スエズだけでなくパナマも 世界物流の要衝「2大運河」が危機

スエズだけでなくパナマも 世界物流の要衝「2大運河」が危機
「こんなことはかつて経験したことがない。ダブルパンチだ」

アメリカの海運会社の経営トップがもらした言葉です。

ダブルパンチとは世界の物流で重要な役割を担っている2つの運河が通航が難しくなっているか制限されていることを指しています。

1つはスエズ運河。イエメンの反政府勢力フーシ派が紅海周辺で船舶攻撃を繰り返し、航行が難しくなっています。

そしてもう1つは中米のパナマ運河。水不足から航行が制限されているのです。

現場で何が起きているのか。そして日本を含む世界経済への影響を追いました。
(アメリカ総局記者 矢野尚平 江崎大輔)

順番待ちの大型船が海を埋め尽くす…

海を埋め尽くすかのような大型船の数々。

パナマ運河の沖合に広がる光景です。
私たち取材班がパナマを訪れた2月上旬、運河の入口にあたる太平洋側・大西洋側ではともに、通航制限によって順番を待つ船が数多く停泊していました。

制限の理由は深刻な水不足です。
この運河を通るには膨大な量の水が必要なのですが、気候変動によるとみられる影響で、過去100年に1度とも言われるほどの記録的な水不足に陥っているのです。

思ってもみなかった困難

この運河を管理するパナマ運河庁の幹部も驚きを隠せません。
パナマ運河庁 マロッタ副長官
「水不足は過去にも経験があり、なんとか対応してきましたが、今回は新たな困難です。まさか通航を制限するとは思ってもみませんでした」
ここでパナマ運河とはどのような運河なのかを説明します。
場所は中米のパナマにあり、太平洋と大西洋を結ぶ海上輸送の要衝です。

運河は全長80キロにおよびます。

太平洋と大西洋を行き来するには、船は途中で海抜26メートルの湖を通らなければなりません。

このため、複数のこう門(ロック)と呼ばれる水門で船を上下させて、通していく特別な仕組みになっています。
アメリカが1903年にパナマとのあいだで条約をむすび、土地を租借して開発を始めました。

難工事が続きましたが、10年の歳月をかけて1914年に開通。

これによって、南北アメリカの東岸から西岸に、そして南北アメリカからアジアへの航路を飛躍的に短縮する新たな輸送ルートが確立したのです。

運河は1999年にアメリカからパナマに返還され、今に至っています。
私たちは特別な許可を得てパナマ運河の中枢部で取材を行いました。

太平洋側からの運河に入ってすぐの場所にある「ミラフローレンスこう門」です。

現場に到着して最初に目に飛び込んできたのはゆっくり動く巨大な壁。

運河を進む大型船でした。
運河の両サイドに並行する線路をトロッコが走り、ロープで船をひっぱっていました。

狭い水路で船が両脇にぶつからないよう両サイドからひっぱってバランスをとっていました。

水門を閉じた状態で水路から水を抜き、10分から15分かけて8メートルほど船の位置を低くしてから太平洋側に進んでいきました。
パナマ運河は年間1万3000隻から1万4000隻の船が行き来し、発着地別の貨物量では日本は、アメリカ、中国に続いて3位です。

アメリカからトウモロコシや大豆、LPG=液化石油ガスなどが、パナマ運河を経由して日本に運ばれています。

危機の原因は気候変動?

大量の水を使って、巨大な船を上げ下げするパナマ運河。

1隻が運河を通航するたびに必要な水量はおよそ1億9000万リットルにのぼります。

この水を供給するのが中央部にあるガトゥン湖ですが、この湖の水量が大きく減少しているのです。
原因の一つとみられるのが気候変動です。

中南米の太平洋側で海面水温が平年より高くなるエルニーニョ現象の影響などで去年は平年より30%雨が少なく、深刻な干ばつに襲われました。

干ばつでひどいときは2メートル以上、水位が低下。

水の再利用は進めているものの水が足りない状況が続いています。

以前は一日に通航できる船舶の数は36隻でしたが、現在は24隻に制限されています。
パナマ気象水文研究所 ルス・カルサディージャ所長
「今回の干ばつは(メガエルニーニョが発生した)2014~16年と非常によく似ています。1月には強いエルニーニョ現象が出現し、2月末に最大になりました。地球温暖化がこの現象を悪化させたのです」

通航権を競うオークションも

パナマ運河を通る船の許可手続きを代行する会社に話を聞くと、制限が始まって以降、船を通航させたい物流会社や商社からは問い合わせが殺到しているといいます。
会社のスタッフ
「運河の水不足のせいで35~40日待たされた顧客もいました。代替案など何か提示しなければなりません」
一刻も早くパナマ運河を通りたいという会社に向けて、通航権を競り合うパナマ運河庁公認のオークションまで存在します。
海運業者のパナマ代表 ホセ・セルバンテスさん
「オークションの金額が250万ドル(3億7000万円)にまで上がったという非公式の情報もあります」

物流混乱の実態は 大きなう回を強いられる海運会社

パナマ運河の混乱は世界の物流にも影響が広がっていました。
実態を知ろうとニューヨークに本社があるアメリカの大手海運会社ジェンコ・シッピング アンド トレーディングを訪ねました。
この会社は穀物や鉄鉱石、石炭などを輸送するのに使われる「ドライバルク船」を45隻所有し、アメリカ産の大豆やトウモロコシを日本や中国などアジアの国に輸送しています。
アメリカ南部の港からアジアに大豆やトウモロコシといった穀物を届けるのに必要な日数は最短ルートのパナマ運河を経由した場合、40日でした。
しかし、パナマ運河の通航制限を受けて、この会社は船を待機させたり、通航するのに高い費用を払ったりするより別のルートに変えたほうがいいと判断。

