日本航空高校石川の吹奏楽団のメンバー11人は、系列校の吹奏楽団の生徒らとともに、滋賀県彦根市にある近江高校を訪れました。
応援よ響け 能登の空まで
3月25日、センバツ高校野球大会6日目のこの日。
能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の日本航空高校石川が1回戦最後のカードで登場しました。
1回裏、先頭バッターが打席に入ると、アルプススタンドでは約100人による吹奏楽の大応援が始まりました。
最初の曲は、能登半島を舞台にしたNHKの連続テレビ小説『まれ』の主題歌『希空~まれぞら~』
「聞いた人に『まれ』が放送されていた時のあのきれいな、自然豊かな輪島を思い出してほしい」
願いを込めて演奏した高校生を取材しました。
(大津放送局記者 丸茂寛太)
合同応援の練習会
被災地にある高校を支援しようと、近江高校の吹奏楽部が申し出て日本航空高校石川の応援に加わることになり、合同練習が行われたのです。
崩れ去った日常
日本航空高校石川の吹奏楽団の部長で、アルトサックスを担当する九尾結月さん。
九尾さんは元日、地元の輪島市で能登半島地震に巻き込まれました。
日本航空石川 吹奏楽団 九尾結月さん
「近くの神社でアルバイトをしている時に地震が起きました。家に帰ってみるとタンスや本棚が倒れたり、食器が割れて散らばったりしていました」
吹奏楽団のメンバーには地震でけがなどをした人はいませんでしたが、学校の施設は大きな被害を受け、吹奏楽団の部室も天井が剥がれるなどの被害がありました。
九尾さんの自宅も断水や停電が続き、避難所で1週間を過ごしたあと金沢市の祖父母のマンションに移りました。
“センバツ出場”の吉報が届くも
地震で校舎が損傷し断水が続いていたことなどから授業はオンラインになり、吹奏楽団のメンバーは顔を合わせることもできませんでした。
そんな中、1月26日。
去年秋の北信越大会でベスト4に入った野球部が、4年ぶりにセンバツに出場の切符をつかみました。
(4年前のセンバツは新型コロナウイルスの影響で中止になり、試合は行われませんでした)
甲子園での演奏は九尾さんにとっても高校生活で実現させたい夢だったといいます。
九尾結月さん
「中学生の時から甲子園で演奏することにすごく憧れていて、出場が決まった時は本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした」
しかし、金沢市のマンションでは楽器の音で周囲に迷惑をかけるのではないかという心配もあり、サックスは手元にあったものの練習ができない状態が続きました。
吹奏楽団がそろってセンバツに向けて練習を始められたのは、地震発生から2か月以上もたった3月9日。
系列校のある山梨県に移動してからでした。
山梨では、学校内の部屋を借りて段ボールベットを置き、そこで寝泊まりをしながら練習をしていたといいます。
“友情応援”で大応援団に
近江高校吹奏楽部との合同練習が行われる3月22日。
九尾さんたちは、朝7時に山梨を出発し彦根市に向かいました。
合同応援のきっかけは、近江の吹奏楽部の顧問と日本航空石川の職員が互いに知り合いだったことでした。
近江高校 吹奏楽部顧問 樋口心教諭
「(地震で)吹奏楽団もなかなか満足に活動できないということだったので、お手伝いできることがあれば何でもさせていただきますということを伝えました。
高校生なので音楽で何かするとか、震災復興とかそんな大げさなことは思わないですけど、ふだん自分たちがやっている音楽で震災で困っている人のお手伝いをさせていただけるのはすごく嬉しいことだと思っています」
日本航空石川のメンバー11人に近江の吹奏楽部員などが加わった約100人の吹奏楽団。
部長同士で土産交換を行ったり、お互いの学校のある土地のクイズを出し合ったりするなどして、生徒たちはすぐに打ち解けました。
演奏が始まると、お互いがそれぞれの応援曲の吹き方を教えあうなど、1つのチームとして結束していきました。
近江高校 吹奏楽部 三國萌桃乃部長
「被災された方や応援に来られない方たちの分も全力で応援させていただき、一緒に1つの音楽を作り上げたいなと思います」
“自然豊かな輪島”を思い出して
この日練習したのは、日本航空石川の応援曲17曲と近江のチャンステーマ1曲。
中でも、日本航空石川の吹奏楽団のメンバーが特別な思いをもっていたのが、能登半島が舞台の連続テレビ小説『まれ』の主題歌、『希空~まれぞら~』でした。
ことし2月に山梨で開かれた能登半島地震の被災地を支援するチャリティコンサートに日本航空石川の吹奏楽団が出演しこの曲を演奏したことをきっかけに、センバツの応援にも取り入れられることになったのです。
日本航空石川 吹奏楽団 藤井一弥監督
「コンサートでの拍手がすごく大きかったですし、そのニュースを見て能登の人たちから「見ましたよ」とか「『希空』をやってくれてありがとう」などとメッセージをいただきすごく嬉しかった。『希空』という曲が能登の人にとって特別な思い入れのある曲であると感じ、より多くの人に届けたいと思いました」
九尾結月さん
「私自身も演奏していてすごく懐かしいなって思うので、聞いた人に『まれ』が放送されていた時のあのきれいな、自然豊かな輪島を思い出してほしいです。私たちの元気のある音で、能登の人たちに笑顔を届けられたらいいなと思います」
音楽を通してこれからも
試合は雨で2日順延し、待ちに待った日本航空石川の初戦。
九尾さんは『希空~まれぞら~』を演奏しながら、ふるさとへの思いをめぐらせていたといいます。
九尾結月さん
「歌詞が自分の頭の中で流れていて、あんな時もあったなとか、地震が起こる前の輪島を思い出して懐かしい感じがしました。自然がきれいで人がすごい温かい、大好きなまちだから、またにぎやかなまちに戻ってほしいですし、やっぱり早く帰りたいなって思いながら吹いていました」
試合は0対1で惜敗。
それでも甲子園での経験を経て、九尾さんは気持ちを新たにしていました。
日本航空石川 吹奏楽団 九尾結月さん
「音楽を通して助けてくれた近江高校や山梨の系列校などみなさんのおかげで応援ができたので、次は私たちが能登の人を助けたいと思いました。
能登の人がすぐに来られるような場所で、まだ大変な思いをしている人や避難所で生活をしている人にも聴いてもらえるようなコンサートができたらいいなって思いました」
※3月22日 おうみ発630で放送