焼け跡から“ラーメンのずんどう鍋”店再建を誓う 石川 輪島

能登半島地震の際、大規模な火災が発生した輪島市の「朝市通り」。

特製スープのラーメンが人気で、地元の人たちでにぎわっていた町中華の店も全焼してしまいました。

「何も考えられない感じでした」と当時の心境を語る経営者の板谷吉生さん。1か月余りたって焼け跡から見つけたのは愛用のずんどう鍋でした。

再建を半ば諦めていた板谷さんは「ずんどう鍋を見て『店をやろうかな』と気持ちが変わりました。再建して復興の1つの歯車になりたい」と再オープンに向けて動き出しています。

(記者 村松美紗)

町中華「香華園」地元のにぎわいの場

輪島市中心部の河井町にある観光名所「朝市通り」では地震のあとの大規模な火災で店舗や住宅200棟以上が焼け、およそ5万平方メートルが焼失しました。

通りに面した町中華の店「香華園」も全焼した1つで、朝市で働く人たちや輪島港の漁師が利用していたほか、年末年始の宴会や子どもの野球クラブの打ち上げなどでもにぎわっていました。大型連休などには観光客も大勢訪れて、連日満席になっていたということです。

一番人気のメニューは焼きめしと半ラーメンがセットになった定食で、ラーメンは自家製のちぢれ麺に、創業から受け継いできた鶏がらと魚介ベースの特製のスープを合わせたこだわりの1品でした。

全焼した店に「ごめんな」

1月4日、火災のあと初めて店の場所を訪れた経営者の板谷吉生さんの姿がありました。

板谷さん
「テレビで火事の様子は見ていたので覚悟はしていましたが、真っ黒に変わり果てた店を目の前にしてがっくりしました。悲しすぎて今は涙も出ません」

板谷さんのもとには、火災のあと、常連客から「(店を)再開してほしい」という連絡がたくさんあったということですが、自宅も火災で失ったことや資金集めが難しいことなどからなかば諦めていたといいます。

板谷さんは、当時の心境について「全焼した店を見て、店に『ごめんな』という気持ちでした。悲しいというより、何も考えられない感じでした」と振り返っています。

焼け跡から見つかった“ずんどう鍋”

ところが火災から1か月余りがたった2月6日、転機が訪れました。

小松市の二次避難所から片づけに通う中、焼け跡から特製のスープ作りに使っていたずんどう鍋が見つかったのです。

鍋を置いていた場所の周りは焼け焦げていたにもかかわらず傷はほとんどなく、磨けばもう一度使える状態でした。

再オープンは「朝市通りで」

他にも皿やギョーザを焼く鍋、フライパンなども徐々に見つかり、板谷さんは「少しずつ気持ちが動き出し、ずんどう鍋が出てきたとき、『店をやろうかな』と気持ちが変わりました。ずんどう鍋が最後の一押しをしてくれたと思います」と話し、再オープンに向けて動き出しています。

金沢市内で再建しないかという知人からの誘いも届いていたということですが、先代の父親も含めて3代にわたり60年近く続いてきた店を構えるのは「朝市通り」にこだわりたいと考えています。

板谷さんは「何年かかるか分かりませんが、自分が生まれ育った輪島で再建することで復興の1つの歯車になり、地域を少しずつでも復興させていきたい」と話しています。

被災地の飲食店 厳しい状況に直面

能登半島地震の被災地の飲食店は営業再開が見通せない厳しい状況に直面しています。

輪島市内の62店が加盟する「輪島飲食業同業組合」は地震による被害の状況について、発災の数日後から2月12日にかけて聞き取り調査を行いました。

その中では今後の営業の見通しについて、ほぼ半数の32店舗は建物が全壊したり多くの設備が壊れたりするなどしていて、電気や水道などが復旧したとしても営業再開が厳しいと回答したということです。

組合によりますと、こうした声の背景には震災前からあった高齢の経営者の後継者不足の問題に加え、再建にかかる費用への懸念が追い打ちをかけたとみられるということです。