卒業式に第2ボタンもらうの なんでなん?

卒業式シーズンを終え、入学式の季節ですが、皆さんは卒業式にどんな思い出がありますか?

中学校や高校の卒業式では、憧れの男性に制服の第2ボタンをもらったという女性もいるのではないでしょうか。

卒業式の「定番」ともいえる光景ですよね。

でも、なぜ卒業式で第2ボタンなのか。

私(記者)も12年ぶりに制服を着て、甘酸っぱい青春の謎を追いました。

(大阪放送局 なんでなん取材班 ディレクター 泉谷圭保 / 記者 バルテンシュタイン永岡海)

卒業式の風物詩 第2ボタン

卒業シーズンの3月、街行く人たちに声をかけて卒業式の思い出を聞いてみました。

「(第2ボタンを)ください!って言ってもらいました」

「ボタンだけじゃなくて、その裏のやつもあげるんだよ。足りひんから、モテる子は」

それぞれに第2ボタンをめぐる思い出が。

ではなぜ第2ボタンをやりとりするのか伺うと…。

夫:「いわれは知らないです」

妻:「あんたはもらわれたことないから、分からへんもんね」

夫:「(苦笑)」

皆さんもその理由はわからないようで、まずはいつ頃から始まったのか、調べてみることにしました。

第2ボタンのはじまりは?

取材班がまず訪ねたのは、大阪・堺市にある創業70年の学生服の販売店。

老舗のお店なら何か手がかりが得られるのではないか。

いつから第2ボタンをもらうようになったか、ずばり聞いてみましたが。

「ドラマとかではそういうシーンを見たことがありますけれど、実際あんまり知らなくて」

さらに取材を進めると、有力な手がかりが得られました。

制服に詳しい専門家が奈良にいるというので、さっそく向かいました。

お話を伺ったのは、かつて学生服メーカーの研究員として働き、現在は日本ユニフォーム協議会の参与も務める佐野勝彦さんです。

せっかくなので、制服姿で会いに行くと、佐野さんがすかさず反応してくれました。

「君が着ているのは185Aっていうサイズのものですね」

パッと見ただけで、記者(永岡)が着ていた制服のサイズと型を言い当ててくれたのです。

「これはきっかけがつかめそうだ!」

取材班の期待は膨らみました。

制服の歴史について独自に調査をしている佐野さんは、調査している中で聞いた、あるエピソードが第2ボタンのルーツではないかといいます。

佐野さんの説明はこうです。

戦争末期、大阪の男子学生の話だといいます。

彼は、戦地で戦う兄の妻に密かに憧れを抱いていました。

秘めた思いを抱えたままいるうちに、やがて彼のもとにも召集令状が。

「せめて自分のことを忘れないで欲しい」

彼女に最後に手渡したのが、第2ボタンだったというのです。

つまり第2ボタンは、そもそも「女性がもらうもの」ではなく、当初は「男性からあげるもの」だったという説です。

佐野勝彦さん
「あの頃は金属が貴重で、自分の身に着けているもので大事な物といえば金属のボタンくらいしかなかった。弟さんにしたら一番大事な物はボタンで、その第2ボタンは心臓に近いとか、自分の気持ちに近いっていうこともあったんでしょう」

第2ボタン文化 なぜ広がった?

