愛子さま 大学の卒業式に出席【卒業にあたり文書 全文掲載】

天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは20日、学習院大学の卒業式に出席されました。

愛子さまは、午前9時すぎに、東京・豊島区にある学習院大学のキャンパスに登校されました。

桜色の振り袖に紺色のはかま姿の愛子さまは、報道陣から「大学生活を振り返られていかがですか」と声をかけられると、「最初の3年間はオンライン授業で、最後の1年はこのキャンパスに通い、たくさんの新しい学びを得て、充実した4年間を過ごすことができました。素晴らしい先生方や友人たちと出会えたこともうれしく、またありがたく思っております」と笑顔でこたえられました。

そして、文学部の同級生らとともに学部ごとの卒業式に出席したあと、教室に移って日本語日本文学科の学位記授与式に臨まれました。

側近によりますと、愛子さまは式のあと「卒業したという実感がわきました」と話し、友人たちと笑顔で懇談されていたということです。

愛子さまは日本文学などへの学びを深め、中世を代表する女流歌人の式子内親王とその和歌の研究をテーマに卒業論文を執筆されました。

福祉活動全般に関心を持ち、大学では福祉の授業も履修したということで、来月からは皇族としての務めと両立しながら、日本赤十字社で非常勤職員として勤務されます。

「学びの多い日々であったことを感じます」

愛子さまは大学を卒業するにあたって、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せられました。

この中で愛子さまは、「4年間の大学生活を振り返ってみますと、中学や高校の3年間かそれ以上にあっという間だったように感じられる一方で、一日一日は非常に濃く、学びの多い日々であったことを感じます」と振り返られました。

さらに、コロナ禍とその後の転換期を経験し、以前は当たり前だったことがいかに尊いものか実感する学生生活でもあったとしたうえで、「高校までの友人たちとの嬉しい再会とともに、大学入学後の新たな友人たちとの交流も始まり、学年の枠を越え、友人たちと一緒に授業を受けたり、直に話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました」とつづられました。

また、将来的な海外留学や大学院進学の希望についての質問に対し、「将来の勉学については、現在のところ具体的には考えておりませんが、来月より日本赤十字社の嘱託職員として勤務させていただくことになりましたので、皇族としての務めを果たしながら、社会人としての自覚と責任を持って、少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております」とこたえられました。

宮内記者会からの質問と愛子さまの回答全文

学習院大学卒業に際しての宮内記者会からの質問と愛子さまの回答の全文です。

宮内記者会からの質問

大学卒業を迎えられる現在の心境はいかがでしょうか。

4年間の大学生活を振り返り、特に印象に残った出来事やご友人との思い出、卒業論文の内容や執筆で苦労された点などをご紹介ください。

将来的な海外留学や、大学院進学の希望はお持ちでしょうか。

愛子さま 回答全文

回答に先立ちまして、今年1月1日に発生した能登半島地震で多くの方が亡くなり、また、被災され、今も9千人を超える方が避難を余儀なくされていることに胸が痛みます。

亡くなられた方々に深く哀悼の意を表し、御遺族と被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。

寒さも厳しい中、被災された皆様の御苦労はいかばかりかと思います。

大変なことも多いと思いますが、今後、一日も早く平穏な日常が戻り、復旧・復興が進んでいくことを切に願っています。

この度、学習院大学文学部日本語日本文学科を卒業するに当たり、まず、お世話になりました先生方や職員の皆様を始め、大学関係者の方々、日頃から温かく接してくれた友人、そして、大学生活をそばで支え、見守って下さった天皇皇后両陛下に、心からの感謝をお伝えしたいと思います。

4年間の大学生活を振り返ってみますと、中学や高校の3年間かそれ以上にあっという間だったように感じられる一方で、一日一日は非常に濃く、学びの多い日々であったことを感じます。

