能登半島地震2か月 地震が発生した午後4時10分に合わせ黙とう

能登半島地震から2か月の1日、石川県珠洲市の避難所で避難生活を送っている人たちは、地震が発生した午後4時10分に合わせて黙とうをささげました。

珠洲市 沿岸部の避難所では

珠洲市の沿岸部に位置する宝立小中学校では、地震発生から2か月がたったいまも地震や津波で被害を受けた200人余りの人たちが避難生活を続けています。

地震が発生した午後4時10分、避難している人たちは学校の建物の外などで静かに手を合わせて黙とうをささげ、犠牲者を悼みました。

地元の区長会で会長を務め、この学校で避難生活を続けている多田進郎さん(69)は、「この地域には津波で亡くなられた方も多く、忘れてはいけないという思いで黙とうをしました。買い物や医療が徐々に再開し、避難している人たちにも笑顔が見られるようになっていますが、地域が大きく壊れているので前のような姿に戻るのか心配しています」と話していました。

輪島市 商店街では

石川県輪島市の商店街では地震が起きた午後4時10分に地域の人たちが黙とうをささげました。

輪島市河井町で眼鏡や時計などを扱う店を夫とともに営む木下京子(62)さんは、今回の地震で高校時代の友人やなじみの客を亡くしました。

木下さんは1日、夫と一緒に店の前に出て、地震が起きた午後4時10分に合わせて火災があった朝市通りの方に向かって手を合わせ、黙とうをささげました。

地震直後、店内が壊れて木下さんは店を開ける気持ちを持てませんでしたが、「壊れた眼鏡を修理してほしい」「地震で時計がなくなったので新しいものがほしい」などの客から再開を望む声が多く寄せられて、1月20日ごろから営業を再開しています。

木下さんは「泣く泣く輪島を離れた人のためにも、風景は変わってしまったが『人は変わってないよ』と思ってもらえるようにあり続けたい」と話していました。

輪島市 「朝市通り」では

能登半島地震で大規模な火災が起きた石川県輪島市の「朝市通り」の近くでは、炊き出しを行っている地元のボランティアの人たちが、地震が起きた午後4時10分に合わせて黙とうをささげました。

ボランティアグループの代表の池端隼也さんは「知り合いも亡くなり、思いがよみがえります」と話していました。

ボランティアの岡垣未来さんは「今までは生きるための2か月間でした。もとの状態に戻るのは難しいかもしれませんが、これからは新しい形での生活をするスタートの時期にしたいです」と話していました。