軍事侵攻まもなく2年 ウクライナ国境 防衛最前線はいま

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってからまもなく2年。一部の欧米メディアでは、ロシア軍が早ければことしの夏にも首都キーウも含め、大規模な攻撃を仕掛ける可能性があると報じています。

2年前には同盟国のベラルーシからも進軍していて、ウクライナ北部の国境地帯では、警戒を強めています。現地からの取材報告です。

各国に支援訴えるウクライナ ロシアは長期戦にらみ準備か

ウクライナは、去年6月から大規模な反転攻勢を開始し、南部のザポリージャ州やヘルソン州などで領土奪還を目指してきましたが、当初の想定よりも進軍は大きく遅れているとみられています。

また、最大の支援国アメリカで軍事支援の継続に必要な緊急予算が議会で承認されないなど、欧米側の「支援疲れ」も指摘され、ゼレンスキー大統領は、各国に改めて支援の必要性を訴えています。

一方、ロシア側は「ウクライナの反転攻勢は失敗に終わった」と繰り返し強調した上で、東部ドネツク州のウクライナ側の拠点アウディーイウカなどに、犠牲もいとわず多くの兵力を投入しているとみられ、東部ハルキウ州でも攻撃を強めています。

さらにロシアは、北朝鮮やイランなどから大量の弾薬のほか、無人機やミサイルも獲得しているとされ、長期戦をにらんだ動きを見せています。

今後の戦況について、イギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズは1月19日、欧米側の当局者の話として、ウクライナ側は防衛線を維持しながらロシア側に対する長距離攻撃を行い、弱点を探っていくという「積極防衛」の戦略をとる見通しだと伝えています。その上でことしは戦力の増強を行い、来年の攻勢に備えるだろうとしています。

一方、フィナンシャル・タイムズは、ウクライナの政府当局者の話としてロシア軍は、早ければ、ことし夏にも大規模な攻撃を仕掛け、首都キーウも攻撃の対象になる可能性があると報じています。

おととし軍事侵攻が始まった際、ロシア軍の部隊の一部は、ベラルーシ国境を越えてウクライナ北部から進軍し、キーウを目指したとされていることから、ウクライナの国境警備隊が現在も警戒を続けています。

ロシアは、同盟関係にあるベラルーシに戦術核兵器の配備を進めているとみられるほか、ロシア大統領府のペスコフ報道官は1月22日、プーチン大統領がベラルーシのルカシェンコ大統領と近く首脳会談を行う方向で調整が進められていると明らかにするなど、ベラルーシとの関係をいっそう重視しています。

ウクライナ国境地帯 ロシア進軍見据え警戒強化

一部の欧米メディアが、ロシア軍が早ければことし夏にも首都キーウも含めて大規模な攻撃を仕掛ける可能性を報じるなか、キーウにつながる幹線道路があるウクライナ北部の国境地帯は、防衛上非常に重要な地域となっています。

おととし軍事侵攻が始まった際もロシア軍はこのルートを使ってキーウに迫り、国境地帯では再びロシアの進軍を許してはならないと、ウクライナ軍は高いレベルで警戒を続けています。

NHKは1月16日、ウクライナ軍の特別な許可を得て軍が管理するベラルーシとの国境付近を取材しました。

軍事侵攻の前はベラルーシ側と行き来する人が多く見られた検問所は、いまは閉じられていました。

また、侵攻が始まった直後、ロシアの進軍を阻むためウクライナ軍が破壊した、ベラルーシとウクライナを隔てる川にかけられた橋も崩れ落ちたままになっていて、ウクライナ軍の厳重な管理下に置かれていました。

また、侵攻が始まってからは、ロシア軍の戦車の侵入を防ぐために深さ2メートル、幅4メートルほどの溝が作られました。

さらにウクライナ軍は、設置する地雷を大幅に増やしたほか、ざんごうを新たに作りました。

ざんごうは、深いところで2メートルを超え、確認できただけでも300メートルほどにわたって続いていて、なかにはストーブを設置した寝室なども整備されていました。

冬は最高気温が0度を下回る日もあり、厳しい寒さが続く中、兵士の体力と士気を維持するため、ざんごうの近くに設置された小屋には温かいボルシチなどの料理を作ることができる簡易キッチンもありました。

また、小屋にはボランティアの人から届けられたという日本製のカイロも置いてありました。

国境警備隊の幹部は「ロシアが攻めてくるという情報が入れば、大勢の兵士を投入し、臨戦態勢に入る準備はできている。監視と防衛の態勢を強化し、状況が変化した時に備え、常に人員の訓練を続けなければならない」と話していました。

侵攻で一変した国境の村

ベラルーシとの国境から1キロほどのところにあるウクライナ北部の村ドニプロウシクは、軍事侵攻が始まった直後、ロシアの進軍ルートになっていました。

この村の村長によりますと、おととし3月、およそ1か月間にわたってロシア軍に包囲されたということです。

当時、住民が殺害されるなどの被害はなかったということですが、周囲と孤立する中で食料が底をつきかけ、備蓄していた食料を住民が分け合うことで飢えをしのいだということです。

人口およそ670ほどの小さな村ですが、かつてはベラルーシから訪れる人も多く、にぎわいを見せることもあったといいます。

しかし、侵攻後はベラルーシとの行き来も途絶え、村の食料品店を訪れる人の中には兵士の姿が目立つようになりました。

食料品店の女性は「軍事侵攻当初は過酷なこともありましたが、ウクライナ軍が守ってくれるので安全だと信じています」と話していました。

バレンティーナ・デルカッチ村長は、「村の人たちは表情には出しませんが、侵攻以降、心の底には傷が残っています。かつてはウクライナ、ベラルーシ、ロシアの仲は良かったのですが、今後どうなるのか想像もつきません。何世代も後になれば状況が変わるかもしれませんが、今は何もわかりません」と話し、軍事侵攻が小さな村のありようを一変させてしまったと肩を落としていました。