思い返せば、新型コロナウイルス感染症の蔓(まん)延と同時期に始まった大学生活でした。

経験したことのないオンライン授業、インターネット上での課題の授受など、最初は操作も分からず、不慣れな手つきで恐る恐る画面を開き、授業を受講していたことを懐かしく思い出します。

先生方や学校関係者の方々にとっても、初めての試みで苦労されることも多く、試行錯誤の毎日であったことと思いますが、皆様の御尽力によって、自宅で授業が受けられる環境を整えていただいたことは、とても有り難いことでした。

感染症の流行が徐々に落ち着いてきた中で、4年生からは大学のキャンパスに足を運べるようになりました。

キャンパスでの学生生活では、先生やほかの学生さんたちと、教室で同じ空間や同じ時間を共有しながら授業を受けることや、授業で出された課題に取り組むべく、休み時間に図書館や研究室に調べ物に行くこと、そしてまた、友人たちと対面で交流することができるようになりました。

その転換期を経験し、以前は当たり前であったこれらのことがいかに尊いものであるのか、実感することとなった学生生活でもありました。

高校までの友人たちとの嬉しい再会とともに、大学入学後の新たな友人たちとの交流も始まり、学年の枠を越え、友人たちと一緒に授業を受けたり、直に話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました。

また、中世の和歌の授業を履修する中で、和歌の美しさや解釈の多様さに感銘を受けたことから、大学における学業の集大成として書き上げた卒業論文では、中世を代表する女流歌人の一人であった式子(しょくし)内親王とその和歌を扱い、「式子内親王とその和歌の研究」という題で執筆を致しました。

調べる資料や範囲が膨大で、一つのことを調べていると、次から次へと調べなければならない事柄が出てきてなかなか終わらず、特に締切りが近づいた昨年末は、気が遠くなるような毎日を過ごしておりました。

また、作成する文章の量が、授業で課される普段のレポートに比べて遙かに多かったため、註(ちゅう)を付ける作業など、論文としての体裁を整えることにも時間を要しましたが、指導教授の先生からのアドバイスと心強い励ましのお言葉、研究室の皆様の温かいサポートを頂き、無事に提出できた時には、ほっとした気持ちと同時に大きな達成感がありました。

御指導頂いた先生方を始め、関係していただいた皆様に深く感謝しております。

将来の勉学については、現在のところ具体的には考えておりませんが、来月より日本赤十字社の嘱託職員として勤務させていただくことになりましたので、皇族としての務めを果たしながら、社会人としての自覚と責任を持って、少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております。

感染拡大の影響が続く中での学生生活

愛子さまは、令和2年に、新型コロナウイルスの世界的大流行が加速する中で大学に入学し、感染拡大の影響が続く中で4年間の学生生活を送られました。

進学されたのは、天皇陛下も学ばれた学習院大学文学部。

感染拡大のため入学式は中止となり、東京・目白にある大学に初めて通学されたのは、この年の10月でした。

マスク姿で報道陣の取材に応じた愛子さまは、この時、「半年遅れではありますが、キャンパスを実際に訪れ、先生方や学生の皆さんにお会いできることをうれしく思います。大学では新しい知識を得たときに感じられる喜びを大切にしながら、さまざまなことに取り組んでいければと思っております」と抱負を述べられました。

オンラインによる授業が続く中、愛子さまは、日本語日本文学科で日本語学や日本文学などの専門科目のほか、歴史や英語など幅広い科目を学ばれました。

第二外国語はスペイン語を選択し、課題やレポートを提出するなど忙しい毎日を送られました。

2年生になった令和3年4月には、1年遅れの入学式が行われ、愛子さまは赤坂御用地内のお住まいからオンラインを活用して臨まれました。

この年の9月には、天皇皇后両陛下とともにお住まいを皇居の「御所」に移し、新たな生活を始められました。

12月には、20歳の誕生日を迎えて成年皇族となり、翌年(令和4年)の元日には、成年の行事後初めての公務として皇居・宮殿で行われた新年祝賀の儀に参列されました。

この年の3月には、初めて記者会見に臨み、当面は学業が優先になると前置きしたうえで、「一つ一つのお務めを大切にしながら、少しでも両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできるかぎり、精いっぱい務めさせていただきたい」と話されました。

