「もう一度 漁に出たい」アルバイトで生計を立てる漁師の思い

能登半島地震で海底が隆起するなどして船が出港できなくなり、漁業に携わる人たちは苦境に追い込まれていて、輪島市の漁師の中にはアルバイトで生計を立てざるを得ない人が出ています。
災害ごみを回収するアルバイトをしている漁師は「もう一度、漁に行きたい」と胸の内を明かしました。

輪島市の輪島港では先月の地震以降およそ200隻の船が出港できなくなっているほか、水揚げに欠かせない冷凍庫や製氷機も壊れ、港の機能が復旧するめどは立っていません。

こうした中で漁ができない漁師の中には収入を得るためにアルバイトをせざるを得ない人が出ています。

18歳から40年以上漁師をしてきた松屋明人さん(61)もそのひとりで、知人の紹介で今月1日から市内の建設会社でアルバイトを始めました。

アルバイトの収入以外にも雇用保険などは見込めますが、松屋さんは「働いても働かなくても出ていくお金は一緒なので収入がないのはきついです」と話していました。

仕事は災害ごみの回収で、漁とは全く勝手が違いますが週に6日、働いています。

自宅は地震で傾いて住めないため避難所から出勤していて、作業着は漁に出るときに着ていたカッパです。

22日は、鳳至地区で作業し、住宅の前に置かれたたんすやふとんなどの災害ごみとなった家財道具をトラックの荷台に積んでいきました。

15分程度で荷台が満杯になると、車で片道およそ30分かかる市内の仮置き場まで運び、搬入します。

災害ごみの回収と仮置き場への搬入を1日に3回ほど繰り返すということです。

松屋さんが働く建設会社によりますと、地震のあと、がれきの撤去や災害ごみの回収などの依頼が増えた一方、従業員が被災していて仕事をさばききれないこともありアルバイトする漁師が復旧に一役買っている面があるということです。

松屋さんは午前0時ごろ出港し夕方に戻る漁師としての長年の生活習慣を変えることに苦労しましたが、1か月近くがたち今のペースに慣れつつあることがかえって漁への愛着を強めているといいます。

松屋さんは「漁師の仕事ができないのはやはり耐えられない。再開が5、6年先になれば高齢なので続けられるか分からないが、もう一度漁に行きたい」と胸の内を明かしています。

漁業者への補償の仕組みは

松屋明人さん(61)の所属する石川県漁業協同組合輪島支所によりますと、輪島港を母港として操業する漁船はおよそ200隻です。

漁師や海女などおよそ500人の漁業者が働いていますが、少なくともこれまでに30人ほどの漁業者が災害ごみの回収や仮置き場での仕分け作業のアルバイトを始めたということです。

背景には漁業者に対する補償の仕組みがあります。

水産庁によりますと災害や不漁などで漁獲量が減った場合、全国の漁業者で作る団体が損失を補てんする共済制度がありますが、加入するのは経営者にあたる漁船の船長が多く、給付金は船長に支払われます。

このため給付金を乗組員の漁師が受け取れるかどうかや、どの程度受け取れるかは船長によるところが大きいということです。

国は乗組員を含む漁業者の雇用を維持するため、今後、港の復旧作業の一環として漁船を使って海底や漁場の調査をする際に地元の漁業者に参加してもらい日当を支払う事業などを行うことにしています。

石川県漁業協同組合輪島支所の上浜敏彦統括参事は、「高齢な漁業者も多いので、漁ができないまま長期間たつと廃業を考える人もいると思う。漁を再開するまでのつなぎになる収入が手元に入る事業が望まれます」と話していました。