【映像 被災地の祈り】16時10分 地震発生時刻に犠牲者悼む

能登半島地震からきょうで1か月です。

石川県輪島市の中心部にある「朝市通り」をNHKがけさ7時すぎにドローンで撮影しました。通り沿いにはいまも黒く焦げた建物が並んでいます。

被災地した各地のいまを映像でお伝えします。

16:10

《輪島市》“今も安否不明の方 1日でも早く見つかるように”

輪島市では市中心部の「朝市通り」で大規模な火災が発生し、店舗や住宅など200棟以上が焼けたとみられています。

地震発生から1か月となった1日は、時折、雪が舞う中、朝市で店を営む人などが自宅や店舗の様子を見に来ていました。

そして、地震の発生時刻の午後4時10分に無線の放送で黙とうが呼びかけられると、静かに手を合わせて犠牲者を悼んでいました。

朝市の店舗などでつくる「輪島市朝市組合」の冨水長毅組合長は「亡くなった方のご冥福をお祈りし、今も安否が分からない方が1日でも早く見つかるようにという気持ちで黙とうしました。輪島のシンボルとして、いつか元気になった朝市を見てもらいたいです」と話していました。

「朝市通り」で創業70年以上の海産物店を営む関山俊昭さんは、「1か月はとても長かったですが、時間が止まっているようにも感じます。朝市の文化や歴史を未来に残していくためにも復興にむけて頑張っていきたいです」と話していました。

《輪島市》手向ける花 家族を亡くした友人のために

能登半島地震で断水が続く中、北陸の花屋のチェーンは被災地に花を届ける取り組みを行っています。

輪島市宅田町の福祉避難所となっている施設の前には、白や黄色の菊の花や富山県産の色鮮やかなチューリップが並び、知人を亡くした人や避難している人が花を手に取っていました。

被災地では広い範囲が断水し花が十分に手に入らない状況が続いていて、花屋のチェーンは遺族などに犠牲者を悼む花を届けるとともにきれいな花が少しでも被災者の支えになってほしいとしています。

妻と孫を亡くした友人のために花を受け取った堂畑勝二さん(69)は「友人からは避難所を転々としたり亡くなった家族をすぐに火葬できなかったりと、つらかったと聞きました。この花を友人に届けて友人の家族に手向けてもらおうと思います」と話していました。

この福祉避難所で避難生活を送る島谷千鶴子さん(86)は涙ながらにチューリップを受け取り、「語りがたい1か月でした。このような支援は気持ちが明るくなるので本当にありがたいです。目につくところに飾ります」と話していました。

《珠洲市》避難者が夕日に向かって黙とう

今回の地震で、珠洲市では災害関連死の疑いを含めて101人が亡くなっていて、避難所のひとつ上戸小学校には地震から1か月たった今も50人あまりが身を寄せています。

地震が発生した午後4時10分が近づくと、市内全域に向けた防災行政無線で、「亡くなられた方々に心から哀悼の意を表し1分間の黙とうをささげたいと存じます」という泉谷満寿裕市長のメッセージが流れました。

そして発生時刻になると、避難している人たちは廊下から窓の外の夕日に向かって1分間の黙とうをささげました。

避難生活を送っている30代の女性は「この1か月はあっという間でした。不便なところもありますが、楽しいことも少しずつ増えてきました。まずは家に戻れるように、少しずつ自宅の片付けをしていきたい」と話していました。

《日本航空石川高校》山梨から“感謝の思いで祈り”

日本航空石川高校は石川県輪島市の学校が被災し、出場が決まった3月のセンバツ高校野球に向けて系列校がある山梨県で練習を行っています。

1日も富士川町のグラウンドでおよそ30人の選手たちがキャッチボールやノックの練習などに汗を流しました。

そして、グラウンドの整備を終えると石川県がある北西の方角を向いて全員で整列し、地震が起きた午後4時10分、亡くなった人たちへの黙とうをささげました。

このあと中村隆監督が「今までやれてたことも当たり前じゃない。感謝して、やれることを思い切りやっていこう」と選手たちに伝え、練習を再開しました。

キャプテンの寳田一慧選手は、「地震から1か月たって自分たちはすばらしい環境で野球をやらせていただいているということをもう一度感謝するのと、被災地で苦しんでいる人がいるなかで感謝の思いで黙とうしました。3月の甲子園に向けてしっかりもう一度全員で気持ちをひきしめてがんばっていきたい」と話していました。

中村監督は、「復興に向けてほとんど手がついていないなか、目標に向けて野球をやらせてもらっています。選手たちにはすべてのことに感謝して、これからもやっていってほしい」と話していました。

