熊本に来た“黒船” TSMC始動の衝撃

熊本に来た“黒船” TSMC始動の衝撃
スマートフォンや家電に車…。私たちの身近な製品に欠かせないのが半導体です。

その半導体の受託生産で世界最大手の台湾企業「TSMC」が、熊本県菊陽町に日本では初めてとなる巨大な工場を完成させました。存在感の大きさは“黒船”に例えられるほどで、地元は経済波及効果への期待に沸いています。

しかし、現場を歩くと、喜んでばかりいられない現実も見えてきました。

現地からの最新報告です。

(熊本放送局記者 渡邊功/ディレクター 廣川慧和/記者 武田健吾)

完成! TSMC新工場

熊本市のほど近く、熊本空港の北側に位置する、人口4万3000余りの菊陽町。

TSMCの巨大な新工場は、キャベツ畑が広がる先に見えてきます。
20万平方メートル超の敷地面積は東京ドーム4.5個分。

投資額は日本円で約1兆2900億円に上ります。

新工場はついに完成のときを迎え、2月24日、開所式が開かれました。

カリスマ創業者も出席

会場には、TSMCのカリスマ創業者として知られる人物の姿もありました。
張忠謀(モリス・チャン)氏です。

会社を立ち上げたのは1987年。

まさに日本の半導体が世界を席巻していた時代でした。

それから40年近い時を経ての日本進出をどのように感じているのでしょうか。

張氏はソニーの創業者の1人で故・盛田昭夫氏との思い出を振り返ったあと、次のように述べました。
張忠謀氏
「(新工場は)半導体供給における強靭さを、日本にとっても世界にとってもさらに強化することが可能になると思う。また、これは私の希望でもあるが、半導体製造の日本におけるルネサンス(復興)の始まりということを信じているし、期待している」
このあとあいさつを行ったのが齋藤経済産業大臣です。

TSMCの新工場には日本政府が最大4760億円を補助します。

意義をこう強調しました。
齋藤経済産業大臣
「我が国の半導体産業は1980年代には世界一のシェアを誇っていた。しかし、その後、官民双方の取り組みが時代の流れに取り残され、競争力を落としてきた現実を直視しなければならない。日本政府は反省すべきは反省し、スピード感を持って抜本的な立て直しを図る決意をした」

経済波及効果に期待高まる

TSMCの新工場がもたらす熊本県内への経済波及効果について、熊本市に本社を置く地方銀行グループの「九州フィナンシャルグループ」は10年間(2031年まで)で6兆8000億円余りに上ると試算しています。
また、民間のシンクタンク「九州経済調査協会」も、TSMCを含む九州の半導体産業の設備投資によって、10年間(2030年まで)の経済波及効果が約20兆円に達するという推計を公表しました。

一変したまちの景色

TSMCという“黒船”は、まちの景色を一変させています。

新工場最寄りのJR豊肥本線「原水駅」。
駅員のいない無人駅で、かつては閑散としていましたが、通勤時間帯は多くの利用客で混雑し行列ができるようになりました。

話を聞いてみると、台湾の人が目立ちます。

新工場では、関連企業からの出向なども含め約1700人が働く予定です。

台湾から家族と一緒に移り住むケースも多いとみられます。

人口の増加を踏まえ、JR九州は2027年春の開業を目指して、新たな駅を設置することを決めました。

また、菊陽町と周辺では、マンションの建設ラッシュが起きています。
去年9月に公表された「地価調査」によりますと、菊陽町の住宅地の上昇率が21.6%に上りました。

地元の不動産会社は、ある法人から「マンション1棟をまるごと借りたい」という、これまでになかった要望が寄せられていると話します。

見えてきた3つの課題

バブルのような熱狂があちこちで感じられる菊陽町。

しかし、取材を進めると、必ずしも喜んでばかりいられない現実が見えてきました。

課題は次の3つです。
・人手不足
・農地転用
・環境保全

“人手不足”

1点目が「人手不足」です。

いま、九州では企業間の人材の奪い合いが激しさを増しています。

人口減少が進む中、TSMCが打ち出したある一手が争奪戦の“引き金”となったのです。

それが「大卒の初任給28万円」。

熊本県内の製造業の平均より3割以上高い水準で、TSMCに新卒だけではなく、いま働いている社員も持って行かれかねないという危機感が地元企業の間で強まっています。

このうち、TSMCの工場から近い大津町のビジネスホテルは、半導体関連企業の進出に伴いビジネス客が増えていますが、フロントのスタッフの確保に悩まされています。
去年からスタッフを募集し、初任給も2万円引き上げて20万円にしたものの、応募したのは数人のみ。

