ちいさな命のそばに リトルベビーハンドブック

ちいさな命のそばに リトルベビーハンドブック
体重2500グラム未満で生まれた赤ちゃんは「低出生体重児」「リトルベビー」とも呼ばれ、発育や発達の遅れなどのリスクが大きいとされることから、多くの親が不安を感じながら子育てをしています。

こうした赤ちゃんの家族を支えたいと、13年前、ある女性を中心に「リトルベビーハンドブック」と呼ばれる冊子が作られ、いま全国に広がりを見せています。

(松山放送局 中村奈桜子)(静岡放送局 岡嶋彩加)

“リトルベビー”出産の経験

静岡市で低出生体重児の親子によるグループの代表を務める小林さとみさん。

22年前(2002年)、体重927グラムと466グラムの小さな双子の赤ちゃんを出産しました。
妊娠7か月の健診で突然、医師から「すぐに赤ちゃんを取り出さないと命が危ない」と宣告を受けます。それまで順調に過ごしていた妊婦生活から、心の整理ができないまま思いがけない出産を迎えることになったのです。

季節は、あたたかな風が吹く田植えのころ。
感慨にふける余裕はまったくなかったといいます。
小林さん
「健診に行ったその日に入院となり、27週0日で双子の女の子を出産しました。生まれたばかりの姿は、どこにいるのかなと思うほどいろんな管が体に付いていて。一体これはどうしたことなんだろうと、本当にその時には思いました。触ったら壊れちゃいそうで、触れなかったですね」
子どもたちは生き続けられるのか。
もしかしたらもう駄目かもしれない。
明日までの命かもしれない。

娘たちが入院する病室に向かって、手を合わせ続ける日々を過ごした小林さん。

強い不安で周囲からのお祝いの言葉も受け止めきれなかったといいます。
そして、本来ならば母親の支えとなるはずの母子手帳がさらに小林さんを追い詰めることになります。

我が子の記録が残せない母子手帳

妊娠した際に、自治体から交付される母子健康手帳、通称「母子手帳」。

妊娠、出産、それに育児期間を通じた母親と子どもの健康状態や日々の成長、健診や予防接種の記録が残せます。

しかし、母子手帳は、赤ちゃんが十分に成熟して生まれることが前提にされていることもあり、例えば、発育曲線を記録するページでは、グラフの目盛りが体重は1キログラム、身長は40センチメートルからしか記入することができません。
その値より小さく生まれた赤ちゃんは、記録が残せないのです。

さらに、月齢に合わせた赤ちゃんの成長に関する質問項目にもほとんど「いいえ」と答えるしかなく、「我が子の成長が基準に追いついていないのでは」と母親が負い目を感じることも少なくありません。
小林さん
「予定日よりもずいぶん前に小さな赤ちゃんとして産んでしまってごめんなさいって。自分の子どもの成長が遅れているっていうことをまざまざ見せつけられるような、そうではないとわかってはいても残酷だなっていう思いがありました」

低出生体重児 約10人に1人

厚生労働省によると、2500グラム未満で生まれた小さい赤ちゃん「低出生体重児」の国内での割合は、1980年には5.6%だったのに対し、2022年は9.4%とおよそ10人に1人の割合に増加しています。
専門家は、次のように指摘しています。
自治医科大学 河野由美教授
「増加の背景には初産の年齢が上がっていること、医療技術の発達などが挙げられる」
小さく生まれた我が子を見て、「自分の何がいけなかったか」と深い自責の念に駆られ、孤立感を感じる母親は少なくないのです。

リトルベビーハンドブックを作成

「自分と同じ思いを、ほかの親にはしてほしくない」

小林さんを中心とする静岡市のグループは、13年前の2011年に「リトルベビーハンドブック」を作成しました。
リトルベビーハンドブックには、
・発育曲線を記録するページでは、体重の目盛りがゼロから設けられている
・赤ちゃんが初めてできたことを月ごとに確認するのではなく、自由に書けるようにしている
といった工夫が施されていて、それぞれの子どもの成長に合わせて記録ができるようになっています。

さらに、不安を抱えた母親たちの心の支えになるようにすべてのページに、同じ経験をした先輩ママやパパからのメッセージを添えました。
「泣いたってくじけたっていい」
「マイペースでお互い頑張りましょう」
小林さん
「お母さんが、ゆっくりの成長でも焦らないで、楽しく手帳に子どものことを記録していけるようなものを作りたい、焦ったり心配したりする気持ちを軽くしたいと思って、ママのための手帳を作ろうというふうに決めて作ったんです」
その後、リトルベビーハンドブックは全国で注目が集まり、NHKの取材では40の都道府県ですでに導入され、残る7つの県も導入を予定・検討していることがわかりました。(2024年1月時点)
ひとつひとつデザインも異なり、また、地域の実情に応じた情報も載っているということです。

