被災した経験はないけれど……「震災の伝承」に取り組む教師

被災した経験はないけれど……「震災の伝承」に取り組む教師
被災した経験のない自分が、震災を教えられるのか――。そんな根本的な問いに向き合い、「震災の記憶の伝承」に取り組んでいる教師が福島県南相馬市にいます。

震災と原発事故から13年、見いだしたのは「教える・教わる」から、「ともに考える」という伝承スタイルでした。

(福島放送局 記者 佐藤翔)

“自身初”の防災授業

南相馬市の南部にある県立小高産業技術高校。

全校生徒およそ360人のほとんどが、東日本大震災と原発事故の被災地である相双(そうそう)地域の出身です。
2月上旬、地理歴史の教諭・小峰朱理菜さん(31)が、自身初の試みとなる防災授業を2年生のクラスで実施しました。

授業といっても小峰さんはほとんど教壇に立たず、「教える」ことはしません。授業を展開していくのは生徒たちです。
この日、机の上には震災を物語る資料が置かれていました。

原発事故後、市内の牛小屋に取り残された牛が飢えに苦しんでかじった柱のレプリカ。避難所暮らしを続ける子どもたちが、それぞれの夢を書き込んだ模造紙などです。
生徒たちは実際に触れながら、感じたことや気になったことを口にしました。
生徒
「牛はこれ(柱)以外に食事がなくて、これを食べているわけ。かわいそうだから逃がしたくなるよね。けど逃がさなかった。なんでだ」
生徒
「野生化しちゃうから」
一緒に震災当時を振り返る生徒たち。

今回なぜ、このような授業形式にしたのでしょうか。
小峰さん 
「被災地で生まれ育った生徒だからこそ、伝承の担い手になってほしい。次の世代や他の地域の人たちに伝えていってほしい。誰かに聞いた話を語るのでなく、本人たちなりの思いを言葉にしてもらいたいと企画しました」

福島出身 直接的な被災経験なし

福島県中南部の塙町出身の小峰さん。高校を卒業した直後に、東日本大震災が発生しました。
震度5弱の揺れで、商店を営む小峰さんの実家は商品が散乱するなどの被害を受けましたが、一家は無事でした。

その翌月、小峰さんは大学進学のため福島を離れました。
震災と原発事故の直接的な経験が無いまま、大学卒業後に教職に就きました。

小高産業技術高校に赴任したのは2019年。当初、大きな不安を抱えていたといいます。
小峰さん
「生徒たちに比べたら、自分の震災体験はずっと小さなものだと感じていました。この地域の出身でもないし、津波の被害を目の前で見たわけでもない。私が震災について語れることはあるんだろうかと。逆に私が発した言葉で、生徒のつらい経験がフラッシュバックしたら大変だと尻込みしていました」

「震災」「原発事故」を避ける日々

津波で肉親を亡くしたり、原発事故によって長期にわたる避難生活を強いられたりした生徒は少なくありません。

彼らを気遣うあまり、「震災」「原発事故」といった言葉を口にすることを避けてきたといいます。
震災の話題に極力触れないようにしたという教員は他にもいます。

工業科の片山龍さんは、今の高校の前身である小高工業高校で震災を経験しました。2度の転勤を経て、4年前から再び教壇に立っています。
片山龍さん
「生徒たちは震災当時、幼稚園児です。震災の記憶がいまどれだけ彼らの心に刻まれているかは、僕自身も分からない。何らかの深い傷を負っている子もいると思っています」
その一方で、教員たちには気がかりなことがありました。生徒たちの中の「震災の記憶の風化」です。
佐藤隆志さん
「震災直後は、生徒たちの防災に対する意識は高く、復旧を支援してくれた人たちへ感謝の思いも強いと感じました。13年たって、今の生徒たちの意識や思いが薄れてきていることは否めません」

生徒のひと言が転機に

歴史を教えている自分が「風化」させるわけにはいかない。しかし、自分には語れることがない……。

葛藤する小峰さんの背中を押してくれたのは、地理の授業中に生徒が発したひと言でした。
小峰さん
「地理の授業で、津波の被害があった地域の航空写真を広げたところ、ある生徒が『俺んちここにあったんだ』とさらっと言ったんです。それを聞いた時に、これまでデリケートになりすぎていた自分に気付いたんです。過酷な震災体験をしていない自分だからこその視点で震災を捉えて、語れる、伝えられることがあるのではと気付いた瞬間でした」
震災を語ることに尻込みをしなくてもいいと思い直した小峰さん。

震災から13年を目前にしたことし2月、同僚の教諭とともに実施したのが、冒頭で紹介した授業です。

「震災遺産について考える」

「震災遺産について考える」と題した授業では、福島県立博物館の協力で、収蔵する震災遺産を教室に持ち込んでもらいました。
これは地震の揺れで落下した照明。地元の富岡高校の体育館にあったものです。

原発事故のあと、浪江中学校に避難した人たちがそれぞれの役割分担を記した掲示物も。
強い地震の脅威や、原発事故がもたらした苦難を物語る遺物を前に、生徒たちからはさまざまな声が聞かれました。
生徒
「こんな大きな照明が上から落ちてきたらパニックになるよね」
生徒
「避難所で自分たちにできることは、お年寄りの介護とか、救援物資を積極的に持ったり……」
小峰さんは生徒たちに、あの震災を自らのことばでどう伝えるか考えるように促しました。

生徒たちはおぼろげに残る震災の記憶や、被災地で生まれ育った経験を踏まえて言葉を紡ぎました。
生徒
「災害直後って、牛だけじゃなくて人間も簡単には食べ物が手に入らないことがあると思うから、『あなたは食べ物や水をどう確保しますか』みたいなことを考えてもらえたら」
生徒
「当たり前の日常があした来るとは限らない。毎日できたことが、普通にできなくなるということを伝えたい」
生徒の反応に、小峰さんは手応えを感じたようです。
小峰さん
「私もようやく、震災と原発事故に正面から向き合えたという気がしています。生徒と一緒にこういうことを考えられたというのは、私にとっても大きな出来事でした。被災地の出身で無い私だからこそ伝えられる、気づけることがあると思うので、私なりの視点とやり方で伝承していければうれしいです」

取り組みを広げていく

小峰さんは、今回のような授業の形をとることで、震災後に生まれた子たちでも自分のことばで震災を語り、伝えられるよう導けると考えています。

また、今の生徒たちが伝え手になって、後輩やほかの地域の人に防災授業を行う機会も設けるなど、取り組みを広げていきたいと話していました。

(3月4日「はまなかあいづTODAY」で放送)
福島放送局 記者
佐藤翔
2015年入局
福島市出身。震災の経験を経て、防災士の資格を取得