佐野史郎 がん闘病・役者としては“楽しかった”

俳優・佐野史郎さん。
1992年のドラマで「冬彦さん」を演じ、一躍時の人となりました。役者を志した理由は「虚構の世界を生きたいから」。そこには少年期を過ごした松江での出来事や経験が大きく影響していました。3年前、「血液のがん」と呼ばれる大病を患い、生死をさまよった際も、苦しい治療を「虚構の世界のこと」と捉え、乗り越えたと言います。
この冬には、念願だったふるさと島根・松江でのドラマ撮影に臨んだ佐野さん。俳優の道を歩み始めて50年。佐野さんの「ここから」とは。
(聞き手・取材:北野剛寛アナウンサー)

命の危機 俳優としての“本能”で乗り越え、気づいたことは

数々の映画やドラマに出演するなど、順風満帆な俳優人生を送ってきた佐野史郎さん。しかし、3年前、病に倒れます。血液のがんと呼ばれる「多発性骨髄腫」におかされました。2か月に及んだ入院治療で、体重は10キロ以上も減ったそうです。

退院直後の佐野さん

(北野)
当時の状況を教えてください。
(佐野さん)
昔だと不治の病なので、ああそうなんだって思いましたよね。まあでも、そんなにガーン、ショックとかっていうことでもなく、先生に「多発性骨髄腫です」って告知されたとき、病名は理解して。お医者さんの物言いとか僕の反応のしかたも、これまで医者の役とか患者の役をやってきて、「その演技がちょっと違っていたんじゃないかな」とか。「実際はあんなに過剰に演技をしてはいけなかったんじゃないかな」とか、そんなことを考えてですね。

しかし、敗血症を併発し、一時は危険な状態に陥りました。死も意識したという佐野さんを救ったのは、俳優としての「本能」とも呼べるものでした。

(佐野さん)
それはしんどかったけど、あまり思い出したくないのが、今でもあるんでしょうね。あんなに…いやあ敗血症はつらいですよ、のたうちまわるというのはあのことだけど。もう連日、38度、39度、40度の時は、それはもうしんどいですよ。それが2週間も続いたらねえ。その時はやはり、死を意識しましたよね。このまま…、どうやっても、抗生剤が効かない、種類変えてもなかなか、原因が分からないなんて言われたときは、だめなのかなと一瞬思いましたけどね。でも暗くなったりしたことは一度もなかったんですよね、その時は、闘病中は。とにかく一つ一つクリアしていかなきゃという。前向きっていうよりもやることがはっきりしていたので、具体的に。
それで、途中から「撮影現場のようだな」と思いだして。主治医の先生が監督で、看護師さんや技師さんがいて、撮影部がいて、録音部がいて、照明部がいて、衣装さんがいて、メークさんがいて、みたいなのと一緒。同じように、リハビリの先生がいたり、研修医がいたり、助監督がいるみたいな。「全く撮影現場と一緒じゃん」と思いながら、それで一つの病気をみんなで治していくっていう、作品づくりの作業と一緒だったので。僕は出演者であることには変わりないので、ふだんと同じ仕事をしている感じでしたよ。いい仕事の現場で、みんなでスタッフと腹割って話し合いながら、監督とも「このシーンのことどう思う?」みたいな、本当に一緒ですよね。プロデューサーと話したり。なのでものすごく充実していきいきとしていましたよね、むしろ。変な言い方ですけど。
(北野)
さすがにでも、だめかもと思ったときは。
(佐野さん)
弱気になったときは「早く楽にしてくれ」って一回思いましたよね、あまりにもつらいので。でも、「いや、まだまだだ」とも声に出して言ったんですよね。それはもう、やっぱり生きたいという思いが強くあったんでしょうね。でも、生きて、早く仕事に復帰したいとかそういうことじゃない、ただ生きたい、生きたいって思っただけで。
「だめかなあ」って思ったときは、もうだめでもいいから、一日家帰って、風呂入って、家族でご飯食べて、ビール飲んで、そうしたらもうそれでいいですからっていうのは思いました。病院にいるより、「ちょっと一回家帰らしてくれない?」ってやっぱり思うんだよね。それはなかなかリアルでしたよね。そこになんか、一番の望みがそれなのって、「日常」じゃないですか。なんでもない、そのことのありがたさ、みたいな。

念願だったふるさと島根発のドラマ

1年に及ぶ治療の中で、「日常のありがたさ」に気づいたという佐野さん。
去年12月からは、ふるさと松江で、地域発ドラマ「島根マルチバース伝」の撮影に臨みました。佐野さんが演じるのは、俳優になる夢がかなわず、日常に不満を持ちながら松江で暮らす主人公・ひかりに「別の人生」を見せる、怪しげな店主です。
今回のインタビューは、その撮影地でもあるお店で行いました。

