「造れると思わなかった…」被災した酒造会社の新酒は

「まず、造れると思っていなかったんですよ」

輪島市の酒造会社の杜氏は、新酒の味にほっとした笑顔を見せていました。

小松市の酒造会社の設備を借りて酒造りを再開、「初搾り」を迎えました。

酒造りに使ったのは、倒壊した蔵から取り出したお米です。

蔵は全壊 お米はその下に…

輪島市にある「中島酒造店」は地震で日本酒を醸造する蔵などが倒壊する被害を受け、醸造ができなくなりました。

杜氏の中島遼太郎さんは、その時の様子を振り返ります。

「蔵のほうはすべて全壊に近い状態。もともと使ってないような部分だけちょっと残ってるっていう状態で。酒の醸造に使うような蔵はすべて潰れています」

1月上旬、重機のボランティアの人たちが入ってきました。

人命救助や、道路の片づけなどが落ち着いたタイミングで、「気になっているところはないですか」と言われました。

中島さんは「実はお酒造りが始まっていて、雨が降るたびに倒壊した建物の下の米がどうなっているのか気になっている」と伝えたということです。

その後、20人ほどの方に協力してもらい、重機を使って米を運び出してもらうことができたということです。

そうやって取り出したお米の状態は。

「ずっとぬれてないかなということが心配で、開けた時にびちゃびちゃになっていたら僕は諦めたと思うんですけど、お米自体は袋に入って、埋まる前、震災前のお米と変わりない状態で出てきてくれたので。ああ、すごいよかったなあ、これでまたお酒が造れるかなと思いながら見られるくらいのいい状態で出てきた」

「ちょっと見に来んか」

しかし、米を取り出したものの、まだ道が開けたわけではありませんでした。

「お米が出てきて、でも設備がないんですよ。そのお米が出てきたタイミングっていうのは水道もない、電気もない状態。夜になったら月明かりしかないような状態で、お酒を造る道具も全部埋まってしまって、口では「あっ、作れるな」と言ってるけど全然見えないんですよ」

そんな時、金沢の酒造組合から「ちょっと休憩がてら一回外出てこんか」と声をかけられました。

被災状況を報告し、関係者と昼食をとっている時、電話がかかってきました。小松市の酒造会社の杜氏からでした。

「うちの蔵も場所を提供できるから、ちょっと見に来んか。社長もそういうふうに動いてくれとって『なんかできることないか』って言ってくれているから」

そして、小松市にある酒造会社からの支援を受けて設備を借り、2月から酒造りを再開することになりました。

「もともとつきあいがすごい深いところやったら何かあるかと思うんですが、そんなに面識もなかった中でもすごくいろいろと考えてくださって、手を差し伸べていただいたというのはやっぱりすごくうれしくて。

大変な状況で取り出していただいたお米なので、どうしてもこのお米をお酒にしたい。その時に(小松市の酒造会社の)東社長が自分でつくるように迎えたいと言ってくださって。本当にありがたかったです」

「初搾り」 できた新酒は

そして26日、新酒の「初搾り」が行われました。

蒸した米やこうじを混ぜて発酵させた「もろみ」を、酒と酒かすに分離するため搾り器にかけたあと、試飲をして味や香りを確かめていました。

「すごくおいしく仕上がっていて、その中にもうちの輪島の蔵で作っていた時のお酒の感じも少し見える、すごいいい出来に仕上がりました」

設備を貸した「東酒造」の東祐輔社長も笑顔です。

「すごい思いの詰まったお酒という感じでね、本当に味がしっかり出ていておいしかったです。やっぱりみんなの思いが詰まったお酒ですから、より一層おいしく感じたかもしれません」

「中島遼太郎くんがうちの蔵に来て2か月間、ずっと住み込みしながら酒造りしてきた。正真正銘、本当の中島くんのお酒です。中島酒造の技術と、今までの経験が全部詰まったお酒です。私らは酒をつくることしか今回は支援できなかったんですけども、今後も石川の方に遼太郎くんをどんどん応援していってほしいなと思います」

中島さん
「すごく安心した気持ちが強いです。今までどおりのことが全然できないなかで、僕の日常の中の一個の、毎年一本目のお酒を搾るっていうのはすごい緊張することで、例年感じられている緊張感をやっときょう感じることができて一安心です。このドキドキという、味わいたかったものが本当に今味わえている。すごく嬉しいです」

石川県酒造組合連合会によりますと、今回の地震で奥能登にある11の酒蔵すべてが被災し、このうち8社が県内のほかの酒蔵と協力して酒造りを行うことになっています。

できあがった新酒は、4月3日から石川県内の酒店などで販売されるということです。

(能登半島地震取材班 中山あすか)