政治学者 五百旗頭真さん死去 80歳 災害からの復興にも尽力

防衛大学校の学校長などを務め、東日本大震災や熊本地震からの復興に有識者の立場で力を尽くした、政治学者の五百旗頭真さんが6日、急性大動脈解離のため亡くなりました。80歳でした。

五百旗頭さんは、兵庫県西宮市出身で、京都大学大学院を修了したあと、神戸大学の教授や東京大学の客員教授などを歴任し、日米関係を中心に日本の政治外交史の研究を続けました。

2006年8月から2012年3月にかけては、防衛大学校の学校長を務め、将来の自衛隊幹部の育成にあたりました。

また、阪神・淡路大震災で被災した体験から防災や復興にも積極的に関わり、東日本大震災の復興構想会議の議長や、熊本地震からの復旧・復興に向けた有識者会議の座長を務め、有識者の立場で災害からの復興に力を尽くしました。

五百旗頭さんが理事長を務めている「ひょうご震災記念21世紀研究機構」によりますと、6日午後、執務中に息苦しさなどを訴えて神戸市内の病院に搬送され、急性大動脈解離のため亡くなったということです。80歳でした。

将来の自衛隊幹部の育成 重視したのは防衛大の建学精神

日本の政治外交史が専門の五百旗頭真さんが防衛大学校長を務めたのは、自衛隊が発足してから半世紀余りがすぎた2006年8月からのおよそ5年半です。

アメリカで同時多発テロ事件が起きるなど国際情勢が不安定化し、自衛隊の活動範囲がイラクやインド洋など海外に広がる中で、将来の自衛隊幹部の育成にあたりました。

その中で重視したのが、初代の学校長を務めた槇智雄の教育理念でした。

槇は、個性がなければ理性をもって規律に服従することはできないとして、個性を育むよう学生に求めるとともに、国防の任務には国民からの信頼が不可欠だとしていかなる努力もいとわないことを求めました。

五百旗頭さんは、この建学の精神が自衛隊の幹部には必要だとして、2008年、防衛大学校の中に槇に関する資料を集めた記念室を開設しました。

開設にあたって五百旗頭さんは「自衛隊は多機能で実効的な活動などを求められる時代になった。難しい時代だからこそ、原点に立ち返り、再出発しなければならない」と述べています。

それと同時に国際的な視野を育むため、各国の士官学校などとの交流の拡大にも尽力しました。

天皇皇后両陛下 侍従長を通じて遺族に弔意伝えられる

五百旗頭真さんは、令和2年6月から、天皇の意向を受けて皇室の重要事項について助言を行う相談役の宮内庁参与を務めていて、側近によりますと、天皇皇后両陛下は侍従長を通じて遺族に弔意を伝えられたということです。

五百旗頭さんは、先月23日の天皇誕生日に、お祝いの行事に出席するため皇居を訪れて両陛下と面会していて、両陛下は突然の訃報に大変驚かれていたということです。

東京大学 御厨名誉教授「よき師を失った」

日本の政治外交史が専門で、東日本大震災の復興構想会議で議長代理を務めた東京大学の御厨貴名誉教授は「五百旗頭さんは自衛隊幹部を育てることを前提にしながらも、社会の中で孤立することがないよう、一般教養を重視した育成を行っていた。自身が持つ幅広い知識を防衛大学校の学生全体に植え付けた」と話しています。

そのうえで、「間違いなく日本の政治外交史や日米関係の研究の第一人者であり、大所高所で分析できる研究者だった。研究をするだけでなく外に向けて発信も行ったその功績は大きく、私たちも学ばせてもらい導いてもらった。よき師を失ったという感じだ」と述べ、その死を悼んでいました。

神戸大学 室崎名誉教授「民主的でリベラルな人でした」

五百旗頭真さんとともに阪神・淡路大震災からの復興や防災・減災の対策について取り組んできた神戸大学名誉教授の室崎益輝さんは「阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸大学の復興について検討する会議で一緒になったのが最初の出会いで、活発に意見を述べられていたことを覚えています。その後も、震災での対応を検証するため、当時の政財官のトップや遺族などから証言を集める取り組みを一緒に始めるなど防災・減災の進め方について教えられることがありました」と振り返りました。

そのうえで、「大きな災害が起きるといつも電話で意見を求められましたが、ことし元日に発生した能登半島地震の際には電話がかかってこなかったので心配していました。五百旗頭さんは立場や考え方が違う人を含めていろいろな人の意見や話を聞いて、全体を捉えたうえで総合的に判断できる民主的でリベラルな人でした」と話していました。

林官房長官「功績に改めて敬意 哀悼の意を表したい」

林官房長官は、午前の記者会見で「政治学者として占領期の日米関係を研究し、戦後の日本政治の立ち位置や外交の展開を国際水準で議論するなどの業績をあげられ、東日本大震災復興構想会議議長などの要職も務められた。これまでのご功績に改めて敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」と述べました。