能登半島地震1か月 石川県 1万4000人以上避難 生活支援課題に

石川県で最大震度7の揺れを観測した能登半島地震から1日で1か月です。現地では依然として1万4000人以上が避難生活を余儀なくされていて、被災者の生活支援が課題となっています。

記事後半では、不安を抱えながら復興に向けて動き出している方たちのことばをお伝えしています。

今も1万4600人余が避難生活 生活支援が課題

1月1日の能登半島地震で、石川県ではこれまでに238人の死亡が確認され、今も19人の安否が分かっていません。1月31日の時点で確認された住宅被害は、能登地方を中心として4万6294棟に上っています。

また、避難所に身を寄せている人は1万4643人に上り、このうち、4792人が自宅から離れた地域にある旅館やホテルなどの「2次避難所」で生活しています。

石川県は被災者のための仮設住宅について、3月末までにおよそ3000戸を着工し、1300戸の完成を目指していて、31日、輪島市では県内で初めてとなる18戸が完成しました。

ただ、ライフラインの復旧には時間がかかっていて、能登地方を中心に4万戸余りで断水が続いています。

断水は多くの地域で2月末から3月末にかけて仮復旧する見通しですが、中には4月以降までかかる見込みの地域もあります。

避難生活の長期化は避けられず、不自由な暮らしを強いられる被災者や、住み慣れた地域を離れて避難する人への支援に加え、深刻な打撃を受けた人々のなりわいの再建が課題となっています。

石川 輪島 13港すべてで1月の水揚げなし

能登半島地震では石川県の水産業も大きな被害を受けています。

石川県によりますと、能登半島地震のあと、県内69の漁港のうち8割以上にあたる60の漁港で被害が確認され、中には海底が露出したり水深が浅くなったりして、船が出港できない状態になっている港もあります。

石川県漁業協同組合の集計によりますと、輪島市では市内に13ある港のすべてで1月の水揚げがありませんでした。

輪島市は県内でも有数の水揚げがあり、昨年度1年間の水揚げ高は31億7500万円余りで、この冬の時期はフグやタラ、カニ、アンコウなどが旬を迎えています。

輪島市のほかにも七尾市の港1か所で水揚げがなく、これらの港では当分の間、漁の再開の見通しは立っていないということです。

また、能登町や珠洲市などでも多くの漁業関係者が被災している影響などで、漁にほとんど出ることができていないということです。

石川県漁協「皆さんと一緒に頑張っていくしかない」

石川県漁業協同組合の担当者は「被害があまりにも甚大で、気持ちとしてはとても痛いです。これからどうしていくのか、考える余裕が全くない状況です。不安もありますが、国や県と連携するなど、皆さんと一緒に頑張っていくしかないと考えています」と話していました。

大工の男性「道具があれば少しは役に立てるかなと」

能登半島地震の被災地では雪が降りしきる1日も倒壊した建物の片づけをしている住民の姿がありました。

珠洲市正院町の83歳の男性は倒壊した作業場の壁などに使われていた大きな木材を捨てるため、1日午前中から電動ノコギリで木材を細かく切るなどの作業を行っていました。

男性は70年近く大工をしていて、作業場に埋もれた工具などを取り出そうと毎日、少しずつ片づけを進めているということです。

男性は「作業場の被害は大きく、歳も歳だし大工も辞めようと思ったが、地域では大きな被害が出ている。自分が世話になった人たちのためにも、道具があれば少しは役に立てるかなと思って片づけをしています」と話していました。

輪島塗の職人 工房再開へ片づけ「輪島で頑張りたい」

能登半島地震で経営する「輪島塗」の工房に大きな被害を受けた石川県輪島市の職人の男性は、家族とともに懸命な片づけ作業を行って、80年近く続く工房を再開させようとしています。

輪島市河井町の輪島塗職人、小山雅樹さん(68)は親から継いだ昭和21年創業の輪島塗の箸を製造する工房を家族と営んでいましたが、1月1日の地震で自宅を兼ねた工房が大きく壊れました。

小山さんと妻、34歳の息子は無事でしたが、1台1000万円以上する特注の機械3台が壊れたほか、200万円ほどの機械4台も使えない状態で、箸を製造できる状況ではないということです。

それでも小山さんは妻と息子とともに、壊れた自宅兼工房を懸命に片づけながら輪島塗の箸作りを再開させようとしています。

小山さんは「輪島塗の伝統を次の世代に引き継ぐのが自分の役目です。5年かかるか10年かかるか分からないが、ここ輪島で頑張りたいです」と決意を語っていました。

ガソリンスタンド経営者“先行き見通せず不安”

地震から1か月がたつ中、石川県穴水町でガソリンスタンドを経営する男性は店に泊り込みながら営業を続けていますが、先行きが見通せず不安を抱いています。

穴水町川島でガソリンスタンドを経営している森本敬一さんは、地震翌日の先月2日の夜、停電の影響で一度、給油する機械が動かなくなりましたが、地域の人などの助けもあり店にあった発電機を動かして翌3日の朝から営業を再開しました。災害支援の車両や車中泊を続ける人たちのために給油を行っていて、地震から1か月となった1日も次々と車が来店していました。

ただ、3人にいる従業員の中には金沢市への転居を考えている人もいるうえに、店に泊まり込んでの生活がいつまで続くか分からないなど先行きが見通せません。

森本さんは「従業員からは金沢市に出るという相談を受けていて、今後は人材が不足することを心配しています。この1か月はほとんど寝ていないような感じなので休みたいのが正直なところです」と話していました。