日本語のルーツや文法、それに日本文学を学ぶ専攻を選んだ愛子さまは、3年生になってからもオンラインを中心に授業を受け、「源氏物語」や「新古今和歌集」、「奥の細道」などさまざまな古典を学んで、日本文学への関心を深められました。

そして、去年(令和5年)4月、4年生になると、愛子さまは大学のキャンパスで対面での授業を受けられるようになりました。

4年生として初めて登校した際には、報道陣の取材に対し、「大学最後の1年間、この緑豊かなキャンパスで良い学びができましたらと思っております」と笑顔で話されました。

この1年、オンライン授業の間には味わうことのできなかった大学の活気を肌で感じながら、日々の授業や課題に熱心に取り組み、卒業論文の執筆などで忙しい中にも充実した日々を送られたということです。

卒業論文のテーマは中世の和歌で、平安から明治にかけての文学や和歌などの文学への学びを深め、大学の書庫や図書館で資料を集めながら執筆されました。

また、福祉活動全般に関心を持ち、大学では福祉の授業も履修されました。

両陛下が日本赤十字社の社長から活動内容の説明を受けられる際に同席し、両陛下とともに日赤の本社を訪れて関東大震災での救護活動を振り返る企画展を鑑賞するなど、日々の学業を優先しながらも両陛下とともに公務に臨まれる機会が増えていきました。

こうした中、ことし1月には、日本赤十字社への就職内定が発表され、愛子さまは、「日頃から関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思うと同時に、身の引き締まる思いがいたします。これからもさまざまな学びを続け、一社会人としての自覚を持って仕事に励むことで、微力ではございますが、少しでも人々や社会のお役に立つことができればと考えております」と側近を通じてお気持ちを述べられていました。

指導教授「さらなるご活躍を心よりお祈り申し上げます」

愛子さまの卒業論文の指導を担当した日本の中世文学が専門の中野貴文教授が卒業式を前に取材に応じ、「ともに文学を読み、議論を重ねられたことを本当にうれしく思っています。さらなるご活躍を心よりお祈り申し上げます」とはなむけのことばを述べました。

中野教授は、この1年面談による個別指導を重ねてきた愛子さまについて、「朗らかな人、明るい方、そして粘り強く真摯(しんし)な方というのが、指導教員としての私の印象です。着眼点の新しさや論の確かさなどももちろんですけれども、最後まで自分のことばで多くのことに目配りしながら配慮した文章を書こうとする真摯な姿勢が非常に印象的です」と話しました。

また、「古典文学を受け継ぐということがどのようなものかという議論を重ねる中で、ただ守るのではなく今の私たちの表現や生活にいかすことだということが何度も話題にのぼりました」と振り返ったうえで、膨大な先行研究がある日本の古典文学や和歌文学は、これまでどのように論じられ今何が問題になっているかということにきっちり向き合うことが重要で、愛子さまの論文は特にそこが優れていたと述べました。

そして、「私が紹介した資料や論文などを丁寧に読み込まれ、またみずからのことばで粘り強く論じられたと思います。完成した論文は、和歌文学研究の今日的課題をよく理解されたうえでさらにご自身のオリジナルな見解を加えたすばらしいものだったと思います」と語りました。

さらに、「ご卒業、ご就職、おめでとうございます。コロナ禍においても真摯で粘り強く学問に向き合ってこられました。それは、知的な好奇心にあふれ、常に誠実で、何事にも朗らかに向き合ってこられたからだと思います。ともに文学を読み、議論を重ねられたことを本当にうれしく思っています。さらなるご活躍を心よりお祈り申し上げます」と話しました。