カップ麺と菓子パンだけじゃつらいから… 野菜を作って備える

カップ麺と菓子パンだけじゃつらいから… 野菜を作って備える
「災害時の備え」と聞くと、水の備蓄や、非常袋を用意することなどを思い浮かべる方が多いと思います。

しかし、自宅を離れて避難生活を送る上での備えまでは、なかなか想像がつかないのではないでしょうか。

避難生活が長引いた時に懸念される問題の一つに、「栄養不足」があります。偏った食事が続き、体調を崩すことも少なくありません。

こうした問題を解消するため、“野菜を作って備える”という取り組みが始まりました。
(松山放送局 ディレクター 田村夢夏)

毎日インスタント食品では…

東日本大震災や、能登半島地震のように、大きな災害が起きると、避難生活も長引くケースが見られます。

手に入る食料が限られる中で頼りになるインスタント食品や菓子パンは、手軽にエネルギーを補給できますが、長期間、毎食摂取し続けると、どうしても栄養が偏りがちになってしまいます。
ただでさえ、ストレスや疲労を感じやすくなる災害時。

栄養が不足すると、感染症のリスクも上がり、偏った食事によって、高血圧のリスクも高まるといいます。

災害時の栄養不足は、命の危機に直結することもあるのです。

“備菜”で災害時の野菜不足解消へ

そんな問題を解消しようと、愛媛県の南部に位置する宇和島市である取り組みが始まりました。
キャベツや白菜、ブロッコリーなど、立派に育った野菜がずらりと並んだ畑。

これらは、災害時のために育てられている野菜です。

栽培しているのは、「BISAI-FARM」というNPO団体です。

“野菜を備える”という意味をこめた“備菜”に由来しています。

代表の林昭子さんは、防災士の資格を持ち、地域の防災に関する活動に力を注いできました。

去年、東日本大震災の被災地で行われた女性防災リーダーの研修会に参加した際、避難先で野菜が不足し、体調を崩す被災者がいたという話を聞き、備菜農園を思い立ったといいます。
BISAI-FARM代表 林昭子さん
「災害時に野菜が不足するという話は聞いていたんですが、視察に行ったときにもそういう話があったので、これはもうやるしかないな、と思いました」
畑に常に野菜がある状態を目指し、いざ災害が起きたときには、その地域の避難所で炊き出しなどに使ってもらえるような仕組みを想定しています。

現在栽培を行っている、宇和島市 津島町をモデル地区として、宇和島市の別の地区や、瀬戸内海にある大三島、さらに隣の香川県にも今後畑を広げる予定です。

現在のメンバーは5人。

自分たちだけでは、災害時に十分に供給できるだけの野菜を栽培することはできません。

そのために行っているのが、他の農家との連携です。

連携した農家とは、地区ごとにSNS上でグループを作成。

非常時にはそこで連絡を取り合い、野菜が必要な地域にそれぞれの農家から提供できるようにすることが目的です。

このほかにも、今後は企業と連携して非常時に野菜を提供できる仕組みを計画しています。

ふだん野菜はひとり親家庭やこども食堂などで利用

取材した日、備菜農園ではコンテナおよそ3つ分の野菜が収穫されました。

平常時に収穫した野菜は、地域のひとり親家庭などに提供しています。
また、メンバーの1人、木村文香さんは、自身が運営する子ども食堂で野菜を提供しています。
BISAI-FARM 木村文香さん
「野菜をもらえるのはすごくありがたいです。災害時に自主防災組織として機能できるような子ども食堂を運営していこうと思っているので、何かあったときに、野菜が流通しないことがあると思うのでありがたいですね。野菜がほしいという方にはそのまま渡すこともあります。最近野菜の値段が高くなっているので、食べられないっていう方もいると思うので」