農業用ハウスで暮らす人も

能登半島地震の発生から1か月となる中、石川県珠洲市では避難所での衛生面に不安を抱き、自宅の農業用ハウスで暮らし続けている人もいます。

珠洲市上戸町の郡楽きみ子さんは、地震で自宅が被害を受けて住めなくなりました。一度は避難所に行ったものの、感染症にかかることや、断水でトイレの衛生環境が悪いことなどに不安を抱き、地震翌日の先月2日から自宅にある農業用ハウスに暖房器具や家具を運び込んで1人で寝泊まりを始めました。

ここでの生活は1か月近く続いていて、1日朝は給水のために自宅近くの避難所を訪れ、雪が降る中、飲料水をためたボトルを手押し車で持ち帰って、お湯をわかすなど身の回りの家事をしていました。

郡楽さんは「体は元気でなんとか工夫しながら前向きに生活を送っています。近所も友人が多く残っているので、できれば家を建て直して、この場所で生活を続けたいです」と話していました。

みずからも被災する中 診察続ける医師“同じ被災者だからこそ”

能登半島地震でみずからも被災する中で、この1か月の間、石川県輪島市で診察を続ける医師がいます。医師は「同じ地震の被災者だからこそ語り合えることもあり、今後もこの地域の医療と向き合っていきたい」と話していました。

輪島市河井町の医師の小浦友行さんは、1か月前、妻で医師の詩さんなどの家族と被災しました。クリニックは天井に穴が開くなどの被害があったため、一時は駐車場にとめた医療用の車両で診察を行っていましたが、1週間ほど前から被害の少なかった建物の2階で看護師など8人とともに本格的な診察を再開したということです。

1日は避難中の患者らをオンラインで診察し、家族で輪島市から金沢市に避難している80代と50代の女性には、体調に問題が無いかや十分に眠れているかなど、今の生活の状況を尋ねていました。

診察を受けた50代の女性は「顔なじみの先生に診てもらえるととても安心します」と笑顔で話していました。

小浦医師によりますと、地震から1か月がたって持病が悪化する人が増えているほか、長引く避難生活などで疲労やストレスを受けた心のケアも課題になっているということです。

小浦医師は「同じ地震の被災者だからこそ語り合えることもあると考えて診察を続けています。オンラインなどのいろいろなやり方で今後もこの地域の医療と向き合っていきたい」と話していました。

被災地に花を届ける取り組みを行う花屋も

能登半島地震で断水が続く中、北陸の花屋のチェーンは被災地に花を届ける取り組みを行っています。地震から1か月の1日、石川県輪島市では犠牲者を悼むための花を受け取る被災者の姿が見られました。

輪島市宅田町の福祉避難所となっている施設の前には、白や黄色の菊の花や富山県産の色鮮やかなチューリップが並び、知人を亡くした人や避難している人が花を手に取っていました。

被災地では広い範囲が断水し花が十分に手に入らない状況が続いていて、花屋のチェーンは遺族などに犠牲者を悼む花を届けるとともにきれいな花が少しでも被災者の支えになってほしいとしています。

妻と孫を亡くした友人のために花を受け取った堂畑勝二さん(69)は「友人からは避難所を転々としたり亡くなった家族をすぐに火葬できなかったりと、つらかったと聞きました。この花を友人に届けて友人の家族に手向けてもらおうと思います」と話していました。

この福祉避難所で避難生活を送る島谷千鶴子さん(86)は、涙ながらにチューリップを受け取り「語りがたい1か月でした。このような支援は気持ちが明るくなるので本当にありがたいです。目につくところに飾ります」と話していました。

掲示板には「頑張ろう」や「負けないぞ」など励ましの貼り紙

石川県七尾市の通りにある掲示板には「頑張ろう」や「負けないぞ」などの励ましのことばが書かれた紙が貼られています。

貼り紙を作ったのは七尾市松本町で、町内会長を務める高澤知明さんです。高澤さんは、自宅で家族と過ごしていた時に地震に遭いました。自身や家族にけがはなく、地震直後から町民に避難を呼びかけたり交通整備したりと町民のために活動してきました。

町は地震から1か月となる今も倒壊した建物や亀裂が入った道路が手付かずのままとなっていて、高澤さんは被災した町民や自分自身を元気づけるために先週、町内2か所に励ましのことばを書いた紙を貼りました。

貼り紙には「頑張ろう!」や「負けないぞ」などということばが力強く書かれています。

高澤さんは「1か月経ちましたが状況はあまり変わっていません。貼り紙を見て励まされる人が1人でも多くいてほしい。私もこの文字に負けないように頑張りたいと思います」と話していました。

がれきの下から成人式の振り袖「ボランティアの方に感謝」

能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市などでは、倒壊した建物から持ち主にとって大切なものを取り出そうという動きが進んでいます。

石川県内では1日午後2時の時点で4万7915棟の住宅で被害が出ていて、大切なものを取り出せなくなった人も少なくありません。

珠洲市宝立町鵜飼で美容室を営む岸田孝子さんは、成人式を前に利用客から振り袖を預かっていましたが、自宅と美容室を兼ねた建物が倒壊し取り出せなくなってしまったということです。

先月30日、市の要請を受けて活動しているボランティアの人たちが美容室を訪れ、振り袖を傷つけないように注意を払いながら取り出す作業を進めました。

振り袖の一部ががれきの隙間から見えると、作業を見守っていた岸田さんは「能登半島では今回の地震が起きる前にも何度も地震が起きていて、そのたびにものをなくしたり処分したりしてきました。今残っているものは本当に残したい、大切なものです」と話していました。作業は2日間にわたって行われ、客から預かっていた9枚の振り袖すべてと足袋などの小物も取り出すことができ、今後、泥などの汚れを取った後、持ち主に返されるということです。岸田さんは「ボランティアの方に感謝しかありません。今後成人式を開催できたらこの振り袖を着つけてあげたいです」と話していました。