日本に生きる~ “ウクライナの声”

日本に生きる~ “ウクライナの声”
2022年2月24日、突然、日常が奪われた。
ウクライナから戦禍を逃れて日本で避難を続ける人は今も2098人に上る。
戦争の終わりが見えないなか、苦悩や不安を抱えながら耐える人、未来に目を向け始めた人、新たな一歩を踏み出す人。
それぞれの思いにそれぞれの選択。
故郷に思いをはせながら、異国の地で生き抜こうとする人々の声を聞いた。

(取材班)

ブラッド・ブラウンさん

「できることをやっています。戦争の終わり方によって私の将来が変わってきます」
埼玉県に祖父母と避難しているブラッド・ブラウンさん、14歳。この2年、帰国に備えて故郷の学校のオンライン授業を優先し、日本の学校に通っていなかった。
「日本の友達がほしい」
3年目に入ることし、避難の長期化も見据え、日本の中学校への入学に向けて動き出した。

(埼玉県東松山市/さいたま局 藤井美沙紀)

ナタリアさん

「一番好きな日本語『一期一会』。何もしないでずっと待つことはできません」
ナタリアさん、49歳。精神科医で、キーウでは病院や企業で働き、人の助けになることが生きがいだった。
当初は早く帰国したいと考えていたが、避難生活の長期化で今は日本語の勉強に励み、日本の医師免許の取得を目指している。
再び精神科医として日本でも人々の助けになりたいというのが願いだ。

(東京都/横浜局 古市悠)

ミラーナ・アズィマさん

「将来はウクライナの人だけでなく、世界中の人のためになる研究をしたい」
ミラーナ・アズィマさん、18歳。学業優秀で、キーウの大学進学が決まっていたが、軍事侵攻で断念。塞ぎ込んでいたが、避難先の日本で高校に入学して学びを再開。母国語ではない英語と日本語を猛勉強し、ことし都内の大学に合格。
夢だった研究者への道を日本で目指す。

(東京都/千葉局 佐々木風人)

ヴィタ・ピサレンコさん

「戦争が終わるのを日本で待って、いつかふるさとに帰ることができる時を信じるだけ」
ヴィタ・ピサレンコさん。ウクライナから避難する人々を和歌山のホテルが受け入れていると聞いたことが避難のきっかけだった。ウクライナではデザイナーとして本の挿絵などを描いていたが、日本ではホテルでコックとして働く。
今は日本に住み続けるしかないかもしれないと思い始めている。

(和歌山県白浜町/和歌山局 中野碧)

ユリアさんとダーシャさん姉妹

「私の選択は正しかったと思う」(ユリアさん)

「私たちはここで生きていきます」(ダーシャさん)
キーウでそれぞれ夫と子どもと暮らしていたユリアさんとダーシャさん姉妹。軍事侵攻後、ユリアさんは日本への避難を決断。ダーシャさんは故郷に残った。いずれも理由は子どものため。ユリアさんは空襲におびえることのない環境を第一に、ダーシャさんは子どもの習い事など日常を守ることを優先したという。
母親としてそれぞれに決断し、日本とウクライナで離れて暮らすが、願いは同じ。「1日も早くかつての日常が戻って欲しい」

(大阪市・キーウ/大阪局 バルテンシュタイン永岡海、福島浩晃)

カテリーナ・ヤボルスカさん

「希望があることを示したい。子どもたちを少しでも元気づけ諦めない心を持って欲しい」
カテリーナ・ヤボルスカさん。日本人との結婚を機に6年前に来日し、軍事侵攻後、故郷から避難してきた母親と暮らす。祖国のために何か力になりたい。ウクライナの子どもの支援団体から頼まれたのは漫画の制作。
団体の主催者の男性は戦場でけがを負い、兄を亡くしていた。その実体験を聞き取り、漫画家を目指す日本の高校生の力を借りて制作に打ち込む。
完成すれば故郷の子どもたちに送るつもりだ。

(滋賀県彦根市/大津局 光成荘)

ボンダレンコ・マリヤさん

「戦争で亡くなる人も侵略者に抵抗する人も、ここにいるみなさんのように普通の人です」
ボンダレンコ・マリヤさん、21歳。軍事侵攻後、留学制度を利用して避難し、神戸の日本語学校で学んだ。卒業後、1度は故郷の家族の元に帰ったが、改めて来日。「戦争への関心が薄れるなか、日本でウクライナのことを伝え続けたい」と戦争の実態を伝える活動を続ける。

(東京都/神戸局 吉田広太郎)

コロトコヴァ・エリザベータさん

「一番大切なのはね、ウクライナのことを忘れないでほしいです」
コロトコヴァ・エリザベータさん。WEBデザイナーだったエリザベータさんが絵を描いた絵本が愛知県春日井市の書店に並んでいる。
きっかけは日本での出会い。絵本に描かれた鉢植えは母国の国旗の色。絵本にのせて子どもたちにメッセージを伝える。「少しでもウクライナのことを知ってもらえたら」

(愛知県/名古屋局 佐々木萌)

ディヒティアレンコ・バレンティンさん

「いっぱい優しい先輩がいる。私は日本語をもっともっと上手になりたい」
ディヒティアレンコ・バレンティンさん、20歳。名古屋市のクリニックで働く。当初はほとんど日本語を話すことができなかったが、クリニックの仲間の支援も得て、書類を漢字で記入できるほどに上達。今は日本で大学進学を目指す。

(名古屋市/名古屋局 廣瀬瑞紀)