活動の原点は自身の被災経験

代表の林さんは自身のことを“防災オタク”と称しています。
自宅に伺うと、たくさんの防災グッズがそろっていました。

中学2年生の娘 あのんさんも、防災士の資格を小学生の時に取得。

家族で備えている防災グッズとは別に、自分用の防災バッグも用意していました。
林さんがここまで防災に関心を持つきっかけとなったのは、29年前に起きた阪神・淡路大震災です。

当時、専門学校生として暮らしていた大阪で被災しました。

マンションで1人、大きな揺れに襲われたときの光景は、今でも覚えているといいます。
林さん
「食器棚とか全部扉が開いてしまって、冷蔵庫は1メートル以上動いて前に出てきている状態でした。もう、布団に潜り込むことしかできなくて。動けないんです。逃げることもできないし、立つこともできない。あんなに揺れたのは初めてで、今でもあの時の光景を思い出します」
地元の愛媛に戻ってきてからも、2001年に広島県で震度6弱、愛媛県でも震度5強の揺れを観測した芸予地震を経験。

地震に対する恐怖心は長い間、林さんの心の中で消えずにいました。

しかし、地元で子育てをするうちに、次第に向き合うようになっていったといいます。
林さん
「地震が起きた時、子どもたちを守るために上からかぶさることしかできなかったんですよね。怖いままではどうすることもできないし、もし私が下敷きになってこの子たちが生き残ったとしても、何も教えてあげられていなかったらどうすることもできないと思って。そしたらまず、自分が怖いっていうことを認めて、それを克服しないといけないと思いました」
林さんは友人に誘われ、2019年に防災士の資格を取得しました。

当時、西日本豪雨により大きな被害を受けていた宇和島市。

それまでも地域のPTAなどで防災について積極的に発信をしていましたが、NPOの職員となり、地域の防災により一層力を入れるようになりました。

目指すのは「災害が起こった後も安心できる町づくり」

防災士仲間などを誘い、去年8月から始めた備菜の活動。

土地は耕作放棄地を活用し、草刈りから始めました。

メンバー5人のうち、1人を除いて農業は初挑戦です。

悪戦苦闘しながらも野菜を育ててきました。
活動には地域の人々の助けが大きな力となっています。

苗や堆肥など、栽培に必要な物は、地元の業者や農家が寄付してくれました。

虫や害獣に苦戦しながらも、熱心に通う林さんたちを見て、次第に水やりなどを手伝ってくれるようになりました。

種の植え付けや収穫には、地元の子どもたちや高校生も参加しました。

林さんは、農業を通して広がる地域の人々とのつながりも、活動の1つの楽しみだといいます。
林さん
「子どもたちも、自分たちが植えた野菜が育って、それを収穫するのが楽しかったようで。そこに地域の方も収穫に来てくださって。何回か顔を合わせるたびに、顔を覚えてもらって、『手伝えることがあったら言ってね』って言ってもらえるようになって。その交流が楽しいですね。年配の方から子どもたちにいろんなことを教えてもらう世代交流も含めて、これからも行っていけたらいいなと思ってます」
この日も、近所で野菜作りをしている人が畑に顔を出し、「ここまできれいにはなかなかできないですよ」と感心していました。
地域の人々のつながりも強くしている、備菜の活動。

林さんの活動の根底には、「災害が起こったあとの安心を増やしたい」という思いがあります。
BISAI-FARM代表 林昭子さん
「生き延びた人、生き残った人ってそこからが大変じゃないですか。その生き延びた先の疲弊している部分を一つでも解消したい。ごはんが食べられる、野菜が食べられる。そんな安心して暮らせる町を作りたいと思って、BISAI-FARMの取り組みを続けていきます」
どれだけ備えても、災害はいつか起こることがあります。

災害が起き、避難生活が長期化したときの安心を考えることも、防災において重要な視点なのではないでしょうか。

(2月24日「ギュッと!四国」で放送)
松山放送局 ディレクター
田村夢夏
2023年から松山局
教育やスポーツなど地域の話題を幅広く取材