クーデターで状況は一転 日本の企業がそれでも現地に残る理由

クーデターで状況は一転 日本の企業がそれでも現地に残る理由
「経済状況は悪化し先行きへの不確実性が高まっている」

“アジア最後のフロンティア”とも呼ばれたミャンマーの現状について、世界銀行はこう分析しています。

3年前に軍が起こしたクーデターで、東南アジアの新興市場として期待されたミャンマーの経済は低迷。進出した企業も期待を裏切られた形となりました。それでも事業を継続する日系企業が少なからずいます。

なぜビジネスを続けるのか。その理由を現地で探りました。

(アジア総局記者 加藤ニール)

「寂しい」経済特区

私がミャンマーを訪れたのは、2021年に起きた軍のクーデターから3年が過ぎたことし2月。

向かったのは最大都市ヤンゴン近郊にある「ティラワ経済特区」です。
2015年に開業した大型の工業団地で、日本の大手商社などが参画して開発されました。

軍の支配から民政に移管した2011年以降、民主化の波に乗って経済改革とインフラ整備が一気に進んだミャンマーの象徴とも言える存在です。

私は7年前に取材で訪れたことがあり、当時は多くの日系企業の工場が建設中で活気に満ちあふれていました。

久しぶりに見た特区は立地する建物が格段に増えていましたが、行き交うトラックはまばらで建物から聞こえてくる機械音も少なく、寂しい印象は否めませんでした。
経済特区の開発や運営を行う会社によると、特区の入居企業は111社。

このうち日系企業は55社にのぼります。

車で走ると、車窓からはトヨタ自動車やスズキといった自動車メーカー、それに、農機具メーカーのクボタなどの工場も見えました。
大半の企業は工場の操業を継続していますが、工場が休止中または事務所のみ稼働という企業も約2割にのぼるといいます。

「建設プロジェクトがほとんど無くなった」

現地に進出した日系企業は今どのような状況なのか。

今回取材を複数社に打診する中で、8年前に大阪から進出した中小企業の工場を訪れることができました。
工場ではミャンマー人と日本人の従業員合わせて180人を雇用。

ミャンマー国内向けに建材や家具などに使われる鉄パイプなどの金属製品を製造しています。

この会社は、長年、ベトナムなどアジア向けに日本から鉄鋼の輸出を手がけてきました。

工場の経営者の森田良幸さんは、ミャンマーでは鉄道や道路といったインフラ整備に加え、ホテルや商業ビルなどの建設需要が増加するとみていました。

しかし、クーデターで状況は一転したと言います。
経営者 森田良幸さん
「ほかの東南アジア諸国と同様に経済成長する国では必ず鉄が必要になる。実際にヤンゴンの街では、当時はどんどん建設が始まっていて、他社よりも半歩先を行こうと進出を決断した。ところがクーデター以降、政府や外資系企業による建設プロジェクトはほとんど無くなった」
クーデター後も工場の稼働は止めず生産活動を続けてきましたが、工場内に2つある製造ラインのうち稼働しているのは片方だけ。
工場の稼働率は3割から4割程度にとどまっているといいます。

経済低迷と外貨不足が深刻に

ミャンマーでは、クーデターを起こした軍による攻撃や弾圧などで死亡した市民はこの3年間で4800人以上にのぼり、約2万人が拘束されているとみられています(2024年4月時点・ミャンマーの人権団体による)。
民主派勢力や少数民族の武装勢力は、軍に対する武力攻勢を強める姿勢を変えていません。

世界銀行は、こうした戦闘の激化で陸路が寸断され、物流コストが上昇した結果、ことし3月末までの1年間の経済成長率は1%台にとどまるとしています。

また、先行きも低迷は続くとしています。

コロナ禍前は6%台の高い成長を誇っていましたが、経済規模は2019年と比べて10%縮小し、東南アジアで唯一コロナ禍前の水準に回復できていないと指摘しています。
経済の低迷に加え、深刻なのがミャンマー国内の外貨不足です。

クーデター以降、海外からの投資や国際支援の見直しが進み、外国人旅行者も激減しました。

エネルギーや原材料の多くを海外に頼っているため外貨不足に陥ったのです。

軍は、軍事物資や食料、エネルギーの輸入のために優先して外貨を割り当てているとみられ、民間企業は原料の輸入の際に決済に使う外貨の調達が困難になっています。

森田さんの工場でも海外から原材料の鉄を輸入する際の決済で必要となるドルなどの外貨の確保が難しくなっています。
去年12月には半年ぶりに原材料の購入にこぎ着けましたが、購入できたのは150トンと従来の20分の1程度にとどまりました。

現在でもミャンマー国内の建設会社や家具店などから金属製品の発注は一定程度ありますが、原料の在庫が尽きてしまえば工場の稼働を止めざるを得なくなります。

従業員の給料や工場の運営費をまかなう利益を確保できる程度に生産を調整して、一日でも長く工場運営を続けようとしています。

将来の発展に期待かけ事業継続

需要の低迷や原材料調達の難しさなど厳しい環境にある中、なぜ事業を継続するのか。

森田さんは、人口が約5600万で、平均年齢も20代後半と若者が多いミャンマーは将来情勢が安定化すれば、ビジネスの拡大が見込めると考えています。

特に期待をかけているのが、ミャンマーの人材です。
工場では、地元の工学系の大学を卒業した若い技術者をはじめとした従業員の雇用を維持して、将来を見据えた人材育成を続けています。

他の東南アジアの国では企業どうしで優秀な人材の争奪戦となっていますが、情勢が安定化した際にはミャンマーの人たちが会社の成長の原動力になるとみているのです。
そのため現在は、工場がフル稼働できない空いた時間を使って、ベテランの従業員が若手の従業員に技術を教える研修に力を入れています。

特に日本流の厳しい品質管理に注力し、去年12月には製品の安全性を示すJIS=日本産業規格を取得しました。
経営者 森田良幸さん
「ミャンマー経済は決して好調とはいえないが、それでもアジアの中で残されたフロンティアであることに違いがなく、将来、経済が元に戻り発展する日は必ず来ると思う。今は工場経営は大変だが、従業員の技術を高めて将来の財産とできるよう、今何ができるかが大事だと思う」

ミャンマーの人たちの希望とは

ミャンマーでは2月に軍が徴兵制の導入を発表し、3月下旬には首都ネピドーで新たな兵士の召集が始まったとされています。

多くの若者が反発する中、隣国のタイに逃れたり、民主派側の武装勢力に加わったりする動きも相次いでいます。

現地の複数の日系企業に聞いたところ、従業員の間にも少なからず動揺が広がっているといいます。

戦闘終結に向けた動きが見られず、事態は混迷が深まる中、企業の経営も難路が続きます。
しかし、経済特区で働くミャンマーの人たちは希望を失っていないように思いました。

工場を取材した際に出会った技術者の1人が「将来ミャンマーが発展する時には国づくりに自分の技術を生かしたい」と話していたことが強く印象に残っています。

現地に進出した企業が忍耐強く事業を続ける中で、ミャンマーの人たちが習得した技術を思う存分に発揮できる日が早く来ることを願わずにはいられません。

(4月4日「おはよう日本」で放送)
アジア総局 記者
加藤 ニール
2010年入局
静岡局 大阪局 経済部を経て現所属