸念を深めています。2人の子どもは現在、センターでの研究を手伝ったり日本語の勉強をしたりして過ごしています。

娘のアーヤさんはスーダンの大学で医学部に在籍していましたが日本で勉強を継続することは難しく滞在期間が1年近くになるなか不安な気持ちを抱えながら生活を続けています。

アーヤさんは「母国の情勢がここまで悪化するとは思わず日本に来るときに教材を持ってこなかった。周りにあったものが突然すべて消えてしまいとても悲しいです」と話しています。

イザットさんの鳥取大学での任期はことし9月末に迫っていて「次の半年間で状況が何としても改善してほしい。もしそれが実現しない場合何をすればいいのか分からなくなってしまう」と話しています。

博士課程アミールさん“現地の家族に何もしてあげられない”

おととしから鳥取大学の博士課程に所属するアミール・エマムさんは現在、鳥取市内で妻のラシータさんと暮らしています。

アミールさんの親族には戦闘に巻き込まれて亡くなった人もいるほか現地では食料品や日用品も不足していて家族や親族は厳しい生活を送っているということです。また現地の通信状況が悪いことから家族と連絡を取ることも難しい状況が続いています。

アミールさんは「武力衝突が始まったときは、すぐに収まると信じていましたが、いつ終わるか分からず心配が大きくなっています。現地の家族とはお金があるとき、身の安全を確保できるときにしか連絡を取れません。話をしても家族に何もしてあげられず悲しくなります」と話しています。

また去年10月には長女ラワンちゃんが産まれました。妻のラシータさんは衝突が収まればラワンちゃんとスーダンに戻る予定でしたが、そのめどは立っていません。

ラシータさんは「状況が良くなって娘の顔を家族に見せれることを願っています」と話していました。

スーダンにある研究機関の地域も戦闘が 共同プロジェクトが中断

武力衝突から1年がたつなか鳥取大学乾燥地研究センターがスーダンの研究機関などと共同で進めている暑さや乾燥に強い小麦の品種を開発するプロジェクトにも大きな影響が出ています。

このプロジェクトでは鳥取大学とスーダン中部のワドメダニにある国立の研究機関の施設で必要な研究が行われていました。しかし去年12月に、この研究機関がある地域にまで戦闘が広がり現在、施設は準軍事組織に占拠された状態が続いているということです。

このため研究も中断せざるを得なくなり、現地の研究者たちは別の地域に避難して、できるかぎりの研究や農民向けの研修を行うなどの活動を継続しています。

辻本壽名誉教授

鳥取大学でもイザット客員教授を始めスーダンの研究者や留学生はプロジェクトのリーダーを務める鳥取大学の辻本壽名誉教授らと研究を続けています。また週に1回、避難生活を続けているスーダンの研究者たちとオンラインミーティングを行って現地の情勢について情報を共有するとともに今後の研究方針などについて協議を続けています。

イザット客員教授は「日本の人たちに支援してもらっていることが私たちが研究を続けるための支えとなっています。人々に食糧を提供して助けることができるかぎりこの研究を続けていきます」と研究を継続していく決意を述べました。

また、辻本名誉教授は「戦争は起こっても食糧は一番重要なので、私たちの食糧生産のプロジェクトを止めるわけにはいきません」と述べた上で、「日本の大学とスーダン人との間にある強い信頼関係を大切にするべきだと思っています。治安がよくなったら現地の農民と一緒にスーダンの復興に貢献したい」と話しています。