2023年秋までにほぼすべての船を大西洋を経由し、地中海からスエズ運河と紅海を通るルートに変更しました。

航行日数は53日へと13日間延びました。

そこに中東情勢の緊迫化が追い打ちをかけます。

紅海周辺でフーシ派による船舶攻撃が相次いだのです。
驚いたことに、この会社の船は2024年1月に紅海近くのアデン湾でフーシ派の攻撃を受け被弾したというのです。

ウーブンスミスCEOは攻撃を受けた当時のようすを生々しく語りました。
ジェンコ・シッピング アンド トレーディング ジョン・ウーブンスミスCEO
「ミサイルが発射され、実際に船に命中したという電話を最初に受けた時のことを覚えています。とても恐ろしい状況でした。攻撃を受けてからおよそ30分から45分後に船長と話すことができました。ミサイルはデッキの上のタラップに命中して、その上部構造物には当たっていなかったんです。非常に大きな危機でした」
とてもスエズ運河を通れる状況ではないとの判断から、会社は現在、南アフリカの喜望峰経由などにう回する措置をとっています。
必要な日数は57日へと17日間延び、輸送コストの増加が避けられないといいます。
ジョン・ウーブンスミスCEO
「アメリカ南部の港からアジアへの穀物の輸送に追加でおよそ20日よけいにかかるというのは、かなりの痛手で、貨物を輸送できる船の供給が減ります。燃料費も増加し、顧客に追加コストを上乗せすることになるでしょう」

世界のコンテナ船運賃は1.8倍に!

紅海周辺での船舶攻撃にパナマ運河の通航制限。

まさにダブルパンチとなり、コンテナ船の運賃は急騰しています。
イギリスの調査会社ドリューリーによりますと、運賃は足元では少し下がっているものの、2月29日時点で1年前に比べておよそ1.8倍に上昇しています。

こうした運賃高騰は今、輸出入企業がほとんどを負担していると言われていますが、長引けばいずれ最終商品の値上がりという形で、私たち消費者の財布を直撃する事態になりかねないのです。

陸路でロサンゼルス港に運べ

パナマ運河の通航制限は意外にも、アメリカ西海岸・ロサンゼルスの貨物取り扱い量の増加につながっています。
東部や南部から、船よりコストがかかるトラックや鉄道で大陸を横断して、貨物を陸路、西海岸まで運ぼうという企業が増えているのです。
NXアメリカ ロサンゼルス支店 坂野正和さん
「影響が出ているのは間違いないです。企業のあいだで西海岸を利用するケースが増えてきているのではないかと分析しています。アメリカから日本などアジアに出ていく貨物にもやはりコスト面で何かしら影響が出てくる可能性もあるのではないでしょうか」
アメリカ東部メリーランド州のキーボードやマウスを製造するメーカー、マン アンド マシーンは、2つの運河の問題を受けて、これまで台湾から東海岸まで船で輸入していた部品をロサンゼルス港から鉄道で運ぶルートに切り替えました。

しかし、到着までにかかる時間がこれまでよりも2か月近く長くなったことで、部品不足に陥り、製造が一時、ストップする事態も起きたほか、追加のコストもかかっています。
マン アンド マシーン クリフトン・ブルーマンドCEO
「最後の分を使ったら次の部品が極東から届くまで何もできない。私も従業員も収入が、がた落ちだ」

水不足対策の計画には住民が反対

パナマ運河の水不足対策として現地で計画されているのが、湖の水量を確保するため、新たなダムと貯水池を建設することです。

実現すれば、通航できる船は、以前の一日当たり36隻よりさらに増やせるといいます。
しかし、計画地の住民からは反対の声が出ています。

貯水池ができれば、流域で63の村が水の底に沈み、およそ2000人がふるさとを奪われることになるのです。
住民グループ副代表 ディグナ・ベニーテスさん
「私たちの川を地域ごと水没させないよう要求します。私たちは川のほとりに生き、働き、食べてきました」
住民グループは運河庁に要望書を提出するなど計画の見直しを訴えています。

一方、パナマ運河の通航料などは、政府収入全体の20%に達します。

当局としては、住民を説得して計画を進め、安定的な収入を確保したい考えです。
パナマ運河はこの地域で雨季が始まる5月には水量が確保でき、通航規制は解除されると期待はされていますが、気候変動によるとみられる干ばつと水不足がいつ解消するのか、再び起きないのかどうかは誰にも分かりません。

アメリカ大陸と世界をつなぐ物流を110年前に変革したパナマ運河。

そして、155年前にヨーロッパとアジアをつないだスエズ運河。

2つの関門は温暖化の影響とみられる水不足と、緊迫する中東情勢が重なり、100年単位で起きたことがない同時危機に陥っています。

その影響は私たち消費者が手にする商品の値段にも及ぶ可能性があります。
アメリカ総局 記者
矢野尚平
1999年入局
岡山局、秋田局、国際部、ソウル支局
現在はアメリカ総局(ニューヨーク)で国連担当
アメリカ総局 記者
江崎大輔
2003年入局
宮崎局、経済部、高松局を経て現所属