利下げを急げ タイ政府と中銀バトル?【アジア発経済コラム】

日経平均株価が史上初めて4万円の大台に乗りました。背景の1つに世界の投資家の間で広がるアメリカの利下げ期待があります。一方、日銀のマイナス金利解除をめぐる報道で株価が急落する場面もみられました。

同じように、金融政策の行方が焦点となっているのが東南アジアのタイです。こちらは緊急利下げを迫る政府と中央銀行のあいだで激論になっています。

政府と中銀のバトルともいえる状況、議論に耳を傾けると、なるほどという学びがありました。

(アジア総局記者 加藤ニール)

首相からの強烈な利下げ要求

X(旧ツイッター)の投稿
「タイ経済は危機的状況だ。(4月に)予定されている会合を待つことなく利下げを検討するために、金融政策を決める会合を緊急招集するよう求めたい」

中央銀行に強烈に利下げを求める内容ですが、発信の主はタイのセター首相です。

きっかけはこのXを投稿した2月19日に発表されたタイの2023年のGDP=国内総生産です。

実質の伸び率は首相が目標にかかげる5%には到底及ばない前年比プラス1.9%。

我慢ならなかったのでしょう。

やり玉にあがったのは中央銀行の金融引き締めです。

インフレを抑え込むため、2022年8月から8回連続で利上げが行われ、企業の設備投資や個人消費が低迷しています。

「コーヒー飲みながら毎週会おう」

中央銀行への風当たりは年明けから強まっていました。

2024年1月10日。

セター首相は中央銀行のセタプット総裁を首相府に呼び出し、ひそかに会談しました。

セタプット総裁(左)とセター首相(右)

首相は、中央銀行の独立性に配慮する姿勢を示しつつも、高金利の弊害を指摘し、会談後には「コーヒーを飲みながら毎週会おう。私が中銀の本部に出向いてもいい」とも呼びかけました。

中銀は動かず “危機的状況”ではない

政府の利下げ要求に中央銀行はどう対応するのか。

注目された2月7日の金融政策を決める会合で政策金利の据え置きを決めます。

中央銀行は「タイの内需は拡大を続けている」として、タイ経済は「危機的状況」ではないという認識を示したのです。

さらに今後の成長には生産性の向上など構造改革が必要で、こうした「外部的・構造的な要因」に利下げは解決策にならないと反論します。

中央銀行率いるセタプット総裁はどんな人物なのか。

子どものころは外交官の父親に連れられて海外生活が長く、アメリカのイェール大学の経済学の博士課程を修了。

世界銀行の上級エコノミストやタイの資産運用会社の社長などを歴任し、国際金融に精通した人として知られています。

セタプット総裁が利下げに慎重なのは通貨安再燃への警戒感があるからです。

タイはアメリカの急速な利上げに伴って通貨安に見舞われ、通貨防衛のために利上げに追随せざるを得ませんでした。

アメリカに先んじてタイが利下げに踏み切れば、再び通貨安を招きかねないとの懸念があるのです。

また、財政悪化への懸念も指摘されています。

タイの公的債務の対GDP比は2024年1月末時点で62%に。

コロナ禍前の40%から膨らみました。

セター首相はバラマキ色の強い政策も打ち出そうとしています。

国民5000万人に1人あたり日本円でおよそ4万円分のデジタルマネーを配布する方針で、中央銀行は財政悪化から通貨安につながる懸念を表明しています。

新興国経済に詳しい第一生命経済研究所の西浜徹さんは、タイの中央銀行は外部環境に左右されやすく、難しい舵取りを迫られていると指摘します。

第一生命経済研究所 西浜徹 主席エコノミスト
「アジア通貨危機を経てタイでは為替の安定に向けた体質改善が図られたが、欧米の金融政策によって為替や資金の流れが大きく左右されやすい。また“通貨の番人”である中央銀行が政府の介入を許したと疑念をもたれると市場からの信頼を失う」

独立性をめぐる因縁?

タイの公共メディア・PBSは中央銀行の独立性をめぐる因縁についても伝えています。

セタプット総裁は1997年に起きたアジア通貨危機への対応に当たるため、世界銀行からタイ財務省に招かれたといいます。

このときセタプット氏を呼び寄せたのが、後に中央銀行総裁となるチャトモンコン氏。

しかし、チャトモンコン氏は2001年、当時のタクシン首相と金融政策をめぐって対立して解任されてしまいます。

PBSは「もしセタプット総裁も同様の事態になれば歴史は繰り返されることになる。中央銀行の独立性を守る挑戦だ」と伝えています。

健全な議論できるか?

翻ってタイ中央銀行が注視するアメリカはどうでしょうか。

2018年9月撮影

トランプ前大統領は在任中の2018年、利上げを続けるFRB=連邦準備制度理事会を「間違いを犯していると思う。FRBは狂ってしまったと思う。まったく同意できない」と批判していますし、今も連邦議会の議員からは高すぎる住宅ローン金利は問題だとFRBに利下げを強く求める声が出ています。

日本では2022年に安倍元総理大臣が「政府は国債を市中銀行を通じて日銀に買ってもらっている。満期が来たら返さなければならないが、日銀は政府の子会社なので、政府は何回借り換えても構わない」と発言し、波紋を呼びました。

日銀のホームページの「教えて!にちぎん」には日本銀行の独立について、次のような記述があります。

「各国の歴史をみると、中央銀行には緩和的な金融政策運営を求める圧力がかかりやすいことが示されています」

日銀は長年、金融緩和策を続け、今、マイナス金利の解除に踏み切るかどうか、大きな節目を迎えています。

タイでの政府と中央銀行のやりとりを聞いていると、健全に議論することの大切さを実感させられます。

注目予定

日本では13日が春闘の集中回答日。

企業の賃上げの勢いが持続して日銀の政策転換へとつながるのかが焦点です。