リトルベビーハンドブックを手にした母親

各地で作成されているリトルベビーハンドブックは、小さく生まれた赤ちゃんと家族のもとへ届いています。
その一人、去年(2023年)ハンドブックが導入された愛媛県で暮らす、二宮実来さん。1歳を迎えた娘の笑芽ちゃんの記録を、えひめリトルベビーハンドブックに書き残しています。

笑芽ちゃんはおととし12月、早産で657グラムで生まれましたが、肺や心臓などが十分に機能していなかったため4か月以上入院し、医療的なケアが続きました。
二宮さん
「生まれた後も保育器の中に手を伸ばして、ぬくもりを感じる程度で、小さすぎて触ってもいいのかわからないくらい。会えた時間は幸せな感情があふれるんですけど、一人になると『なんで小さく産んじゃったんだろう、なんで産んだのに近くにいられないんだろう』ってつらい思いもしました」
誕生後も、あらゆる病気や発達の検査を受ける笑芽ちゃん。

そんな笑芽ちゃんを前に、「母親なのに、自分は何も我が子にしてあげることができない。触ることしかできないのに私は本当に赤ちゃんを産んだのだろうか…」と苦しむ日々でした。

そんな中、実来さんを支えたのがリトルベビーハンドブックでした。
二宮さん
「1番印象的だったのが、みんなからのメッセージが全ページに入っているところ。もらった日の帰り道、ずっと読み続けました。自分だけじゃないなって希望になりました」
手にしたハンドブックに最も書き込んだのが、だっこや沐浴など赤ちゃんとの初めての出来事を記録するページ。枠からはみ出るほど、びっしりと思いを詰め込みました。

そのひとつ、2か月以上たって初めて抱っこしたときには、「体重はまだ1900グラム台だったけど、思ったよりも重みがあって、何よりあたたかくて赤ちゃんのいいにおい。『私が生んだんや。』ってやっと実感できた…。『自分の命に代えてでも守る』そう思った。」と書き残しています。
二宮さん
「笑芽ちゃんに残したいという思いもあって、書いていたらこんなに書いちゃいました。細かく書いているのでもしかしたら将来、笑芽ちゃんが読んで衝撃を受けるかもしれないけど、頑張ってきた証でもあるので、大きくなった時にこれを読んでまた頑張るぞって、笑芽ちゃん自身が元気をもらえるものになったらいいなと思っています」

ハンドブックが担う「切れ目のない支援」の役割

リトルベビーハンドブックが全国で広がりを見せる中、各地でアドバイザーを務めてきた国際母子手帳委員会の板東あけみ事務局長は、ハンドブックを通じて母親たちと医療従事者や地域保健機関、行政などとのネットワークも同時に築けるといいます。
国際母子手帳委員会 板東あけみ事務局長
「病院が処置や健康状態をリトルベビーハンドブックに記入して保護者へ渡し、病院から保健センターにも連絡。担当保健師が家庭訪問などでハンドブックを見て相談にのり、産後ケアへ紹介。ハンドブックがあれば、赤ちゃんが退院後は初診の病院や療育機関などで丁寧な情報共有が可能です。リトルベビーハンドブックが赤ちゃんを安心して育むためのネットワークを作る役割を担いながら、活用されることを期待しています」
去年12月には全国のリトルベビーサークルのメンバーらが参加する「リトルベビーサークル全国ネットワーク」も立ち上がり、小さな赤ちゃんの育児支援を、国へ要望する活動などを始めています。
全国各地をまわり、母親たちの声を集める板東さんは、ハンドブックが全国各地で運用開始された後も「切れ目のない支援」を続けていく姿勢が必要だといいます。
国際母子手帳委員会 板東あけみ事務局長
「これまではリトルベビーハンドブックは各都道府県経費での作成でしたが、国から改訂作成費や周知のための講習会の補助金などのサポートも加われば、ハンドブックの社会的認知に加え、『リトルベビー』という言葉がもっと世の中に浸透していくのではと期待しています。少子化の時代に生まれた尊い命を国や社会全体で守っていく、その道しるべの1つにリトルベビーハンドブックがなればと思います」
(1月29日「おはよう日本」で放送)
松山放送局 ニュース映像制作
中村奈桜子
2021年入局
ニュースや番組の映像編集を担当しています
学生のときに福岡で助産院をお手伝いしたり、産後ケア事業に参加
静岡放送局 カメラマン
岡嶋彩加
2021年入局
松山局を経て現在、静岡局で報道カメラマンとして現場を走り回っています
これまで離島の中学校寮や障害者の活動などを取材