ドラマで佐野さんが店主を演じた、松江市内に実在するバーにて

(佐野さん)
また来るとは思わなかった(笑)。いいですよね、ロケーションね。
(北野)
見事に宍道湖も見渡せますもんね。撮影はいかがでしたか?
(佐野さん)
楽しかったですよ。昔から地元でドラマが撮れたらなあみたいなことはずっと思っていて。それに自分が現実もフィクションとして捉える癖があるし、実際捉えているし、ドラマがそういう内容じゃないですか。何か特別なことが起きるというよりは、日々日常を、当たり前を過ごしていける幸せみたいなことがね、じわりと伝わりましたよね。これは視聴者のみなさんと共有できたらなと思うし、今いちばん大事なことなんじゃないかなと思いますよね。なんか終盤ちょっと涙ぐんじゃったんだよね、俺、不覚にも(笑)。主人公のひかりが、けなげでね。俺はそれでいいんだと思ったんですよ、それでいいんだっていうか、それがいいんだっていう。日々の何でもないこと、過ごしていること、別に演劇がまたできるようになって良かったっていうことじゃなくて、やってようがやっていまいが、ふてくされていようが、とにかくそうして日々いるっていうことの密度というか、それが感じられたので良かったなと思いました。

“虚構の世界”に引き込まれた松江

そんな佐野さんの俳優としての「資質」は、高校生までの多感な時期を過ごした島根県松江市で育まれました。

(佐野さん)
まあまっすぐ帰らない。遅刻ギリギリ、いつも(笑)
(北野)
どこに寄っていたんですか?
(佐野さん)
松江城のお堀を渡って、殿町のほうに行くんです。その向こうにレコード店があって、そこに毎日行っちゃうんだよね、“ビートルズどっぷり”の時ね。劇場で映画見て、レコードを試聴して、書店で本読んでの繰り返しですね。まあまっすぐ帰らない。

この日は鳥取県の大山(佐野さんの右手横)も望めるほどの晴天

(佐野さん)
松江大橋を自転車で渡って、渡り切った南の角の所に、今は空き地になっていますけど書店があって。小学生の時に父親に連れられて、その書店に入って、江戸川乱歩の「電人М」を日曜日に買ってもらったんですよね。それがいけなかった。それで“どはまり”して。あれはほんとに幸せですよね。読書のあの幸福感を知っているのがいけないんだろうなあ。

佐野少年は、江戸川乱歩の少年探偵シリーズなど、冒険小説や幻想的な物語の世界に心を踊らせます。

(佐野さん)
そこに学校の勉強よりのめり込んじゃうものだから、やっぱりまねするんですよね。布団にくるまって、怪獣みたいにガオーとか遊んだりもしますよ。その時期の刷り込みがいけなかったね、たぶん、振り返れば。「虚構の世界に生きたい」って。現実逃避といえばそうなのかもしれないけど、おもしろいからね、おもしろい世界に生きていたいっていうことの時間が、やはり物心ついたときから長かったんじゃないかな。まあ今でもそうですけどね、今でもそうですよ。

物語の世界に強くひかれた理由、そして今の自分の人格を形づくった、大きな体験があったと、佐野さんは語ります。

(佐野さん)
これは原体験の中で、僕の身体感覚の大きな分岐点だと思っているんですけど、「自分が今生まれた」って思った日のことを覚えているんですよ。それは物理的に母親から生まれたっていうんじゃなくて、3、4歳の頃だったかなあ。ふづくえの前で、すりガラスを前にして、妄想というかボーっとして、座って何か考え事をしていたんですよね。天井の隅っこぐらいから、ちょっと幽体離脱的な感じだけど自分の姿が見えて、入っていったんですよね、自分の体の中に。それでスッと入ったときに「あ、いま生まれた、忘れないようにしよう」って思ったときの瞬間をよく覚えている。それを忘れないようにしようって思ったので、ずっと忘れないでここまできているわけですけどね。
(北野)
それっていま俳優で、「虚構と現実」というところをおっしゃっていたじゃないですか。何かその原体験とずっとつながっているところもあるんですか?
(佐野さん)
分からないですけどね。ただ何か、自分でたどっていくと、あれはやっぱり大きな、ものの見方というか感じ方の根っこにある大きな事件だったような気がしますけどね。

作品の「死生観」に共感するという小泉八雲の記念館で

個性派俳優はこうして生まれた

佐野さんは江戸時代から続く松江の開業医の長男として生まれました。周囲からは、跡を継いで医者になるものだと思われていました。
しかし、その期待に反して、佐野さんは俳優への道を志します。

