宮城 南三陸町「旧防災対策庁舎」“震災遺構として保存へ”

13年前に発生した東日本大震災の津波で町の職員など43人が亡くなり、遺族や住民の間で保存するか解体するかで意見が分かれていた宮城県南三陸町の「旧防災対策庁舎」について、佐藤仁 町長は、町の所有としたうえで震災遺構として保存する考えを明らかにしました。

南三陸町の防災対策庁舎では、2011年3月11日発生した東日本大震災の津波で町の職員など43人が亡くなりました。

庁舎を保存するか解体するかは、遺族や住民の間で意見が分かれたことから、2015年に所有が町から県に移され、震災発生から20年後の2031年まで県が維持・管理することになっていました。

しかし、南三陸町の佐藤仁町長は1日の記者会見で「被災した事実や歴史を確かに伝えていくには、町が維持・管理していくことが必要だ。保存していくことに尽きる」と述べ、庁舎を町有化し、震災遺構として保存する考えを明らかにしました。

ことし6月末をもって県から返還を受けるということで、一部の遺族にもこの方針を伝えたということです。

佐藤町長は「この問題をどうするかは、13年間ずっと心の真ん中にあった。町民からも受け入れられ、防災教育でも多くの方が訪れていて、『この場所に庁舎が無い』ということは想定できない。最終的には政治判断で、決着をつけるべきと考えた」と述べました。