池江璃花子“第3章”のパリオリンピックへ【解説】

「個人でパリにいくことが大事だった。とにかくうれしいということばしか出てこない」

競泳 女子100メートルバタフライでパリオリンピックの代表内定を決めた池江璃花子選手。目標としていた個人種目でのオリンピックの切符をつかみ、池江選手にとっての競泳人生 “第3章”のスタートとなりました。
(スポーツニュース部 記者 松山翔平)

「4年前の自分に伝えたい。ちゃんとパリに行くよって、その先もあるけど、そのために一生懸命努力してきたよって」

今大会が開幕した17日、池江選手がみずからのSNSに投稿したことばです。

白血病を公表したあと、初めてプールに入ったのがちょうど4年前の3月17日。

その節目の日にパリへの決意を示しました。

“1発勝負”の代表選考。

池江選手はある思いを持って、この大一番に臨みました。

“第3章”が始まったみたいな感じ。第1章は高校生までの自分、第2章は病気から復帰した時の自分、第3章は本気で個人種目でパリオリンピックに向かうこと。今回は、そのためのスタート台に立つことだと思っている」

高校生でリオデジャネイロオリンピックに出場し、さまざまな日本記録も塗り替えてきた池江選手。

東京五輪はリレーメンバーで出場(2021年)

2019年に白血病と診断されたあと、およそ10か月の入院生活などを経てレースに復帰し、東京オリンピックにはリレーメンバーとして出場しました。

そして闘病から復帰したときから思い描いていたのが、パリオリンピックでの個人種目での出場です。

池江選手は大会前、その決意を語っていました。

「復帰してから、絶対にパリに行くと心の中で強く思っていた。自分はここでパリに行かなきゃいけない。そこはあえて自分にプレッシャーをかけている」

そのために、新たな環境にも身を置きました。

去年の秋にオーストラリアに練習拠点を移し数々の有力選手を育てたマイケル・ボールコーチから指導を受け始めたのです。

厳しいメニューが課され、課題だった前半のスピードも改善し、振り返ると…。

「拠点を変えてからすごくきつい練習も乗り越えてきてやるべきことはやってきた。競泳を始めてからおよそ20年間、ここまできついことをやったことはないなというくらい、この数か月間はきつかった

これまでは病気の影響で日光に当たることが制限されてきたということですが、屋外プールでの泳ぎ込みで日焼けした肌が、その充実した時間を表しているようでした。

今回、日本に帯同しているジャネル・パリスターアシスタントコーチは…。

ジャネル・パリスター アシスタントコーチ
「最初は不安が顔に出ていたが、新しい環境で楽しく強化ができ、自信を持てるようになったことが大きな変化だ」

迎えた代表選考の大会本番。

池江選手は予選から、57秒54という病気からの復帰後、自己ベストのタイムをマーク。

さらに準決勝では、予選よりさらに0秒51、タイムを更新してトップ通過で決勝へ進み「やってきたことが力になっている」と手応えを語っていました。

そして決勝。

作戦どおり、前半から仕掛ける積極的なレースを見せ、隣のレーンで泳ぐ17歳の新星、平井瑞希選手との激しい競り合いのすえ、2位で派遣標準記録を切り、悲願だった個人種目でのオリンピックの代表内定をつかみました。

レース後、池江選手は晴れやかな表情で語りました。

「久しぶりに、高校生の時以来、レースが楽しみでわくわくして、何秒が出るんだろうという気持ちになった。そういう気持ちを取り戻せたことが大きな収穫だった」

そのうえで次を見据えています。

「56秒台は出せるなという手応えはつかんでいる。自分は本番に強いタイプなのでその気持ちは忘れずに、自分を超えられるのは自分しかいないので、そこを信じていきたい。もっともっと上に行きたい」

力強さと自信を取り戻し、競泳人生の“第3章”を歩みだした池江選手。

パリの舞台でどんな1ページを刻むのでしょうか。

池江選手がオリンピック代表内定を決めたレースは【NHKプラスで配信中】↓↓↓※2024年3/25(月) まで