お母さんは、もっと自由でいい

お母さんは、もっと自由でいい
「私の人生、このままここで終わるのかな」

女性は、部屋のすみでひとり、何度もそんなことを考えました。

息子のことを、愛している。息子は、変わらず今のままでいいと思っている。

それでも「母親」として生きる毎日の生活が、苦しくて、苦しくて、しょうがないと感じていたのです。

自分の人生を生きていたのに

都内に住む山本美里さん(43)は、中学生から大学生まで、4人の子どもを育てる母親です。

以前は子どもを保育園に通わせながら、輸入雑貨を扱う企業で働いていました。

フルタイムの仕事にやりがいを感じ、働くことが“自分の人生を生きている”というモチベーションにもなっていたと言います。
しかし、重い障害がある次男の瑞樹さんが生まれてから生活は一変しました。

夫も一時、仕事を休みましたが、出張で家にいられないことも多く、山本さんが仕事を辞めざるをえませんでした。

ほぼひとりで、瑞樹さんの通院や看護、ほかの子どもたちの育児に追われる日々が続いたのです。
今も、瑞樹さんにはたんの吸引や人工呼吸器などの“医療的ケア”が必要で、24時間、そばで見守る必要があります。

たんの吸引は、15分に1回ほど。
体調を崩したときには、吸引の回数も増えるため、睡眠もままなりません。
山本美里さん
「自分に負荷がいろいろとかかってきたときに、なんで私だけが仕事を辞めて、私だけが息子のことをやらないといけないのかって疑問がわいてきたんです」

「お母さんは、気配を消してください」

なぜ、母親の私だけが?
さらに、山本さんの気持ちに拍車をかけたのが、特別支援学校での「付き添い」でした。

瑞樹さんは特別支援学校に入学しましたが、条件として、保護者が学校に付き添うことを求められたのです。

瑞樹さんに必要な一部の医療的ケアを、学校の看護師は担えないというのが理由でした。
朝の9時から午後3時までのおよそ6時間、校内の教室や待機室のすみで、ただ時間が過ぎるのを待つ日々。

ほとんどの時間、何も、することはありません。

そんな時に学校で言われたのが「必要なとき以外、お母さんは気配を消していてください」という言葉でした。

“子どもたちの自立のため”というのが理由でした。
山本美里さん
「子どものことは学校に通わせたいし、必要なのであればやっぱりそこは協力したい、するべきだと思っていました。でも、付き添いをすごく嫌だと感じる自分もいて、とても葛藤を感じていました。私はこの待機室に座るために、小学校、中学校、高校って出たのかなというむなしさもありました。自分の価値ってなんだろうって」
悩みを周りに打ち明けることができないまま追い詰められ、山本さんは、適応障害と診断されました。

“透明人間”になった私を写真にうつして

「瑞樹のことを、愛している」
「瑞樹は、変わらず今のままでいいと思っている」

それでも「透明人間」のように生きなくてはならない毎日の生活が、嫌で、苦しくてしょうがないと感じる日々は続きました。
そんなとき、山本さんの心の支えになったのが「写真」でした。

飼っている猫や、瑞樹さんとの日常の風景をSNSに投稿してコメントをもらえると、今のままの自分を受け入れられたようで楽になれたといいます。

それまでは趣味でしたが、写真について本格的に学びたいと、通信制の大学に入学。

学校で待機する時間を使って、山本さんは写真を撮り始めます。

構図を考え、セルフタイマー機能を使って撮る写真の被写体は、「透明人間」になった自分自身の姿。
山本さんが書いた文章が添えられた作品もあります。
校内待機することを「黒子に徹する」とかカッコよく言う人もいるけれど、私はここでの自分を「透明人間」と呼ぶことにしました。
髪の毛を金髪にしたのはいつまでも若くいたいからとか、オシャレでいたいからとか、そんな素敵な理由ではありません。

