白血病で亡くなった娘 父がSNSに投稿する理由

白血病で亡くなった娘 父がSNSに投稿する理由
「動画の再生回数が1400万回を超えた」と聞いたとき、私(=記者)は耳を疑いました。

その動画とは、4年前に白血病で亡くなった高校生を私が取材したドキュメンタリー番組をおよそ7分に再編集し、NHKがYouTubeで発信したものです。

反響の大きさはそれだけではありません。この高校生の生前の動画は、いまもSNS上で拡散され続けています。

その背景にあるのが、死後、娘の動画を投稿する父親の存在です。
なぜ父親は亡くなった娘の動画をSNSで発信するのか。2年にわたる父親の取材から、見えてきたことがありました。
(宇都宮放送局 記者 平間一彰)
NHKスペシャル「シェア 16歳の“いのち”はめぐる」
2024年4月13日(土)放送
番組のハイライト動画は↓↓↓(4分25秒)

16歳で亡くなった高校生

その高校生の名前は、小山田優生(こやまだ・ゆい)さん。

中学3年生のときに「急性骨髄性白血病」と診断されました。1年半余りにわたって闘病を続けましたが、2020年4月、16歳でこの世を去りました。
私が宇都宮市に住む優生さんの家族の取材を始めたのは、その2年後の2022年の春からです。

父親の義憲(よしのり)さんは、時折、涙を流しながら娘を失った悔しさについて語ってくれました。

そして、自分のスマートフォンに残されていた膨大な数の動画を見せてくれました。

そこに映っていたのは、抗がん剤の治療で髪が抜け落ちたり、病院のベッドで泣いたりする優生さんでした。

画面をスクロールしていくと、亡くなる直前、呼吸が弱くなっていく優生さんを囲んで、最期の時間をともにしようとする家族の姿もおさめられていました。

白血病を公表し動画を発信

こうした動画を義憲さんが撮影していたのは、娘の優生さんに「闘病中の様子を撮っておいてほしい」とお願いされたからです。
優生さんは生前、SNSのインスタグラムやTikTokで、自分が白血病であることを明かした上で、さまざまな動画を投稿していました。

おしゃれが大好きで、将来はヘアメークアーティストを目指していたという優生さん。抗がん剤の副作用で髪が抜け落ちてしまっても、ウイッグとメークでおしゃれに変身する様子を撮影し、アップしていました。

入院から1年後、優生さんは医師から「完治は見込めない」と、余命は2か月と宣告を受けていました。しかし、優生さんはその後も、明るく、懸命に生きようとする姿を投稿し続けました。
父親の義憲さんの記憶に、とりわけ強く残っている動画があります。

それは、一時退院した優生さんが、ウイッグをつけて帽子をかぶり、ショートパンツ姿で、大好きなスケートボードを楽しんでいる様子の動画です。

白血病の優生さんが、転んで出血したら命に関わりますが「やりたいことをやり抜きたい」という思いを感じたといいます。
父 義憲さん
「親として、白血病の娘がスケボーに乗るというのは、気が気ではありませんでした。でも、スケボーに乗るのもこれが最後になるかもしれない、後悔したくないという気持ちが、本人から伝わってきたので、私も撮影を引き受け、見届けることにしました」

桜が散るころに旅立った優生さん

2020年4月2日。余命宣告からすでに9か月がたっていました。

優生さんは「もう治療を終えて家に帰りたい」と医師に訴えたそうです。

病院から自宅に向かう車からは、満開の桜が見えたといいます。

そのとき義憲さんは「落ち着いたら、娘を車いすに乗せて、一緒に桜を見に行こう」と考えていました。
しかし、その6日後の4月8日。

義憲さんの思いはかなわないまま、優生さんは家族にみとられて、息を引き取りました。

ちょうど、桜が散り始めたときでした。

娘の動画を投稿し始めた父親

優生さんが亡くなって1か月後。

義憲さんは、自身のTikTokのアカウントで、生前の優生さんを撮影した動画の投稿を始めます。
きっかけは、優生さんのフォロワーからのメッセージです。
「病気と闘う優生さんに、勇気をもらいました」
優生さんがSNSに投稿していた動画に、多くのフォロワーから感謝のメッセージが届いていたことを、義憲さんは娘を亡くしたあとで知りました。

