イスラエルとハマスの衝突から半年 現地メディア反応

イスラエル軍とイスラム組織ハマスの衝突からまもなく半年。現地のメディアは、この戦闘をどのように伝えているのか。そして、人々はそうした報道をどう見ているのか。望月キャスターが現地に向かい、イスラエルとパレスチナ双方の現状を取材しました。

※4月2日の「キャッチ!世界のトップニュース」で放送。

それぞれの市民の声

この番組では海外のメディアが、イスラエル・パレスチナ情勢をどのように報じているのか日々伝えてきましたが、現地でのメディアの現状を探ってきたんですよね。

はい。なぜこの戦闘がこんなに長期化してしまっているのか、なぜ止まらないのかを考えていく中で、では現地のメディアはどのような姿勢で報じていて、人々はどのように受け止めているのだろうかという疑問がわいてきました、この点を取材しました。

現地では、最初に、それぞれの市民の声を聞くことから始めました。

最大の商業都市テルアビブの広場を訪ねました。ハマスによる襲撃で死亡した市民や、戦闘で死亡した兵士の写真が置かれ、人々が追悼していました。

「誰も戦争がこんなに長く続くとは思いませんでした。娘は兵士なので毎日不安です。彼女はガザ地区の近くに配属されています」。

イスラエルのメディアは何を伝えているのか。街角で売られている新聞を見に行きました。

テレビのニュースも、ハマスに殺害された人たちや人質について大きく伝える一方、
ガザ地区のパレスチナ人の被害については、ほとんど触れていません。

報道をどう受け止めているのか、イスラエルの人たちに聞いてみると。

地元のメディアは情報が偏っているとして、みずから情報を集めているという人もいました。

「テレビは政府寄りの見方だと感じるので、自分でニュースを選んでいます」。

報道のしかたの違いについて何を思うのか

一方、パレスチナの人たちは、報道のしかたの違いについて何を思うのか。パレスチナのヨルダン川西岸を訪ねました。エルサレムから北におよそ20キロ離れた街、ラマラです。

パレスチナの人たちがよく見ている、中東の衛星テレビ局アルジャジーラは、ガザ地区の被害を詳細に報じてきました。

イスラエルのメディアがガザ地区の被害について伝えないことについて、怒りの声が聞かれました。

「イスラエルのメディアは“自分たちがテロ攻撃の犠牲者だ”と主張しています」。
「アルジャジーラなどのテレビ局はあるがままに報道しています」。

「イスラエルの報道を追いかけ、どれだけうそをついているかを見ています」。

情報発信しているジャーナリストはどのような姿勢で報道を

イスラエルでは、ガザ地区のパレスチナの民間人の苦しみは、あまり伝わっていない
印象ですが。

実はその点私もがく然としました。イスラエルではテレビ局が4つありますが、滞在中、どの局のニュース番組でも、ガザ地区で起きている人道危機の映像を見ることは
ほぼなかったんです。

こうした中で、イスラエル市民の間で、人質解放のための交渉をまとめられないネタニヤフ政権に対する批判は高まる一方で停戦そのものを求める声は少なくむしろ、人質の帰還とともに、ハマスをせん滅させるため戦闘の継続を希望する声が多く聞かれました。

メディアの伝え方だけが原因ではないと思いますが、やはり一定の影響はあるのだと
容易に想像できました。

では、実際に取材し、情報を発信しているジャーナリストは、どのような姿勢で報道を続けているのだろうかと思いました。

そこで、アルジャジーラの、ワエル・ダハドゥハ支局長とイスラエルのテレビ局・チャンネル13の、イシャイ・ポーラット記者。こちらの2人に話を聞きました。

昼夜問わずガザ地区の被害状況を伝えてきた

アルジャジーラ・ガザ地区支局の、ワエル・ダハドゥハ支局長です。ガザ地区で生まれ育ち、ジャーナリストとして長年活動。去年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃直後から、昼夜問わずガザ地区の被害の状況を伝えてきました。

現在、イスラエルの攻撃で受けたけがの治療のため一時的にカタールに滞在しています。

「10月7日私は朝、起きて仕事に行く準備をしていました。そのときロケット弾の音が聞こえてきました。これは深刻な事態になると思い、急いで服を着替え、家族にしばらく大変な時期になりそうだと伝えました。そして、家族を残し支局に向かい、現場から中継を担当しました」。

「イスラエル軍のガザ地区への空爆が始まると、住宅が狙われました。これまで何度もガザ地区で起きた衝突を中継で伝えてきましたが、今回の攻撃は、その質、量、方法がまったく違いました」。

そのおよそ2週間後。親戚の家に避難していたワエルさんの妻、息子、娘、そして孫が、イスラエル軍による空爆で亡くなりました。

「中継中、カメラを担当していたおいに電話が入りました。電話に出たおいの表情が一変したことから家族に何か大変なことが起きたんだと感じ取りました。親戚の家に向かうと、すべてが破壊されていました」。

