能登半島地震 「自主避難所」珠洲市では約2週間詳細把握できず

能登半島地震からあす(4月1日)で3か月です。被災地では自治体が指定した避難所と別に、地域の人たちが運営する「自主避難所」が多く設けられましたが、自治体によっては、地震からおよそ2週間にわたって状況を詳細に把握できていなかったことが分かり、把握の遅れをどう防ぐかが課題となっています。

災害に備えて自治体は災害対策基本法に基づき、「指定避難所」を確保していますが、能登半島地震では「指定避難所」に大勢の人が避難して過ごせるスペースがなかったり、道路が寸断されてたどりつけなかったりしたため、地域住民が別の場所に「自主避難所」を立ち上げました。

石川県によりますと、被災した13の市と町には1月21日の時点で避難所が327か所ありましたが、「自主避難所」は175か所と半数以上にのぼりました。

「自主避難所」は行政が想定していない場所に設けられることもあるため、目が届きにくく、珠洲市では「自主避難所」の場所や避難者の数、必要な支援などの情報を詳細に把握できたのは地震からおよそ2週間後でした。

市によりますと、地震のあと、さまざまな対応に追われる中で情報をとりまとめる余裕がなかったということで、支援にあたった医療関係者は迅速な支援につなげにくかったと話しています。

「自主避難所」の把握に時間がかかるケースは過去の災害でも見られ、どう防ぐかが課題となっています。

被災地で活動の医師 改善訴える

被災地で活動した医師は「自主避難所」への支援が行き届いていなかったとして改善を訴えています。

「さいたま赤十字病院高度救命救急センター」の医長を務める坪井基浩医師は1月14日から8日間、被災地の医療支援をとりまとめる「災害医療コーディネーター」として珠洲市で活動しました。

坪井医師によりますと、「自主避難所」の多くは「指定避難所」と異なり、公的な支援が行き届きにくく、地域の人たちがストーブや畳を持ち寄るなど助け合いながら運営していたということです。

また、「自主避難所」を巡回した医療チームからは、ガラスやドアが破損しているとか、新型コロナウイルスやインフルエンザなどがまん延しているといった報告が相次いだということです。

坪井医師は「『自主避難所』が生じるのはやむをえないが、速やかな支援につなげていく必要があると思う。避難者の健康や命を守るには『自主避難所』の運営や支援の枠組みを作る必要があると思う」と話していました。

岩手県岩泉町 過去の教訓から「指定避難所」増やす

岩手県岩泉町では8年前の豪雨災害で「自主避難所」が相次いで設けられ、公的な支援が遅れた教訓から、「指定避難所」を増やすことで見逃しを防ぐ対策が行われています。

2016年8月の台風10号に伴う記録的な豪雨で、岩泉町では川が氾濫し、高齢者施設の入居者9人が亡くなるなど、甚大な被害が出ました。

この豪雨災害で町内では道路が寸断されるなどして、「自主避難所」が20か所ほど設けられましたが、町がすべての「自主避難所」を把握するのに1週間かかり、物資の支援が遅れたということです。

この教訓から町は対策に乗り出し、「指定避難所」をそれまでの8か所から51か所に増やしました。

当時の「自主避難所」を含め、すべて「指定避難所」として町が管理するようになり、自家発電機や暖房器具の備蓄のほか、災害時に優先的に回線がつながる電話の整備も進められました。

「指定避難所」を増やすことで「自主避難所」が想定外の場所にできるのを抑え、見逃しを防ぐ狙いがあるということです。

一方、町の職員が避難所に行けないことを想定し、町は自主防災組織に協力を求め、避難所の開設の手順などについて勉強会や訓練を行っているということです。

岩泉町危機管理課の佐々木久幸防災対策室長は「当時は各地区が孤立し、行政が何もできなかったのが現実だった。あの時を出発点に災害への備えを進めてきたが、避難所が長期間孤立した能登半島地震の教訓もふまえ、住民主体の避難所でも中長期的に運営できる体制作りを考えていきたい」と話していました。

専門家「自主避難所を前提にした避難計画を」

災害時の避難所の運営や支援に詳しい帝京大学の坪井塑太郎教授は「自主避難所」の支援の課題は東日本大震災や熊本地震など過去の災害でも繰り返されてきたとして、「行政は法律上、『自主避難所』に避難した人にも必要な支援を行うとされているが、避難者がどこにどれだけいるのか、なかなか把握できず、医療や食料品などが行き届きにくいのが実情だ」と指摘しています。

そのうえで、「『自主避難所』にも避難者が一定数集まることを前提に避難計画などを見直すべきで、行政と住民が事前に『自主避難所』になりそうな場所を共有し、災害時の避難行動を把握しやすくできるような取り組みが重要だ」と話しています。