この生活が始まって劇的に増えた白髪を隠すためです。
入学したての頃に誰かさんに言われた言葉。

学校は教育現場であり、子どもたちの自立の場です。
必要なとき以外、お母さんは気配を消していてください。

“見えないもの”とされているすべての母親たちへー

撮りためた作品はSNSで広がり、出版社の目にとまったことで、去年12月、写真集として販売が始まりました。

タイトルには「透明人間」
帯には「“見えないもの”とされているすべての母親たちへー」とつづられています。

写真集には、多くの母親たちから、共感の声が寄せられています。

長野県塩尻市の吉村さやかさんも、声を寄せた1人です。
障害のある子どもを育てる中で感じてきた葛藤を、山本さんの作品が代弁してくれていると感じたと言います。
吉村さやかさん
「写真集の言葉が、全部もう、そのとおり、そのとおりってうなずくことしかなくて。これまでは『しょうがない』って落とし込もうとしていましたが、山本さんの作品を見て、自分が疑問に思ったことは、“しんどい”とか“つらい”とかも含めて飲み込まないで言ってみることも大事なんだなって気づけたんです。私たちみたいな人だけじゃなくても、日本のお母さんたちみんなが、必ずどこかで1回や2回は感じたことがあることだろうなと思いました」
山本さんの作品をもっと多くの人に知ってほしいと、吉村さんは仲間とともに、写真展を企画しました。
会場を訪れた人たちからも、共感の声が聞かれました。
40代女性
「自分も『お母さんはいつも子どものことを対応できる要員としてスタンバイしている』と思われていることに、モヤモヤしていました。でも、いつもは『仕方がない』って言葉で片づけてしまっていたんです。でも山本さんがこうして作品にしてくれたことで、自分自身も置かれた状況を見直すいいきっかけになりました」
30代女性
「闘っている人はいっぱいいるなっていうことがわかって、1人じゃないんだなと、安心感につながりました」

共感だけで、終わらせちゃいけない

作家の山崎ナオコーラさんも、SNSで山本さんの作品を知り、写真展を訪れた1人です。
山崎ナオコーラさん
「初めて作品を見た時、見逃せない才能だ、と感じました。同時に、この作品に共感するのは母親だけではないとも思いました。自分の存在は自分のものなはずなのに、いつの間にか、ほかの人のための人生になっていたり、なぜか、自分にだけ負担が押し寄せてきているということは、いろんな人の人生で起こっていると思います」
さらに、山崎さんは続けます。
山崎ナオコーラさん
「“共感”で終わらせてはいけない作品だと思います。これは、母親の問題ではなく、社会の問題です。お母さんは、変わらなくていい。変わらないといけないのは、社会や制度を作る側、何もしていない自分たちです」

「こういう風に生きたい」はわがままじゃない

写真を通して多くの人たちとつながることで、失いかけていた「自分」を取り戻し始めた山本さん。
山本美里さん
「いろんな人に作品を知ってもらって『山本さん』って声をかけてもらって。やっと『透明人間』だった自分から、少しずつ脱出できているのかなって」
母親たちが、子どもの障害の有無にかかわらず、もっと「自由に」なってくれたら。そう願っています。
山本美里さん
「当時の自分は、母親だから子どもを見るのは当然、じゃないけど、自分を縛ってる、縛りつけもあったんじゃないかなって思います。でも、したいことがあるとか、こういう風に生きたいと思うことは全然わがままなことではないし、そこに罪悪感とかは抱かず、ちょっとずつでもいいから進んでほしいなって。以前と比べて、自分が思っていることを言えるようになって、お母さんたちが自由になり始めているんじゃないかなっていう気はすごくしてて。写真集が『気持ちを表に出していい』という見本のような感じになってくれたらいいなと思います」
子どもたちがどんなふうに生まれてきても、私たち「母親」が自分たちの人生を自分たちで選択できる時代がきっとやってきます。
※1月27日「おはよう日本」で放送
ネットワーク報道部
記者 石川由季

2012年入局 首都圏局などを経て現職
福祉の取材を続けてきました