(北野)
当然まわりは跡取り、お医者さんという意識がある中で俳優を志したわけですよね。どうしてだったんですか?
(佐野さん)
その5代目として重責に耐えられなかったんでしょうかね。あとは物理的にはお勉強できなかったからですよね。学校のお勉強できないから、できないのか、しないのか。その代わり興味のあることはすごく夢中で、読書はすごくするほうだったし、好きなものは熱中していたけど。興味のあることはね。だけどそれをやらなきゃいけないって言われるとね。
(北野)
お父様からの反対はなかったんですか?
(佐野さん)
いや、ありましたよ、それはもう。父の兄弟とか全員医者、おばさんたちは全員医者の家に嫁いでいったので。新年会とかずっとおせちを囲みながら病気の話をしているんですよ。まあそれは当たり前だと思っていたけど。全員、医療関係というか医者なので、そうじゃない職業のこととか、おいっ子・めいっ子や息子がほかの仕事に就くとかっていう仮定の話も出てこないわけです、医者になる前提で。それで、高校生の時にやはり、文科系に進んじゃったとき、親族会議とか開かれてね、ちょっとつるし上げられたことがありました。
(北野)
つるし上げられたんですか?
(佐野さん)
つるし上げられてもなあ、できないものはできないしなあっていう。なので、反対するっていうか、もうあきらめだったんじゃないですか。こちらとして助かったのは、医者にならなきゃ、勤め人になろうが、何しようが一緒っていう風潮が親族全体にあったんです。
(北野)
医者以外は自由?
(佐野さん)
自由っていうか、誰にも喜ばれない。僕はやっぱり、子どもの時とか学校の時もそうだけど、目標を定めてそれを達成するためにコツコツ努力して目的を達成した、「やったあ」っていう喜びがあまり感じられなかった。だからなかなか押し付けられた、学校のお勉強にしても教育にしても、これをクリアしなきゃいけないみたいなことは、どうも、何かモチベーションが上がらなかったんですよ。「やったあ」とかってあんまり思えないし、スポーツなんかでも、遊びでサッカーとかフットサルみたいなことをいっときやっていたこともあるけど、ゴールしてもあまりうれしくないんですよね。
(北野)
めずらしい子どもですよね。
(佐野さん)
それはもう大人になってからだと思うけど、何かひと事なんだよね。本当に正直に話していると思うけど、正直に話しているつもりですよ。

そうして幼少期から育まれてきた独特の個性が、「俳優・佐野史郎」を形づくりました。「冬彦さん」に代表される、“クセのある役”や“悪役”として、存在感を発揮します。

(佐野さん)
元々僕の資質というか、そういうものに呼応してヒーローよりも「虐げられた人」に感情移入をどうしてもしてしまう。なので、冬彦の時はそれが爆発した感じじゃないですかね。彼の言い分をとにかく聞いてやってくれっていう思いでしたよね。
(北野)
冬彦もそちら側の人間?
(佐野さん)
それはそうですよね。そういうふうに書かれているし、世の中の反応もそうだったし。けれども現実の世の中はどうかって言われたらあんな人だらけでしょ。普通の人じゃんって。「だらけでしょ」というのはちょっと言い過ぎか(笑)。ちょっと横を見たらああいう人たくさん普通にいるじゃないですか。普通の男性ですよ。なんでそんなに言われなきゃいけないの。普通に家庭を営みたいと思ったのに、何でそんなに母親に言われなきゃいけないの。ほっといてくれよ。じゃあなんでそんな人間が生まれてきてしまったのかっていうことを解き明かしていく、役柄としてね。
(北野)
虐げられるもの、悪役、そっちにひかれるのはどうしてなんですか?
(佐野さん)
一方的なものの見方に納得がいかないからですね。これが正しいという価値観のもとで全員が動きなさいって言われるのが。子どもの時からの、「与えられた目標をクリアするのが美徳である」っていうところに、「えっ?」って違和感がある。そういう一方的な価値、これが正しいって言われている価値観ですべてを推し進めようとする、それはどんな価値観であれね、それにはやっぱり異を唱えたいので、反対側の立場も同様に耳を傾けたいんですけどっていうことですよね。それが自分の俳優としての生き方だろうし、自分が生きている訳、生きているという実感が得られるからかもね。結局自分がここに存在して生きているということを感じる、知るには探り続けるしかないという。

佐野史郎さんの“ここから”とは

ことし、佐野さんは俳優として歩み始めてから50年を迎えます。

(北野)
佐野さんにとって、ここからは?
(佐野さん)
お、うーん。ここから…どうなるんですかね。

(佐野さん)
ここからまた探り続けるとしか言いようがないんですけれども、まあ、夢というよりも、目の前の一つ一つのことをあきらめることなく、今、きょうできることをただやるだけ。その積み重ねが、結果がどうなるかは、これからは分からないです。ここからをどうしたいということはないですよね。こうありたいっていうのはありますけどね。これだけ大病を患って、死を意識せざるを得ない時期もあったりして、この先もね、今は寛解していますけれども、再発する可能性だってなくはないし、先のことは全く分からないですけれども、でも、あんな大病をしていたのに、結構長く生きて、「まだ仕事してやがる、あのジジイ」みたいな、そういう夢はあるかな。