明治時代創部 119年の歴史 耐久 甲子園初出場 地元は大騒ぎ

江戸時代末期に創立された歴史ある耐久高校(和歌山)が春夏通じて初めて甲子園に出場します。歴史的な快挙に地元は大きく盛り上がり、OBが手作りの後援会を設けてバックアップしています。

その中心はあの名投手の弟、学校だけでなく歴代のOBたちにとっても初めての大舞台です。
(和歌山放送局 記者 隈部敢)

創立はペリー来航の前年!快挙に地元は大盛り上がり

耐久高校の地元、和歌山県湯浅町はセンバツ高校野球の話題で持ちきりです。

郵便局や旧駅舎などいたるところに野球部の初出場を祝う横断幕や看板が飾られています。

創立は1852年、江戸時代の嘉永5年にまでさかのぼります。

実にアメリカのペリー提督が黒船を率いて来航する前の年、野球部の歴史も古く明治時代に創部され119年です。

OBが立ち上がる 東尾修さんの弟も

「快挙を成し遂げた選手たちを応援したい」

後援会の事務局長 東尾庄治さん

歴代のOBが立ち上がって校内に『特別後援会』を設けました。

手作り後援会の中心は事務局長を務める東尾庄治さん(70)。

プロ野球の西武で活躍し通算251勝を挙げた名投手・東尾修さんの弟です。

東尾修さん(2010年)

東尾さん兄弟は和歌山県出身。

修さんは耐久高校と当時、同じ学区の箕島高校のエースとして甲子園に出場しました。

庄治さんは耐久高校の野球部で活動し、卒業後は地元の中学校の教師として子どもたちの成長を見守ってきました。

町民の40%近くが高齢者の地元でセンバツの出場が決まり、庄治さんは町が少しでも活気づいてくれればと願っています。

東尾庄治さん
「箕島高校は私たちが高校3年生の時に初めてセンバツで優勝、それから箕島時代が続きました。活気のある時代で有田地方も元気がありました。それが今は産業も少なくなったりと停滞していて、耐久のセンバツ出場をきっかけに地元の皆さんが力強く頑張っていただければ」

選手たちに届けたい

「野球部の全選手19人に町民の思いを届けたい」

特別後援会がまず計画したのはアルプス席での『人文字』での応援。

スクールカラーのえんじ色を使って、地域の人や在校生で「耐久の『T』の文字」を描こうというのです。

そのために「えんじと白の2色の帽子」や「ジャンパー」などの応援グッズ 3500組を作りました。

さらに町民にアルプス席で応援してもらおうと、およそ2300人のバスツアーを決めました。

甲子園球場にバス57台で駆けつける予定です。

募集をしたところ希望者が殺到し、すぐに枠がいっぱいになりました。後援会の想像を超えるほど町は盛り上がっていたようです。

OBたちもてんやわんや

今月8日の組み合わせ抽せんの結果、耐久高校の初戦は大会3日目の第3試合に決まりました。

日程が予定どおりに進めば12日後に試合。後援会の準備はさらに慌ただしくなりました。

アルプス席へのツアー募集は代理店を介さずに後援会だけで行ったため、出欠の確認など1つ1つの連絡も後援会が行う必要があります。

活動するOBの中には拡大鏡をかけるなどして電話番号を1つ1つ確認し、参加者に電話をかける作業を続けました。

後援会の人たちは定年退職をした高齢者がほとんどですが、OBたちにとっても憧れの舞台です。

力を結集しても確認作業には2日間かかり、さすがに疲れの色が見えていました。

OBの1人
「もう僕ら目が悪い人ばかりなので。大変です。疲れます」

OBの1人
「気分的に疲れます。間違いなく連絡できるかどうか。喉も疲れます」

その一方で…

OBの1人
「ありがとうとか、お礼のことばや励ましのことばをかけてくれてやりがいあります」

東尾庄治さん
「久々の仕事という感じですね。僕たちも甲子園ですね、青春しています。自分たちでバスを借りてアルプス席で同窓会をしようというグループもいるようで、話に聞いています。それだけの盛り上がりというかパワーを感じている」

後援会の熱心な活動に、地元の企業や生徒もサポートしてくれました。

応援用のステッカーも

シール会社を営むOBが応援グッズにしてもらいたいと、美術部の生徒と共同で作ったステッカーを4000枚も無料で作ってくれたのです。

選手たちの気持ちも高まってきました。

選手
「朝、学校の近くで会う人に『頑張って』とか言われることが増えました。応援の力はすごいと思っているので、期待を裏切らないように」

選手
「持てる力を出し切りたいと思います」

東尾庄治さん
「選手たちがスタンドを見た時『応援してくれているな僕たちも頑張ろう』と思ってくれればいいかなと思って」

見守る“20人目の選手”

OBにとっても初めての大舞台、19人の後輩たちと一緒に戦いたいとスタンドで着るグッズも作ることにしました。

それが背番号「20」のTシャツです。

歴代のOBで大舞台に挑む後輩たちの背中を後押ししていこうというのです。

東尾庄治さん
「チームの20番目の選手として アルプスで一緒に戦ってるよ。俺たちがついてるぞ、そういう気持ちですね。甲子園では緊張するでしょうし、緊張する中で自分たちの力を発揮してくれれば。試合の勝ち負けはさておき、それが私の一番の願いですね。地元の人たちに初出場で甲子園でプレーできる、そうした姿を目にして『自分たちでもできるんだ』とか『有田地方も頑張ろうよ』と思ってもらえるように少しでも力になれればいいかな」

(3月14日「ギュギュっと和歌山」で放送)