《七尾市》駅員も黙とう “運転再開で復興の足がかりに”

能登半島地震が発生した午後4時10分にあわせて、石川県七尾市のJR七尾駅前では、駅員8人が黙とうをささげました。

JR西日本七尾鉄道部の佐原健司総務科長(64)は「私も七尾に住んでいる、被災した1人です。亡くなった人に哀悼の意をささげ、2度とこんなことが起きないようにと願いながら、黙とうしました」と話しました。

そのうえで地震の影響で大きな被害を受け、一部の区間で運転を取りやめているJR七尾線について、「徐々に運転を再開する区間が広がり、高校生や会社に通う人から『通常の状態が少し戻ってよかった』という声が聞かれました。まだ運転していない区間も再開することで、復興の足がかりにしたいです」と話していました。

いまも運転を取りやめている七尾駅と和倉温泉駅の間については、今月中旬の運転再開を目指し、復旧作業を進めているということです。

10:00前

《珠洲市》岸壁に漁船乗り上げたまま

石川県珠洲市をNHKが午前10時前にドローンで上空から撮影しました。

市の南部にある鵜飼漁港では今も岸壁に漁船が乗り上げたままとなっているほか、転覆している船もあります。この漁港では気象庁の現地調査で、津波の高さが2.7メートルに達したとみられています。

漁港の北側では海岸沿いの住宅が大きな被害を受けていて、壊れた建物の一部が周囲に散乱しています。

また、漁港の沖合にある石川県を代表する景勝地「見附島」は、島の東側が大きく崩落しているのがわかります。

7:00すぎ

《輪島市》 “長いようで短い1か月”

火災で大きな被害を受けた「朝市通り」では、風が強く吹く冷え込んだ朝を迎えました。

この通りや周辺では大規模な火災が発生し、国土交通省国土技術政策総合研究所と建築研究所によりますと、5万800平方メートルが消失したと推定されています。

地震と火災の直後からほとんど様子は変わっておらず、鉄骨がむき出しになった建物などはそのままになっていますが、亡くなった人を悼む白い花束が手向けられていました。

一部はブルーシートで覆われていますが茶色がかった焼け跡が目立ちます。

通りから離れた場所でも大きな被害が出ていて建物が焼け落ち基礎だけが残っているほかトタンや車がそのままになっているところもあります。

近くにある自宅が壊れ、金沢市の避難先と往復して暮らしているという67歳の男性は「これからどうやっていくか必死に考えている状況で、先のことをゆっくり考える余裕はありませんでした。町並みがこのような状態になってとても悲しく、どうやって復興していくのかが課題です」と話していました。

また、近くに住む65歳の男性は「長いようで短い1か月でした。歩いていても今までと街の景色が変わっていてさみしいです。生活再建の見通しもたたず不安ですが、毎日を生きていくしかないです」と話していました。

《輪島市》安否不明者の兄「1日も早い発見を願う」

輪島市市ノ瀬町では、今回の地震で大規模な土砂災害が発生し、巻き込まれたとみられる垣地英次さん(56)の安否が今もわかっていません。1日も雨が降る中、消防隊員ら50人以上が重機を使って土砂をかき出すなどして捜索にあたっていました。

横浜市消防局特別高度救助部隊の佐藤達也さんは「大変大規模な土砂災害の現場で、当時の状況も確認しながら捜索しています。発見を待っているご家族と安否不明の方が1日も早く会えるよう活動を進めたい」と話していました。

金沢市内に住む兄の弘明さん(58)は、幼いころから仲がよかった英次さんの発見の知らせを待ち続けていて「雨や雪で足元が悪い状況で、寒さが厳しいなかでも捜索を続けてもらい本当に感謝しています。弟の1日も早い発見を願うばかりで、それだけが今の願いです」と話していました。

《輪島市》みずからも被災も診療続ける医師

輪島市河井町の医師の小浦友行さんは、1か月前、妻で医師の詩さんなどの家族と被災しました。

クリニックは天井に穴が開くなどの被害があったため、一時は駐車場にとめた医療用の車両で診察を行っていましたが、1週間ほど前から被害の少なかった建物の2階で看護師など8人とともに本格的な診察を再開したということです。

1日は避難中の患者らをオンラインで診察し、家族で輪島市から金沢市に避難している80代と50代の女性には、体調に問題が無いかや十分に眠れているかなど、いまの生活の状況を尋ねていました。

診察を受けた50代の女性は「顔なじみの先生に診てもらえると、とても安心します」と笑顔で話していました。

小浦医師によりますと、地震から1か月がたって持病が悪化する人が増えているほか、長引く避難生活などで疲労やストレスを受けた心のケアも課題になっているということです。