「つらいです。誰が亡くなって、誰が負傷しているかなど、すべてを把握したあと、
自分はジャーナリストとしてどうすればいいのか、わかりませんでした」。

その後、みずからもミサイル攻撃に巻き込まれ、右腕に重傷を負います。そしてことし1月、同じくアルジャジーラで働いていた息子が、空爆で死亡しました。

それでもワエルさんは、カメラの前に立ち、伝え続けることを選びました。

けがの治療のため、ガザを離れざるを得なかったワエルさん。ケガが回復したら、すぐにガザに戻り取材を続けるといいます。

「正直なところ、検問所を通過してガザを離れた日は、とてもつらかったです。そしてたくさん泣きました。私たちにとってガザを離れるということは、一種の敗北の
ようなものであり、毒を飲み込んだような気分でした」。

「私にとって、イスラエルの占領に対するせめてもの抵抗は、ガザで抑圧されている
人々とのメッセージとともに、自分のメッセージをカメラを通して伝えることです。これがイスラエルへの私の抵抗です」。

ハマスと戦うイスラエル軍の動向を報じた

一方、イスラエル人のジャーナリストは、どのような姿勢で報じているのか。イスラエルで2番目に視聴率が高い民放テレビ局、チャンネル13。

今回インタビューに応えてくれたイシャイ・ポーラット記者です。

イスラエルでは、18歳以上の男女を対象に徴兵制があり、イシャイさんも兵役の経験があります。

「ガザ近郊にある自宅そばでキャンプをしていて娘たちとテントで寝ていました。警報が鳴りロケット弾が飛んできたので自宅にいた妻が「早く中へ」と電話をしてきました」。

ガザ地区の近くで生まれ育ったことから、イスラエル・パレスチナ情勢を中心に取材してきたイシャイさん。戦闘が始まると、ガザ地区に入り、ハマスと戦うイスラエル軍の動向を報じました。

「このような事態が起きるとは想像もしていませんでした。被害の大きさから、私たちの小さな国のために、私たち全員が戦うしかない状況だと理解しました。ここは私たちの国で、ここに住みたいと願っているからです」。

イスラエル人記者として、人質に関する報道を続けることが大切だと考えているイシャイさん。印象に残っている取材は、ハマスに人質として捕らえられ、のちに解放された9歳の男の子へのインタビューだと言います。男の子の父親と姉は、襲撃の日、
ハマスに殺害されていました。

「9歳の男の子がガザで51日間過ごしたんです。トンネルの中で、かろうじて食べ物があるような状況です。彼はすべて語ってくれました。私にとって強烈な瞬間でした」

「私たちはガザについてあまり報道していません。イスラエルの報道機関は、ある意味、動員されています。戦争のために動員されているんです」。

「新聞やテレビにはニュートラルなスタンスで報道することが、望まれているのかも
しれませんが、物事は変わってしまいました。イスラエル人、ユダヤ人にとって、この国はとても大切であるということです。これが記者としての考えにも反映されています」。

「イスラエルの報道機関は、ガザで起きていることを見せたくないのではなく、自分たちが誰なのかにフォーカスしているんだと思います」。

“戦争で最初に犠牲になるのは真実”

イスラエルの記者が「動員」と話して、ガザ地区の被害についてほとんど伝えていないと話していましたが、そういうものなのかと複雑な気持ちです。

その一方で、中立的な立場で報じる難しさもあるのではないかと正直、感じました。
イスラエルでは街なかだけでなく、たとえば、ベングリオン空港の到着ロビーでも
そうだったんですが、ずらりと人質の写真が並べられるなど、ハマスに捕らえられた
人質の帰還が、人々の最大の関心事になっています。

そしてイスラエルは、誰もが兵役につく国です。こうした状況で、イスラエルの記者たちは発信しているのです。

そして1日、新たな動きとしてイスラエル議会が、国の安全保障にとって脅威とみなされる海外メディアを一時的に禁止する法案を採択しました。

ネタニヤフ首相はXに、アルジャジーラはイスラエル国内で報道できなくなるという意向を示しています。

しばしば、戦争で最初に犠牲になるのは真実だ、と言われますよね。そうであるならばこそですが、もちろん困難なことだとは思いますが、冷静で中立的な報道が重要です。

ガザ地区で3万2000人以上が死亡し、子どもたちが餓死している事実は、報じなければならないことで、イスラエルの人たちも知るべきことなはずです。

現地で話を聞いたイスラエル人の中にも、自分たちが、ガザ地区の被害や、国際社会から非難を浴びている現実から遠ざかっていることに、警鐘を鳴らす人もいました。

同じ事柄についても、国や地域によって、物事の受け止め方や報道のしかたが異なることもあります。これを肝に銘じて、さまざまな視点を伝えることの大切さ、そして、問題の根本を見つめて報道しなければいけないという思いを新たにしました。