優生さんは、病気でふさぎこんでいる人や、悩みを抱えている人などを励ますメッセージを、病床から送り続けていたのです。
父 義憲さん
「闘病中の優生は、私がお見舞いに行っても、スマホをいじってばかりでした。当時は“せっかく会いに来たのに”と思っていましたが、あのときはきっと、フォロワーさんと大切なやりとりをしていたんだろうと思います。そんな娘を、今では誇らしく思います。優生のことを忘れてほしくない、もっと知ってほしい。そんな思いから、娘の動画の投稿を始めました」

義憲さんの投稿には賛否の意見

義憲さんは、娘の月命日には、欠かさず動画を投稿するようになりました。

しかし、4回目の月命日にアップした動画を機に、義憲さんの投稿に対して、賛否両論が寄せられるようになります。
その動画は、優生さんが病院のベッドで苦しんでいる姿を義憲さんが撮影したものでした。

動画の中で優生さんは泣きながら「痛い」「もう家に帰りたい」と、父親に訴えていました。

この動画の投稿で、フォロワーは一気に2万5000人増えましたが、義憲さんを非難する意見も相次ぎました。
「苦しんでる姿を、SNSでさらすのはかわいそう」

「父親なら、カメラを向けずに手を握るべきだ」
小山田義憲さん
「優生が自分のSNSに投稿していたのは、笑顔で前向きな姿が多かったと思います。でも、その裏には、苦しい治療を泣きながら頑張っていた優生がいます。そんなありのままの優生を知ってほしいと思い、投稿しました」

投稿に“救われた”少女

こうした義憲さんの思いが伝わったというフォロワーもいます。

茨城県取手市に住む町田くるるさん(15)は、義憲さんの投稿に「救われた」と話す1人です。
くるるさんは中学1年生のときに、優生さんと同じ白血病と診断されました。いまは病を乗り越え、この春、高校に進学しました。

入院中の抗がん剤治療は、くるるさんにとって、想像を絶するものだったといいます。たびたび襲ってくる吐き気で水さえのどを通らず、夜も寝つけない日々が続きました。

「もう治療をやめて楽になりたい」と漏らし、家族を悲しませたこともありました。

そんなときに偶然、見つけたのが、義憲さんのアカウントでした。そこには、涙を流しながらも、必死に病と闘う優生さんの姿がありました。
町田くるるさん
「動画を初めて見たとき、“優生ちゃんがこんなに頑張っているのに、なんで自分は前向きになれないんだろう”と思いました。それからは、自分も治療を頑張れるようになりました。優生ちゃんのお父さんの投稿がなかったら、頑張れなかったと思います」

家族からは疑問も

こうしたフォロワーがいる一方で、義憲さんの投稿に疑問を感じる家族もいます。
26歳の長男は、妹が苦しんでいる姿を父親が投稿し続けていることに対し「これは妹が望んでいることなのだろうか」と、納得できずにいます。

私の取材中、こうした思いを長男が父親にぶつける場面がありました。
兄 義信さん
「そこまでさらけ出さなくてもいいんじゃないかと思うけどね。優生の動画は自分だけの思い出にしておきたいから…。4年たった今でも優生の死を受け止めきれてないしさ…」
義憲さんはしばらくうつむき、部屋には重たい空気が流れました。

10秒ほど沈黙のあと、義憲さんはことばを選びながら、ゆっくりとこう話しました。
小山田義憲さん
「やっぱり笑顔の優生ばかりじゃない。苦しい治療を頑張った優生のことも知ってもらいたいし、同じような病気で苦しんでいる子には、優生の姿から何かを感じ取ってもらいたい」
そして再び沈黙し「いや、でも自己満足なのかなあ…」と、漏らしました。

