軍事侵攻2年 犠牲になった兵士たちを追悼する展示会 キーウ

侵攻から2年がたち、戦闘で命を落とす兵士の数が増え続ける中、その家族たちはいまも深い悲しみの中にあります。

首都キーウにあるウクライナ国立歴史博物館では、ロシア軍に掌握された東部ドネツク州の激戦地、マリウポリで犠牲になった兵士たちを追悼する展示会が開かれています。

会場では遺族から提供された兵士たちの所持品や衣服のほか、戦闘が激しくなる前に仲むつまじく共同生活を送る様子を収めた映像なども展示されています。

子どもがこの世に生きた証しを残したいと思い、ほかの遺族と協力して展示会を企画したビラ・リトビネンコさんは、おととし3月、27歳だった息子のブラディスラブさんをロシア軍の砲撃で亡くしました。

亡くなる数日前に息子と電話でことばを交わしていたといいます。

リトビネンコさんはその時の会話について「息子は『自分はある場所にいて核戦争が起きても安全だ』と言いました。私たちはかつてマリウポリに住んでいたのでそれがどこなのかすぐにわかりました」と振り返りました。

当時、ロシア軍はマリウポリにあるウクライナ側の拠点だった製鉄所を包囲していました。

息子はロシア軍に盗聴されるおそれから具体的な場所には触れませんでしたが、その製鉄所の地下に身を潜めていたとみられています。

しかし、その会話を最後に息子と音信不通になりました。

その1週間後、28歳の誕生日に送ったメッセージにも既読はつきませんでした。

誕生日の2日前に命を落としていたのです。

リトビネンコさんは「『もし自分の身になにかあったら、軍が連絡してくるよ』と息子はよく冗談で言っていました。しかし、その日は来てしまいました。これまで生きてきたなかで最もつらい瞬間でした」と涙を浮かべながら話していました。

展示会に提供したのは、息子が戦地で履いていた靴や使っていたボクシンググローブ、それに、趣味だったという油絵の作品などです。

リトビネンコさんは「息子を失ったことはいまだに信じられませんし、痛みは計り知れません。それでも、息子が生きた短く輝かしい人生は、私の誇りなのです」と話していました。

しかし、侵攻から2年がたっても犠牲者が増え続ける現状にもどかしさも感じています。

リトビネンコさんは「もし十分な武器があれば、これほど多くの若者が命を落とすことはなかったでしょう。こんなにも間違っていて、不公平な戦争はありません。世界はそのことを理解するべきです。私たちには武器による支援が必要なのです」と訴えていました。