アンナ・ポノマリョヴァさん

「平和とは皆さんが当たり前だと思っていること。それを失ったときに初めて理解できます」
アンナ・ポノマリョヴァさん。日本人の夫と5歳の娘の家族3人で四日市市で暮らし、軍事侵攻が始まった時も日本にいた。以来、一度も帰国できず、故郷に残る両親とはテレビ電話で連絡を取り合う。故郷のために何かできないか。募金集めをしながら、中学校で生徒たちに語りかける。

(三重県四日市市/津局 伊藤憲哉)

イワンナ・ベレゾフスカさん

「強くなりたいです。ウクライナの人たちはいつか戻ってきてウクライナはもっと強くなります」
イワンナ・ベレゾフスカさんは九州の大学の相撲部に所属する「力士」だ。ウクライナはヨーロッパでも相撲が知られた国で、イワンナさんは優勝経験もある有名選手。
しかし軍事侵攻で故郷でも攻撃があり、安心して稽古できる環境を求めて来日。母国のチームメイトの身を案じながら、いつか母国のためにと稽古に励む。

(福岡県太宰府市/福岡局 宮本陸也)

ベツ・イェリザベタさんとマルハリータさん姉妹

「将来のことは侵攻の前後で全く違う考えになりました。以前の計画は別の人の人生のように感じます」(マルハリータさん)
北海道の八雲町に避難するベツ・イェリザベタさんとマルハリータさん姉妹。キーウに住む両親の身を案じながらもそれぞれ前を向こうとしている。イェリザベタさんの「光」は英語を教えている地元の子どもたちとのふれあい。
マルハリータさんはアートの技術を生かしながら母国の人々を励まし兵士への寄付につながるプロジェクトに参加する。戦争が長期化するなか、2人は「ウクライナのことを忘れないで欲しい」と切に願っている。

(北海道八雲町/函館局 毛利春香)

アンナ・セメネンコさん

「心が折れそうになりますが、私は耐えなければなりません。とてもつらいです」
アンナ・セメネンコさん。3歳と6歳の娘と福山市で暮らしている。避難生活が長引くなか、上の娘は日本の友達に囲まれウクライナ語より日本語が上達した。ハルキウに残る夫とは毎日、テレビ電話で話すが、今も危険な状況が続く。いつ家族一緒に平和に過ごせるのか。異国の地で耐え続ける日々を送る。

(広島県福山市/広島局 藤原宇裕)

マコフカ・ベロニカさん

「私の夢は家に帰ることです。戦争が終わってウクライナに帰ることです」
マコフカ・ベロニカさん、29歳。ハンガリーを経由して、去年知人を頼って富山に。想像もしなかった日本での暮らし。翻訳アプリを使うが、買い物にも苦労する。日本語を習い始め、将来への不安を抱えるなかでも日本での暮らしに必死に適応しようとしている。

(富山県射水市/国際部 小島明)

ナタリーア・スポダさん

「勉強を始めました。いつか(家族と)一緒に日本に住みたいと思います」
着物姿で日本語学校の卒業式に臨んだナタリーア・スポダさん、29歳。故郷では学校の心理カウンセラーだったが、日本で新たな夢を見つけた。それはずっと好きだったアニメのクリエーターになること。
この春、島根県江津市から東京の専門学校に進学し、夢を追いかける。

(島根県江津市/松江局 三井蕉子)

アナトリー・ソコロフさんとラリサさん夫妻

「私たちの街はなくなったと考えてもいい」(アナトリーさん)

「新しい生活のすべてを築かなければならない」(ラリサさん)
無料の日本語教室に通うアナトリー・ソコロフさん、67歳とラリサさん、62歳。知人を頼って徳島に避難したのはおととし5月。故郷は激戦地の東部ドネツク州バフムト。親しかった友人は犠牲になり、自宅は破壊された。花と緑にあふれた美しい街の姿はもうない。戦争が終われば故郷に帰りたいと考えていた2人。今はそれをあきらめ、徳島に住み続けることも考えている。

(徳島県松茂町/徳島局 有水崇)

エリザヴェータ・ズヴォリンスカさん

「もう少しと待っていて、でもまだ。だからちょっと考えることが変わりました」
エリザヴェータ・ズヴォリンスカさん。親族を頼って山梨県に避難し、ファッションデザイナーの経験を生かして、県内でアートを楽しみながら英語を学ぶ教室を開く。
故郷に戻る日を待つ毎日から新たな未来へ。日本で就職して生活することを決め、日本語の猛特訓に励む。今できることを精一杯。そう考えている。

(山梨県/甲府局 清水魁星)

クリザニフスキー・ナザールさん

「ここまで応援してくれた人たちの優しさを返したい」
クリザニフスキー・ナザールさん、18歳。この春、福井県の公立学校を卒業するが、日本にとどまり、大学で法律を学ぶことを決意した。
大切にしているのはウクライナの国の花ひまわりが描かれた越前和紙で作られたランプ。避難して間もない頃に地元の人から贈られ、それが「自分の光になる」と感じたという。友人、先生。助けてくれたすべての人々に恩を返すため、社会に貢献できる仕事につきたいと新たな一歩を踏み出す。
(福井市/福井局 島津裕弥)

取材を通して…

ウクライナから避難している人たちを支援する日本財団が2023年に実施したアンケート調査では、回答した1022人の72.9%が状況が落ち着くまでか、できるだけ長く日本に滞在したいと答えた。
また仕事の紹介と職業訓練を望む人が44.7%、日本人の仲間をつくりたいと答えた人が34%に上っている。
多くは母国で仕事を持ち、専門的な知識や高度な技術を有する人も少なくない。
「避難者として」から「グローバルな人材」として日本の社会でも活躍できる場をつくり、生活基盤を整えていくための支援が重要になっている。

(各放送局のニュースなどで放送)