2年にわたって取材を続けてきた私には、このときの義憲さんが、とても寂しい表情をしているように見えました。

人の「死」をSNSで発信 戸惑う声も

義憲さんの投稿について「NHKスペシャル」(「シェア 16歳の“いのち”はめぐる」2024年4月13日放送)で取り上げることが決まったとき、番組スタッフの一部から、違和感を訴える意見もあがりました。

人の「死」という重さと、気軽に投稿できるSNSでの発信というギャップ。

死が軽く扱われていないかという指摘がありました。

さらには、亡くなった優生さんの立場に立ったときに、義憲さんの行為をどう理解したらよいのか、戸惑う声も聞かれました。

こうした意見を、私は複雑な気持ちで聞いていました。2年間の取材の中で、私自身は一度もそうした違和感を覚えなかったからです。

義憲さんに直接会って、人柄や思いを理解した上で取材を始めた私としては、義憲さんの気持ちを正確に伝えたいという思いにかられました。

闘病中の母親を撮影していた娘

そうした私に参考になる話をしてくれたのが、大阪に住むフォロワーの中島桃花さん(18)でした。
桃花さんは3年前、母親ががんと診断されたことをきっかけに、義憲さんのアカウントを知りました。

実は桃花さんも、闘病中の母親の姿を撮影していました。

もし母親がそのまま亡くなっていたら、自分も同じように、生前の母の姿をSNSに投稿していただろうと話してくれました。
中島桃花さん
「もし死んでしまっていたら、“こんなお母さんやったんやで”とみんなに知ってもらいたいから、アップしてたと思います。大好きな自慢のお母さんやから」
自慢できる大切な人が亡くなったとき、SNSを通じて生きた証を知ってほしいと思う人がいることがわかりました。

あふれる優生さんへの思い

義憲さんにとっても、優生さんは大好きな自慢の娘でした。

そんなまな娘を失った悲しみはとてつもなく深いと、私が感じた瞬間があります。

生前の優生さんがカラオケでよく歌っていた半崎美子さんのライブに、義憲さんと一緒に行ったときのことです。

優生さんが大好きだった曲が始まったとたん、義憲さんは、鼻をすすりながら涙を流し始めました。
「サクラ~卒業できなかった君へ~」というバラード。

いっしょに卒業できずに亡くなった同級生を悼む歌です。

桜が散るころに旅立った優生さんを歌っているように感じられました。

隣の義憲さんは肩を小刻みに震わせ、抑えようとしても抑えきれない泣き声が聞こえてきます。

このとき私は、なぜか義憲さんの背中を、1回、やや強めにたたいたことを覚えています。

今振り返れば、義憲さんを2年取材してきた一個人として、彼にしっかり寄り添いたいという強い思いが込み上げてきたんだと思います。

子どもを亡くした悲しみの共有

優生さんが入院していた病院には、子どもを亡くした親などで作るグループがあります。その代表が、私に話してくれたことが印象的でした。

悲しみのどん底にいる親たちは、子どもを失ってしばらくすると、心境に変化が起きるといいます。

最愛の子どもを亡くした悲しみが癒やされることは決してありませんが、その気持ちを持っていく「場」ができるというのです。

その「場」とは、同じ思いを共有する患者の会だったり社会貢献活動だったり、人さまざまですが、「子どもの死に意味を見いだしたい」と思うようになるそうです。
義憲さんにとっては、そのような「場」が、SNSだったのかもしれません。

SNSに投稿するため、生前の優生さんの動画を選んでいるときや、フォロワーから好反応があったとき、義憲さんの表情は一瞬、明るくなります。

桜の時期になると、義憲さんは胸が締めつけられる思いだといいます。

義憲さんは、そんな思いを抱えながら、この春、次の投稿に使うため、桜の写真を撮影していました。
宇都宮放送局 記者
平間 一彰
平成8年入局
コロナ禍の3年間、最前線の医療機関を取材。
小児がんの患者や家族に密着したドキュメンタリー番組の制作も。