“集団世襲”体制?日本が民主化支援のカンボジアで何が?

“集団世襲”体制?日本が民主化支援のカンボジアで何が?
日本が30年以上にわたって民主化を支援してきた国を知っていますか?

世界遺産の「アンコールワット」でも知られる東南アジアのカンボジアです。

この国で40年近くにわたって実権を握ってきたフン・セン氏が去年、総選挙のあと突然、政権を長男に引き継ぎ、注目を集めました。
フン・セン氏はその後、議会上院の選挙に立候補し、当選。今月、議長に就任しています。

近年、強権的な政治手法が目立っていたフン・セン氏がなぜ、首相を退くことになったのか。その意図はどこにあるのか。専門家に話を聞きました。

(国際部記者 吉元明訓)

そもそもカンボジアってどんな国?

人口1600万あまり、面積は日本の半分ほどのカンボジア。

日本人にとっては、観光地として知られる世界遺産の「アンコールワット」でなじみが深いかもしれません。

1998年から2019年までの20年あまりの間の経済成長率は年平均で7.7%で、世界銀行は世界でもっとも経済成長した国の1つにあげています。

ただ、1970年代には過激な共産主義を掲げたポル・ポト政権が、強制労働や虐殺で170万人以上を死に追いやったとされ、当時のカンボジア国民の5人に1人が犠牲になったこの大虐殺は、20世紀最悪の惨事の1つとも言われています。

フン・セン氏とは?

カンボジア中部の貧しい農家に生まれたフン・セン氏は、ポル・ポト派の革命運動に参加しましたが、その後、離脱し隣国のベトナムに逃れました。

1979年にポル・ポト政権が崩壊しベトナムの支援を受けた政権が樹立されると外相に、さらに1985年には首相に就任しました。

1991年まで続いた内戦や権力闘争を生き抜き、40年近くにわたって実権を握ってきたのです。

日本との関係は?

日本は30年以上、一貫してカンボジアの国づくりと民主化を支援してきました。

1992年には日本の自衛隊が初めて、国連のPKO=平和維持活動に参加するためにカンボジアに派遣されました。
1993年、選挙監視の活動をしていた国連ボランティアと文民警察官、あわせて2人の日本人が襲撃されて死亡するなど、犠牲を出しながらも、内戦からの復興を支えてきたのです。

ただ、2010年ごろからは中国が最大の援助国となっています。

総選挙圧勝でなぜ交代?

去年7月に行われた総選挙では、フン・セン氏率いる与党・人民党が125席中120議席を獲得し圧勝しました。

ただ、解党に追い込まれた最大野党不在で行われた前回・2018年の選挙に続き、今回も有力な野党の参加が認められず、その強権的な政治手法に欧米諸国からは「公正な選挙ではなかった」などと非難の声が上がっていました。
そうした中、フン・セン氏は選挙後のテレビ演説で長男のフン・マネット氏に首相を引き継ぐ意向を明らかにしたのです。

初当選したばかりの長男への“世襲”にはどんな意図があったのか。フン・セン氏が首相を退くことでカンボジアは変わるのか。

カンボジアの政治に詳しい、新潟国際情報大学の山田裕史教授に話を聞きました。
(以下、山田教授の話)

圧勝が必要だった?

去年の総選挙は事実上の世襲に向けた信任投票という意味合いもあり、フン・セン氏にとっては世襲をいかに安定的に行うかが圧倒的勝利をねらう最大の目的でした。
このため、野党を排除しながらも、投票率が下がったり無効票が多くなったりして、与党・人民党内にもいるといわれる世襲反対派を勢いづかせないよう、投票のボイコットを呼びかけた人などを罰することができるように選挙法を改正したとみられます。

その結果、▼人民党の得票率、▼投票率、▼無効票の割合、いずれもフン・セン氏が目指していた「圧倒的な勝利」となり、世襲の条件が整ったと判断したのだと思います。

フン・マネット首相はどんな人?

フン・マネット首相は1999年にアメリカの陸軍士官学校を卒業し、イギリスの大学で経済学の博士号をとるなど欧米で教育を受けてきました。
その後、陸軍司令官を務め、去年8月に首相に就任しましたが、軍以外の行政や議員としての経験はなく、当然入閣したこともありませんでした。

人物像については、強権的な印象の強い父とは対照的に親しみやすさを前面に押し出しています。

首相就任以降の印象は?

