酪農でつながる父と息子の甲子園

「もっと仕事を頑張らないと」

甲子園球場のアルプス席で声援を送っていた父親にそんな思いを抱かせました。

酪農業を営む父は高校生以来、およそ30年ぶりに北海道を離れて駆けつけていました。

アルプス席から見守った父

甲子園で行われる息子の試合の前日、深夜に大阪・堺市のホテルに到着した影山健一さん(50)

21世紀枠の別海高校(北海道)でショートを守る影山航大選手の父です。

息子の雄姿を見たいとアルプス席に座りました。

高校のある北海道別海町に隣接する地元から12時間余りかけてやってきました。

影山健一さん
「息子よりも自分のほうが緊張していると思う。エラーをしてもいいからいつもどおりに元気よく、声を出してプレーしてほしい」

「酪農の町」に隣接する地元で営む

別海町でただ1つの高校、別海。

町の基幹産業は酪農で生乳の生産量は日本一です。

人口およそ1万4200人に対して飼育されている牛の数は実に8倍の11万頭余り。

学校には酪農経営科もあり、将来、酪農に携わる人材を育成しています。

隣接する中標津町にある自宅で代々、酪農業を営む影山さんは3代目、ホルスタインをおよそ70頭飼育し生乳を出荷しています。

牛の病気を防ぐためなどから、朝と夕方の2回の搾乳を欠かすことができず、休みを確保することが非常に難しいということです。

新型コロナが感染拡大していた当時は感染対策などで獣医などを呼ぶことが難しく、1000日以上もゆっくり休むことができなかったと言います。

父の姿を見て後を継ぐ決意

そんな父の背中をじっと見つめていたのが息子の航大選手でした。

牛の世話を手伝う航大選手

忙しい中で牛と向き合い、大切に育てている父と接しているうちに自然と将来の夢は酪農家になっていました。

航大選手は野球部の選手16人で、唯一、酪農経営科に通っていて酪農の基礎や実技を学びながら野球に打ち込んできました。

チームではショートを守る

航大選手
「自分も牛が好きだということもあるが、1番は毎日働いてくれているお父さんの背中を見て格好いいと思っていた。それを引き継いでいきたいと思った」

健一さんは息子が酪農家になりたいと考えていたことをセンバツ出場に関する新聞などで知りました。

健一さん
「大変な仕事で苦労も多い。でも、酪農家になりたいと思っていてくれたことはうれしいし、一緒に頑張っていきたい」

「酪農ヘルパー」なかなか見つからず

酪農家が休暇を取るために活用しているのが「酪農ヘルパー」

不在の時に搾乳など牛の世話をしてくれる人たちです。

影山さんは甲子園で観戦するため、センバツ出場が決まったあと1回戦が行われる日程で酪農ヘルパーを探して仮予約をと考えていました。

しかし、なかなか見つかりませんでした。

「酪農ヘルパー全国協会」によりますと、去年8月の時点で専任と臨時のヘルパーは全国であわせて1492人。

酪農ヘルパーは年々減少していて、去年1年間では前の年の同じ時期に比べて79人減っていました。

センバツが開催される年度末の3月は新生活の準備などの期間と重なっていて、酪農ヘルパーの需要が増す時期で厳しい状況でした。

これまで利用したことがあるヘルパーに加えて、JAにも頼み込んで探しましたが見つかりませんでした。

ようやく見つかったのは3月11日、試合が行われる1週間ほど前でした。

影山健一さん
「見つからなければ別海町で行われるパブリック・ビューイングに行くしかないと考えていた。キャプテンが抽せんで引き当ててくれた日程のおかげで現地にいける。巡り合わせが悪ければ行くことはできなかったかもしれない」

父の観戦に感謝 大舞台でチーム初ヒット

苦労しながら観戦に来ようとしてくれている父親の姿に航大選手は感謝の思いを強く抱いていました。

航大選手
「テレビじゃなくて現地で見てほしいと思っていた。本当に来てくれただけでうれしかった」

大舞台での相手は岡山・創志学園。センバツ出場4回、去年秋の中国大会で準優勝した強豪です。

試合は序盤から相手のペースで進み4回に先制点を奪われました。

別海ナインは堂々したプレーを見せた

そのウラに回ってきた航大選手の第2打席でした。

インコースに来たストレートを振り抜いてレフト前ヒット。別海が甲子園で記録した初めての記念すべきヒットでした。

航大選手
「お父さんは自分が野球を始めたころから支えてくれていた。甲子園でプレーするとは思ってなかったと思うし、どんな顔で見ていたのかわからないけど、自分の姿を届けられてよかった。恩返しになったと思うが、まだ足りないので夏にリベンジしたい」

健一さん
「甲子園のグラウンドに立つ息子の姿を見て、込み上げるものがあった。誰もが1本打ちたいと思う中でヒットを打ったのは親としてもうれしい。今回いい経験をしたと思うのでひとまわりもふたまわりも大きくなってほしい。ふだんから頑張っていることは知っているから『頑張れ』とは言わないが、ふだんどおり練習に励んでいってほしい。一生の思い出ができた。これからもっと仕事を頑張らなくちゃいけない」

帰宅して再び牛の世話

試合は初戦で敗れましたが、健一さんは航大選手に会うことなく球場を後にして北海道に向かいました。

急いで帰るのには理由がありました。3日後に出産を控えている牛が2頭いたからです。

関西の滞在はわずか17時間でしたが、かけがえのない1日になりました。

(甲子園取材班 櫻澤健太)