いまは最低限の人数で業務をこなしています。
ホテルビスタ熊本空港 成田規人 支配人
「ぎりぎりの人員で回しているというのが本音。本当に応募が少なくて、今後採用を考えたときに頭を抱えているような状況です。客室の稼働率はかなり上がっていますが、それに対応する人材がなかなか集まらないので苦慮しています」
半導体業界では「専門人材」が不足しています。

こうした中、自社で社員を教育して知識を習得してもらおうという動きが出ています。
熊本県益城町に本社がある半導体関連企業では、専門知識を持たずに入社した社員などを対象に、数か月かけてリスキリング=学び直しの教育を進めています。

専門人材の獲得が難しいなら、自分たちの手で時間をかけてでも育てようという取り組みです。
教育を受けている社員
「半導体業界に初めて携わりました。現場に入るとわからない作業がたくさんあったので、トレーニングはすごくためになるし、ありがたいです」
マイスティア 工藤正也 社長
「再度しっかり勉強し直していくことは大事だと思う。リスキリングすることによって高度なビジネスに挑戦していかなくてはいけない」

“農地転用”

2点目が「農地転用」です。

TSMCの進出が決まったあと、地元では農地の転用が相次いでいます。

大津町で酪農を営む津田恵美さん(55)。

250頭以上の牛を飼育していますが、農地の減少でエサを十分に生産できなくなるのではないかと心配しています。
津田さんは借地とあわせて約25ヘクタールの農地で飼料を生産してきました。

しかし、地権者からの要望を受け、これまでに約3ヘクタールを返したと言います。

さらに町が工業団地の整備を計画していることで、今後新たな農地を確保しなければ、エサの生産量が合計で3割減ってしまう可能性もあると話します。

海外からエサを輸入すればコストが増えるため、経営に打撃となることが避けられません。
酪農家 津田恵美さん
「家族でも何回か協議しているんですが、『廃業』も1つの選択肢だよねと。いま、悩んでいます。TSMCが来たことによっていろんなことのスピードが速すぎで、私たちは追いついていけていません」

“環境保全”

3つ目が「環境保全」です。

一般的に半導体関連の工場では洗浄などのために大量の水を使用します。

TSMCの新工場でも多くの水が使われる予定で、使ったあとの排水は1日あたり約1万トンとも見込まれています。

その排水は地下の配管を通って、約10キロ離れた熊本市の「熊本北部浄化センター」に流れ込みます。

消毒などを行って処理したあと、近くの坪井川に放流しますが、センターでは放流前の水を月に3回採取して検査し、県のホームページで結果を公表することにしています。

一方、熊本県が去年8月、台湾で半導体関連企業が立地するエリアの水質などを調べたところ、一部で日本の基準を満たしていないことが分かりました。

県はTSMCに日本の排水基準を守らせていく考えです。
センターを管理する熊本県下水環境課 弓削真也 課長
「日本の法律に基づいた基準を順守してもらう。われわれも順守しているかを確認、監視することになる」

TSMC始動と地元の戸惑い

菊陽町と周辺では交通渋滞も深刻になっていて、地元の人の暮らしに影響が及んでいます。

TSMCは2月、熊本県内に第2工場を建設する計画も発表しました。

いまの日本では製造できない6から7ナノメートルの先端半導体などを生産する方針とされ、建設予定地はいまの新工場=第1工場の近くになるのではないかという見方が出ています。

日本にとって経済安全保障の確立が必要なのは言うまでもありません。

一方で、TSMC進出が地域にもたらす急速かつ急激な変化によって戸惑ったり先行きを心配したりする人たちもいます。

“黒船”がやってきた現場を歩き、人々の声に丁寧に耳を傾けながら、日本の将来を見つめていけるような取材を、これからも続けたいと思っています。

(2月24日「ニュース7」などで放送)
熊本放送局記者
渡邊功
2012年入局
和歌山局 経済部を経て現所属
県政と経済の取材を担当
熊本放送局ディレクター
廣川慧和
2022年入局
前職は不動産管理
2023年から現所属
熊本放送局記者
武田健吾
2019年入局
熊本が初任地
阿蘇支局などを経て県政を担当