石川 被災の酒造会社 コメなどを別会社の蔵に移し日本酒製造へ

石川県の酒造会社の間では、能登半島地震で被災した会社からコメなどを別の会社の蔵に移して日本酒を製造しようという動きが出始めています。

このうち能登町にある明治元年創業の「松波酒造」は、県の南部にある小松市の会社に依頼して日本酒の製造を続けることを決めました。

7代目の金七聖子さん(48)は、29日能登半島地震のあと初めて被災した蔵を訪れ、近所の人やボランティアと協力してコメを運び出しました。

築100年を超えているという蔵は今回の地震で大きな被害を受けましたが、およそ3トンのコメのほか、瓶詰めが終わっている出荷前の日本酒も無事に見つかったということです。

金七さんは今後、小松市の酒造会社の杜氏と話し合ったうえで製造のスケジュールなどを調整するということです。

金七さんは「コメがほとんど無事で見つかり安心しました。このコメが日本酒になり、ことしも出荷できると思うと希望を感じます」と話していました。

石川県酒造組合連合会によりますと、今回の能登半島地震で、能登町や輪島市などの奥能登地域にある11の酒造会社は、いずれも蔵が倒壊するなどして日本酒の製造ができなくなっています。

これまでに松波酒造を含む3社が、別の会社での製造に向けてコメやもろみを蔵から運び出しているということです。