内政も外交も、父親のフン・セン前政権の方針に沿った形で動いていると感じます。

フン・マネット首相は就任後に、2050年までの高所得国入りを目指した、今後5年の経済成長ビジョンを示しました。
経済学の学位ももっていますし、成長優先で高所得国入りへの道筋をつけることを考えていると思います。その実現には「平和」と「安定」が欠かせません。

今と同じように“安定を乱す”と考える野党勢力の拡大を抑え、経済成長では中国を筆頭に海外からの投資を呼び込むという戦略になるでしょう。内政も外交も変わりようがないのです。

新政権の特徴は?

世代別では40代が16人と最多で、大幅に若返ったように見えます。

ただ、その内訳を見ると、警察を握る内務相や、国防相など、前任者の子どもがそのまま就任しているポストも多く、世襲内閣と伝えられることも多いです。

また、国立銀行の指導部や州知事などのポストでも親族への世襲が進んでいて、内閣だけでなく、国全体で与党・人民党を中心とした世襲が着実に進んでいます。

このほか、「上級大臣」というポストに過去最多の22人が承認され、ほとんどがフン・セン氏と同じ世代で側近だったような人たちが入っています。

若い閣僚は頭が上がらず、新閣僚を監督するお目付け役的な存在だと思います。

フン・セン氏はどうなる?

真の権力は依然として、フン・セン氏ら親世代が握っているとみられます。特に、フン・セン氏は首相だったとき以上の権力を持つことになる可能性が高いと思います。

閣僚のポストは子どもたちの世代に引き継ぎましたが、フン・セン氏は与党・人民党の党首といった要職にとどまり続けていて、ほかの親世代も同様です。

カンボジアでは、国家機関の人事も握っている党が実質的な最高権力機関であり、「党高政低」の状態となっています。
また、フン・セン氏は上院議長に就任したことで、国王不在のときに国家元首の代行を務めることができるほか、国王を選ぶ評議会の議長も兼ねることができ、より強力な人事権を得ることになります。

フン・セン政権は終わっても、「体制」は強化されて続くとみられますが、中長期的にみるとフン・セン氏の力にかげりが見えたり、いなくなったりしたときの反動がどのように出てくるのかが懸念されます。

悪化していた欧米との関係はどうなる?

さまざまな人権問題をめぐって、欧米からの制裁を受けてきたフン・セン氏と異なって、フン・マネット首相は欧米との個人的なパイプもあることから、欧米側も関係の改善に期待を寄せているとみられます。
選挙後の声明からもそれはみてとれます。

例えば、アメリカは「自由でも公正でもない選挙だった」として一番厳しい声明を出しました。

ただ、声明を最後までみると、関係を断つということではなくて、新しい政府ができた段階で民主主義回復のチャンスがあるとして、手を差し伸べているような言い回しもありました。

フン・セン氏はだめでも息子の政権になるタイミングで関係改善を考えているのでしょう。EUも制裁を科しておらず、反発もそこまで強くはありません。

2018年の総選挙のときとくらべて、風あたりは強くなかったと言えます。

中国寄りと言われる外交に変化は?

今のところ大きな変化は見られません。
2023年8月、中国の王毅外相がカンボジアを訪れ、フン・セン氏や首相就任前のフン・マネット氏と会談したほか、9月にはフン・マネット首相が就任後初めて中国を訪れ、首都・北京で習近平国家主席と会談しました。

関係強化を確認するなど、引き続き、中国を重視する姿勢を見せていると言えます。

日本との関係はどうなる?

岸田総理大臣は去年9月、インドネシアで開かれたASEAN=東南アジア諸国連合の首脳会議の期間にフン・マネット首相と会談していますし、12月に日本で開催された日本とASEANとの特別首脳会議の期間中にも会談しています。
また、カンボジアの現地レベルでは、日本の大使がほぼ全員の新閣僚と会っています。日本で学位を取得した閣僚も数人います。

中国一辺倒のリスクはあるので、日本はカンボジアにとって重要なパートナーだろうと思います。
ただ、フン・マネット首相個人にとって日本は特別かというと、父フン・セン氏と比べるとそうでもないと考えられます。アメリカやイギリスで学んでいるので、これらの国のほうが心情的には近く感じているのではないかと思います。

(マイ あさ!で放送)
国際部記者
吉元 明訓
2012年入局
熊本局 青森局などを経て現所属
学生時代にアジア各地を巡りアジア・太平洋地域を担当 ウクライナ情勢も取材