俳優 山本陽子さん死去 81歳 映画やドラマなどで活躍

1960年代から話題の映画やドラマ、舞台などで活躍し、清純な女性から悪女まで幅広い役柄を演じ分け、人気を集めてきた、俳優の山本陽子さんが、20日、急性心不全のため亡くなりました。81歳でした。

山本陽子さんは東京出身で、1963年に日活のニューフェイスとして芸能活動を始めました。

そのあと、話題の映画やドラマ、舞台などに次々と出演し、清純な女性から悪女まで幅広く演じ分ける高い演技力と清そな顔だちで人気を集めました。

このうち、1982年に放送された民放のドラマ「黒革の手帖」では平凡なOLから銀座のクラブのママにのし上がる悪女を演じて話題を呼んだほか、老舗の漬物店を舞台に親子の絆などを描いた1990年のNHKの連続テレビ小説「京、ふたり」では母親役を演じるなど、数多くのドラマに出演しました。

また、舞台でも長く活躍し、森光子さんの「放浪記」に出演したほか、舞台「おはん」で主役を演じ、1993年度の菊田一夫演劇賞を受賞しています。

さらに、長年出演した「のり」のコマーシャルでもお茶の間に親しまれました。

最近も2月2日に放送されたテレビ番組に出演して元気な様子を見せていたほか、4月には舞台への出演も予定されていましたが、所属事務所によりますと、20日、急性心不全のため亡くなったということです。81歳でした。

所属事務所の代表がコメント「最期の瞬間まで自由に」

山本陽子さんの訃報を受けて、山本さんの親族でもある所属事務所の代表がコメントを発表しました。

この中では、「亡くなる数時間前まで一緒におり、いつもと変わらぬ様子で帰宅の途へついたので、所属事務所代表であり、家族でもある私自身いまだに信じられません。今回このようなかたちで皆様へ突然の訃報をお知らせすることになったのは残念でなりません」とつづっています。

また、ことし4月にアガサ・クリスティーが原作の舞台に出演する予定だった山本さんの近況について、「稽古を間近に控え、台本と向き合う日々でした。やり遂げられなかったこと、共演者、公演関係者、観劇予定のお客様へご迷惑をお掛けすることになったのは大変申し訳なく思います」としています。

そのうえで、「今頃本人は向こうで『こっちの話し方のほうがいいかしら?』などと役作りに励んでいることと思います。常に傍らにいた私から見ても最期の瞬間まで自由に生きた幸せな人生でした。家族として、所属事務所代表として、これまでの皆様からのご支援、ご声援に心より感謝を申し上げます」と結んでいます。

CM出演の海苔店がコメント

山本陽子さんが長年イメージモデルを務め、テレビコマーシャルに出演するなどしてきた、山本海苔店はホームページにコメントを発表しました。

この中では「ご逝去の報に接し、突然のことで大変驚いております。陽子さんには、1967年のイメージモデル起用以降57年にわたり、コマーシャルフィルムやポスターなどでご活躍いただきました。大スターであるにも関わらず、大変親しみやすい優しいお人柄でもありました。ご生前のお力添えに深く感謝申し上げるとともに、謹んでお悔やみを申し上げます」などとしています。

会社によりますと、山本さんは、2010年に「専属モデル契約年数最長」として、ギネス世界記録に認定されたということです。

俳優の高橋英樹さん「突然なことで息もつまる」

山本陽子さんと同じ日活のニューフェイスとして活躍し、2月放送された民放のテレビ番組でも共演していた俳優の高橋英樹さんはブログを更新し、山本さんを追悼するコメントを寄せています。

この中では「つい先日ご一緒したばかりでした。日活映画時代の話で盛り上がり、熱海にお住まいなので私もよく熱海に行きますので今度一緒に食事をしましょう!とラインも交換しました。あまりにも突然なことで息もつまりました。ご冥福をお祈りいたします」などとコメントしています。

俳優の辰巳琢郎さん「とりわけショック」

1990年のNHKの連続テレビ小説『京、ふたり』で山本陽子さんと共演した俳優の辰巳琢郎さんが自身のSNSを更新しました。

この中では「『京、ふたり』以来、親しくおつき合いさせていただいていた憧れの大先輩。麻雀もお酒も強かった。最近あまりに訃報が多いけれど、とりわけショックです。合掌」とコメントしています。