輪島 朝市通り火災は1か所から拡大した 重なった想定外と誤算

輪島 朝市通り火災は1か所から拡大した 重なった想定外と誤算
石川県輪島市の観光名所「朝市通り」では、能登半島地震で発生した火災で200棟以上が焼け、およそ5万平方メートルが焼失した。

1か所から出た火の手は瞬く間に広がり、多くの住民が犠牲になった。なぜ火災は拡大し、住民たちの命を救うことはできなかったのか。

火災について取材を進めると、消火活動を阻むいくつもの想定外と誤算が重なっていたことがわかった。
(金沢放送局 記者 竹村雅志)

迫る炎「悪いけども逃げるよ」

帰省中だった清水宏紀さん(46)の実家は朝市通りのすぐそばにあった。

ゆったりとした元日を、父の博章さん(73)と、母のきくゑさん(75)の3人で過ごしていた。

ケーキを食べながら、2日前に誕生日を迎えたきくゑさんを祝っていた。

午後4時すぎ、輪島市で震度4と震度7の地震が相次いで発生。

1回目の揺れのあと、清水さんは「津波がくるかもしれない」と思い、駐車場に止めてある車のもとへ向かった。

そのとき、2回目の大きな揺れが発生し、実家の1階部分が完全につぶれて倒壊した。
「両親はどこにいる?」

清水さんは変わり果てた実家に向かって問いかけた。

すると母親から「無事だよ」と返事があった。

しかし、母親の姿は見えない。

つぶれた1階部分に取り残されていたのだ。

助け出したいが、姿の見えない母親を自力で助け出すことは不可能な状況だった。
近くで発生した火災の炎が迫ってきた。

両親を助け出すためにその場に残るか、逃げるか。

葛藤の末、清水さんは母親にこう告げる。

「悪いけども逃げるよ」

母親からは「わかったよ」と、返事があったという。

これが母親との最後のやりとりだった。

両親の行方はわかっておらず、実家があった場所からは人の骨が見つかり、警察のDNA鑑定が進められている。
清水宏紀さん
「今はまだ現実を受け止められません。現場を見てもあぜんとしている。ただ、早く両親を弔ってあげたいので身元がわかってほしいです」

1か所から次々と延焼 大規模火災に

この朝市通りの火災では、200棟以上の住宅や店舗が焼け、およそ5万平方メートルが焼失した。

なぜここまで被害が拡大したのか。

地震発生から1時間余りたった午後5時23分。

救助活動に向かった消防隊が火が出ているのを発見し、ちょうど同じころ、輪島市の消防団で団長を務める川端卓さんも火災に気付いた。
消防団長 川端卓さん
「外を見回っていたとき、なんとなく空のほうに火の気を感じた。それで慌てて朝市通りに近づいたら建物2棟から火が上がっていた」
消防が火災を発見したとき、燃えていたのは、朝市通りの南側にある、隣接する2棟の建物の1か所だった。

すぐに消火活動を始めようとしたが、うまく進められない。

火はここから次々と延焼していった。

断水で消火栓使えず 川の水も…

最初に到着した消防署員は、消防車を火元の南側に止め、ホースを伸ばして放水しようとした。
水道管が壊れて断水が起きて、消火栓は使えなかったため、近くを流れる河原田川の水を使うことにした。(地図1の場所)

ところが、地震による地盤の隆起が影響したのか、川にはほとんど水が流れておらず、消火に十分な水をくみ上げることはできなかった。

防火水槽に近づけず 複数の放水できず

延焼をくい止めるには、火元を複数の所から囲うようにして放水するのが有効だとされている。

このため、先に駆けつけた消防署員を支援すべく、団長の川端さんは、火元の東側からの放水を試みた。(地図2の場所)

ここでも消火栓は断水していたため、地下に水を貯めた防火水槽を使おうとした。

しかし、道路を塞ぐがれきが行く手を阻み近づくことができない。
断水でも使えるはずの防火水槽が使えないのは誤算だった。

川端さんは、場所を火元の西側に移動し、川の水を使おうとしたが、やはり川の水はほとんど流れておらず、消火活動をすることはできなかった。(地図3の場所)

結局、初期に放水できたのは、最初に駆けつけた消防車の1台だけで、それもわずかな川の水しか使えず十分ではなかった。

火の勢いは拡大 放水が追いつかず

初期消火の機会を逃すと、火の勢いは増していく。

輪島市では地震発生直後に1メートル20センチ以上の津波が観測されている。

地震発生後から大津波警報や津波警報が出されていたため、海に行って海水を供給することはできなかった。

朝市通りには、古くからの木造の建物が多く、倒壊した建物や家財はより燃えやすくなっていた。
火は道路を覆うがれきを伝いながら、火の粉も風に舞って燃え広がっていった。

川端さんは「このままでは街が大変なことになる」と感じた。

その後、続々と入った消防は、ホースを何十本もつないで、離れた場所にある防火水槽や小学校のプールの水を使って放水した。

しかし、火はすでに街全体を飲み込むように広がっていて、水の力は及ばなかった。
消防団長 川端卓さん
「消しようがなかったんです。もうこれはダメだなと思いました。火の粉が頭の上を越えて向かい側の建物の屋根のほうに飛んでいくのがずっと見えていました。力不足でした」

海水を使って消火活動

津波警報が注意報に切り替わった翌2日の未明。

消防は海水をくみ上げて消火を始めた。

海から大量に供給された水で、ようやく火の勢いを食い止めることができた。

そして午前7時半、朝市通りの火災は鎮圧したが、辺り一帯の建物は焼け落ち、かつての賑やかな町並みはなくなっていた。

専門家「防火水槽 使えなかったことを教訓に」

今回の火災を専門家はどう受け止めているのか。

消防行政に詳しい東京理科大学の小林恭一教授はこう話す。
東京理科大学 小林恭一教授
「阪神・淡路大震災では、消火栓が断水で使用できず火災が広がった教訓から、断水が起きても利用できる防火水槽の整備が進められた。しかし今回、その防火水槽が使用できなかったことを教訓にしなければならない。防火水槽の取水口を離れた場所にも複数設けて、1か所に障害物があっても他の所を使える対策をとるべきだ。
木造家屋密集地が全国各地にあって、地震で火災が起きると、消防隊が活動できない場合があるので、木造家屋の不燃率を上げていくことも継続的にやっていかなければならない」
さらに、大津波警報や津波警報が出されていた中、浸水想定区域で消火活動を強いられたことについて、小林教授は「今回は津波が火災現場に到達しなかったが、津波が来ていれば多くの殉職者が出たおそれもある」として、国が消火活動の安全に対する明確な基準や制度を示すべきだと指摘している。

さまざまな想定外が重なり、被害が広がった輪島市の朝市通りでの火災。
想定外を減らし、被害を拡大させないための取り組みを進めなければならない。
(2月1日「ニュースウオッチ9」で放送)
金沢放送局 記者
竹村雅志
2019年入局金沢局勤務5年目 警察や行政、地域取材を幅広く担当