中華航空機事故から30年 名古屋空港近くで慰霊式 264人犠牲

名古屋空港で中華航空機が墜落・炎上し、264人が犠牲になった事故から26日で30年です。空港近くで行われた慰霊式では遺族などが献花をして犠牲者を追悼しました。

1994年4月26日の夜、名古屋空港に着陸しようとした中華航空機が滑走路脇に墜落・炎上し、乗客・乗員264人が亡くなりました。

事故から30年の26日、犠牲者を追悼する慰霊式が空港に隣接する「やすらぎの園」で行われました。

遺族会の副会長で、両親を亡くした酒井光男さん(69)は「30年がたち、おやじ、おふくろの年齢もとうに超えてしまいましたが、あの若さでどうして亡くなってしまったのかという思いは今も消えません。中華航空には世界で一番安全な会社になってほしいと切に願う」と訴えました。

このあと、およそ100人の遺族などは、亡くなった人の名が刻まれた慰霊碑の前で献花をして祈りをささげていました。

一方、遺族会の会見では山本昇 会長(70)が、ことしの慰霊式での式辞の依頼を中華航空から初めて断られたことを明らかにしました。

山本会長は「中華航空とはこれまで、事故を起こさない、慰霊を続けるという約束で一緒に取り組んできたつもりだった。式辞を拒否されて今までの関係は何だったのかと思うし、どうしても許せない。30年を機に中華航空が引いていきたいという気持ちがあるのではないか」と述べ、会社の姿勢を厳しく批判しました。

遺族などは26日夜、事故が起きた午後8時15分に合わせて黙とうをささげ、犠牲者を追悼することにしています。

弟亡くした小寺紀行さん「風化させないことが事故防止に」

事故で弟を亡くした小寺紀行さん(73)は「遺族会の役員の中で自分が最高齢になりいつまで続けられるか不安ですが、風化させないことが事故の防止につながると思うので、慰霊式には今後も足を運びたい」と話していました。

また、父親を亡くした中川晴美さんは「父を失い生きていくのに必死の30年でした。30年たっても遺族の気持ちが変わることはないし、これからも空の安全をみんなで訴えていきたい」と話していました。