小浦医師は「同じ地震の被災者だからこそ語り合えることもあると考えて診察を続けています。オンラインなどのいろいろなやり方で今後もこの地域の医療と向き合っていきたい」と話していました。

《珠洲市》 発生時刻で止まった時計

地震で被害を受けた、けさの珠洲市では、地震があった時刻の午後4時10分すぎで止まってしまったとみられる時計がありました。

周辺は壊れた家屋などのがれきが散乱したままの状態となっています。

“片づける気にもなれず”

101人が亡くなり、4人の安否が分かっていない石川県珠洲市にある飯田港の近くでは、けさも車が乗り上げたり、家が大きく崩れたりしている様子が見られました。

犬の散歩をしていた68歳の女性は、「地震が起きた時も海の近くで犬の散歩をしていて無我夢中で近くの高校まで避難しました。地震の発生以来、時間の感覚が分からなくなっていて、きょうまであっという間だったという気持ちと長かったなという気持ちがあります。自宅の1階は無事でしたが、2階は物が散乱して片づける気にもなれず、これからどうやって生きていこうか悩んでいます。町の面影がなくなり、近所の人も2次避難でいなくなって、悲しいような、むなしいような、何とも言えない気持ちです」と話していました。

5:30すぎ

《七尾市》 市場で1か月遅れの初競り

七尾市の公設地方卸売市場ではことしの初競りが行われ、競り人たちの掛け声が飛び交う中、県内で水揚げされたブリやなまこなどが次々と競り落とされていました。

七尾市の公設地方卸売市場は能登半島で唯一の公設の卸売市場で、初競りを先月4日に行う予定でしたが、地震によって休業を余儀なくされていました。

市場では地震の揺れや液状化現象で建物の入り口に段差ができたり駐車場に亀裂が入ったりして車の通行が難しくなったほか、魚を洗うための海水が通る配水管が壊れるなどの被害が出ました。

その後、被害が出た場所を応急的に補修し、建物が仮復旧したことなどから、けさから市場を再開できたということです。

競りに参加した業者は「市場が再開してよかったし、魚も鮮度がいい状態だ。ただ、断水で魚がさばけないことで魚を買いに来ている人も半分くらいになっているようだ」と話していました。

「七尾魚市場」営業第一部の細口守部長は「なんとか1か月で再開できたことはうれしく思っています。もっともっと水揚げを増やして魚を供給していきたい」と話していました。

《七尾市》デイケアセンターの利用再開

七尾市にあるデイケアセンター「ひだまりの樹」は今回の地震で施設の地盤の一部が50センチほど陥没するなどして床が傾いたり、通路に段差ができたりする大きな被害を受けました。

施設を利用していたおよそ80人は、リハビリや入浴支援、それに食事などの提供を受けられない状況が続いていましたが、市内にある別の施設のスペースを借りて1日、利用が再開されました。

さっそく9人が利用し、専門の職員らの指導を受けながら、両手を振り上げたり、足を繰り返し上げたりして、体を動かしていました。

入浴支援では地震が起きた先月1日以降、初めて風呂に入ることができた人もいたということです。

施設は、地震が起きる前は多くの人が週に2回から3回、利用していましたが、別の施設を使うため当面は週1回とし、今後、徐々に多く利用できるようにしていきたいとしています。

松澤恵美センター長は「久々に利用者を迎えられてうれしい。元気で歩いていた人の足元がおぼつかなくなるなど身体機能の低下も見られるので安全に自宅で暮らせるよう取り組んでいきたい」と話しています。

《富山 氷見市》立ち入り「危険」の住宅も

震度5強の揺れを観測し被害を受けた住宅が900棟余りにのぼる富山県氷見市の被災地では、いまも壊れた住宅が残されています。

氷見市中心部の栄町では、住宅の「応急危険度判定」で立ち入るのは「危険」と判定され、赤い紙が貼られた住宅が複数あります。こうした住宅には、1階の壊れた部分にブルーシートが貼られて、そのまま残されているものもあります。

また、道路脇には土砂が噴き出した液状化とみられる跡が残っています。

氷見市役所によりますと、今回の地震で被害を受けた市内の住宅は、1月31日までに全壊が88棟、半壊が139棟など、あわせて939棟にのぼるということです。

石材店を経営している70代の男性は「地震の後からは何をしていたのかはっきり覚えていないが、壊れた多数の墓石の後片付けを依頼されて今はくたびれている。壊れた自宅の窓や戸は開きっぱなしのままで、家財も散乱したままだが片付ける気持ちにならない。自宅を修理するのか再建するのかはまだ決めておらず、なるようにしかならないと思っている」と話していました。