東京大空襲から79年 慰霊の法要 “戦争を若い世代に伝えたい”

およそ10万人が犠牲となった東京大空襲から79年となる3月10日、東京 墨田区では遺族らが参列して慰霊の法要が行われました。

太平洋戦争末期の昭和20年3月10日未明、アメリカのB29爆撃機による大空襲で東京は下町を中心に壊滅的な被害を受け、およそ10万人が犠牲となりました。

空襲から79年となる3月10日、墨田区の東京都慰霊堂で、秋篠宮ご夫妻も参列されて慰霊の法要が行われました。

そして、東京都の小池知事や遺族の代表などおよそ200人が焼香を行い、犠牲になった人たちに祈りをささげました。

法要のあと、遺族の代表として参列した大日向弘行さん(83)は「空襲で祖父や祖母、それに叔父の3人を失いました。無差別に多くの人たちを焼き殺したようなものです。79年たっても、戦争は大変なことだったということを若い人たちにも伝えていきたい」と話していました。

また、当時20歳の兄を空襲で亡くした93歳の女性は「妹おもいの兄で、これからの人生だったのに空襲で亡くなり、ほんとうに悔しかった。毎年、参列していますが、これからも戦争の悲惨さを若い世代にしっかりと伝えていきたい」と話していました。

都庁で追悼式典

都は東京大空襲があった3月10日を「東京都平和の日」と定めていて、10日、都庁で追悼式典が開かれました。

式典には東京大空襲のほか、都内であった別の空襲を経験した人やその遺族などおよそ350人が参加し、はじめに全員で犠牲者に黙とうをささげました。

そして、小池知事が「ロシアのウクライナ侵攻は長期化し、中東情勢も先行きが見えず、多くの尊い命が戦禍の中で失われている。平和な世界を未来に引き継ぐことは私たちの責務だ」と述べました。

このあと、東京大空襲より前に現在の武蔵野市で空襲を経験した島津好江さん(90)が空襲で亡くなった人の遺体について「腸がひものように木にぶら下がっていたり、『土のうじゃないか』と思ったら、手も足もない胴体だけの兵隊さんだった。爆弾の火薬のにおいがいまだに忘れられない」と話していました。

式典のあと島津さんは「平和とみんな口では言うが、戦争はまったくなくならない。自分の体験を伝えていきたいと思う」と話していました。