「まだここに住みたかった…」珠洲市 緊急の公費解体始まる

「ここはわれわれの城みたいなもの。まだここに住みたかった」

70年近く住んだ住宅は道路に向かって傾き、「危険」と書かれた赤い貼り紙が貼られています。

朝8時過ぎ、トラックが横付けされ、残された家具や思い出のアルバムなどが運び出されました。

緊急で解体する作業が始まったのです。

始まった緊急の「公費解体」

作業が始まったのは、珠洲市飯田町にある木造2階建ての住宅です。

前にある市道に向かって傾いているため、通行する人に危険があるとして解体されることになりました。

自治体が所有者に代わって被災した建物を解体する「公費解体」の制度は現地調査やり災証明書の発行が必要で一定の時間がかかります。

このため珠洲市は、危険性が高い建物について所有者の同意を得た上で緊急の公費解体を行うことにしています。

現場ではこの住宅で暮らしていた佐藤寿美雄さん(72)と妻の敬子さんも作業の様子を見守りました。

家族のアルバムや大切にしていた珠洲焼の湯飲み。

思い出の品が見つかると、懐かしそうに眺めていました。

佐藤寿美雄さんは5歳くらいのときに、家族とともにこの家に越してきたということです。

佐藤寿美雄さん
「2、3日のうちじゃあとうてい思い出全部拾い集めるわけにはいかん。前向かなきゃならんけど、前向きたいんやけど、なかなか今の現実を受け止められんというかね」

23歳で妻の敬子さんと結婚、この家で長男と長女を育てました。

家の正面に掲げられた「佐藤商店」の看板は、佐藤さんの父親がおよそ70年前に創業した水産加工業の会社のものです。

父親から会社を引き継ぎ、珠洲市宝立町にある工場で地元の伝統的な保存食、「巻鰤」や地元産の魚を使った加工品などを製造してきました。

しかし工場も津波の被害にあい、廃業せざるをえない状況だとということです。

佐藤寿美雄さん
「自分が育って自分の子どもをここで育てて孫もここにおってくれて。ここはわれわれの城みたいなもの。自分の代でこんなになるかと思わなかった。本当に残念な気持ちでいっぱい。まだここに住みたかった」

「ごみのように見えますけど、ごみじゃなくて」

現場には、長女の今川香奈子さんの姿もありました。

香奈子さんは現在、金沢市内で暮らしていて、地震後に実家を訪れたのは今回が初めてだということです。

香奈子さんにはきょうの作業で見つかった、1枚の写真が手渡されました。

写真は20年ほど前に地元の祭りの会場で撮影されたものです。

ピースサインをする香奈子さんとはっぴ姿の佐藤さん、それに長男の亜希彦さんの3人が写っています。

娘 今川香奈子さん
「ごみのように見えますけど、ごみじゃなくて。慣れ親しんだ家がこんな姿って、なんともいえない気持ちで複雑で。でも両親見ていると強いじゃないですか。泣いておられんなって」

なぜ解体進まない?背景は

被害が大きかった珠洲市、輪島市、穴水町、能登町の2市2町では、25日までに少なくとも、合わせて4万7000棟以上の建物で被害が確認されています。

今後、さらに倒壊して2次被害を引き起こすおそれのある建物についての緊急での公費解体は、26日から珠洲市で始まったほか輪島市、能登町でも進められています。

珠洲市には2次被害の危険性が高いと判断された建物は50棟以上あるものの、現時点で解体が決まっている住宅は1棟だけだということです。

解体が進まない背景には、

▽すでに倒壊している建物も多くどれを優先して解体するか検討に時間がかかっていること、

▽避難している建物の所有者とすぐに連絡が取れるか懸念されることなどがあるということです。

珠洲市以外では
▼輪島市が2月上旬から始めているほか、
▼能登町でもこれまでに3棟の建物を解体したということです。

一方、
▼穴水町は今のところ緊急の公費解体を行う予定はないということです。

内灘町でも「公費解体」の申請開始

一方、液状化で建物に甚大な被害が出た内灘町でも、26日から公費解体の申請の受け付けが始まりました。

窓口に訪れた住民が被害を受けた自宅の写真を見せたり、住宅の見取り図を書いたりしながら申請書に必要事項を記入していました。

建物の解体・撤去は自治体が行いますが、取り出すことが可能な家財道具などについては、原則、被災者自身が費用負担して搬出したり処分したりしなければならないということです。

申請に訪れた広瀬静二さん(87)は、内灘町室地区にある木造2階建ての自宅が液状化で大きく傾きました。

家が傾いているため玄関から部屋に入る引き戸を開けることができず、家の周りは地面から吹き出した土砂で埋め尽くされています。

目の前の道路も地面が大きく隆起してブロック塀が倒れたり、電柱が斜めに傾いたりしていて近所の住民もほとんど避難しているということです。

広瀬さんは地震のあと、町内のアパートで妻と暮らしていますが、今後の生活の見通しは立っておらず、途方に暮れています。

広瀬静二さん
「傾いた家を直すこともできないし、寝泊まりもできないので公費で解体してもらえるのは助かりますが、60年以上住んでいる自宅がめちゃくちゃになり言葉にならないです。愛着がある町ですが、これからもここに住めるとは思えません」