卒業式に第2ボタンをやりとりする文化の起源が見えてきました。

それでは、なぜこの文化が各地で広くみられるようになったのか。

さらに取材を進めると、ヒットした曲の存在が影響していた可能性があることがわかってきました。

第2ボタンがヒット曲の歌詞に登場し始めたのは1980年代。

その代表の1つが、斉藤由貴さんが歌う「卒業」です。

制服の胸のボタンを~

下級生たちに~ねだられ~

頭かきながら 逃げるのね~

ほんとは嬉しいくせ~し~て~

卒業式で好きな人への切ない思いを歌ったこの曲は、当時の若者たちの心をつかんだといいます。

大阪・浪速区のレコード店の店員で、80年代の歌謡曲に詳しい末廣英之さんは、この曲が、女性が第2ボタンをもらうことを定着させたのではないかと考えています。

レコードショップ店員 末廣英之さん
「第2ボタンのやりとりは、はやっていたと思いますよ。この曲はブームというか、幅広い人に第2ボタンを認知させたと思います」。

第2ボタンブームを巻き起こした“あの人”に聞く

この歌は、どのように生まれたのか。

ここまで来たならば、本人に直接聞きたい!ということで、今回、作詞を手がけた作詞家の松本隆さんに取材を申し込みました。

すると、なんと快くインタビューに応じてくれました。

松本さんによると、この歌は「卒業」をテーマに歌詞を書いて欲しいと依頼されて作ったということで、曲はあとからつけられたといいます。

歌詞は松本さん自身の卒業式での経験がもとになっているそうです。

作詞家 松本隆さん
「通っていた中等部の卒業式だと東京オリンピックのころですから、かなり古いですよね。その頃、もうしきたりとして第2ボタンをあげるというのはありました。僕は照れて逃げた人ですね。『頭をかきながら 逃げるのね~』という歌詞には、自分のことを書いてますから」

松本さんは、なぜこのエピソードを歌詞にしようと思ったのでしょうか?

作詞家 松本隆さん
「『悲しい』とか『うれしい』とか、感情を説明すると、意外とみんなにわかってもらえない。だから僕はすごく具体的にもので言いたいなって思っていました。胸のボタンっていう小物で気持ちを表せないかなと考えて、できた歌詞です。みんな卒業の時の教室とかみんな記憶にあるわけじゃないですか。多分、日本だけじゃなくて世界中の人たちが経験していることであって、その分、風景として普遍的なんですよね。年に1回、卒業式シーズンは必ずくるわけで、そのたびにみんなが歌ったり聞いたりしてくれるので、おかげさまで歌が残ります。終わらないんですよ、青春は」

第2ボタン文化 いまはもうない?

こうして広まった第2ボタンをもらう文化。

30歳の記者(永岡)は、この文化がいまも当たり前のように続いていると思って取材を進めてきましたが、制服そのものの変化もあり、少し変わってきているようです。

時代の移り変わりとともに、いわゆる“学ラン”、詰め襟の制服が減り、ブレザーが主流になっているということで、それに伴って第2ボタンをやりとりすることは下火になりつつあるというのです。

では、いまの卒業生たちはどうしているのか。

卒業式に大切な人に気持ちととともに物を贈る文化は、別の形となって続いていました。

卒業シーズンの3月、SNSにあふれていたのは、第2ボタンに代わって花束を贈り合う若者たちの動画です。

5年ほど前に、SNSで卒業式にサプライズで花を贈る動画が話題になって以来、爆発的に広がったのだといいます。

男性から女性というパターンだけでなく、女性から男性、あるいは同性同士というパターンも。

関係性も、恋人だけでなく仲のよい友達や親など多様なのが令和スタイルです。

大阪・吹田市のフラワーショップでも、このブームを受けて、卒業式の時期には注文が殺到するようになっています。

フラワーショップ 森俊弥さん
「初めて花を買います!みたいな感じで注文してくれるので、僕もエモいなと思いながら作っています」

この日も卒業式を控えた高校生が注文した花束を受け取りにきていました。

「母親にプレゼントなんですけど、喜ぶかなあ」

「彼女の七夕のお願いが青いバラが欲しいということだったので。彼女の一生の思い出に残ればと」

卒業式で彼女に花束をプレゼントした男性は、後日すてきな写真を送ってくれました。

サプライズは大成功だったようです。

戦時中のエピソードを起源に持ち、ヒット曲とともに各地に広まっていった卒業式の第2ボタン文化。

令和になって形は変わっても、卒業式がいつまでもそれぞれ“一生に一度”の特別な機会であることは変わりません。

大切な人に思いを伝える文化は、これからも受け継がれてほしいと感じました。

(3月5日「ほっと関西」で放送)