能登に駆けつけたのは600キロ以上離れた宮城の酒蔵だった

能登半島地震で大きな被害を受けた老舗の酒蔵。

酒造り再開のめどがたたない中、駆けつけたのは600キロ以上離れた宮城の酒蔵でした。

いち早く支援に乗り出した背景には、13年前の東日本大震災の経験がありました。

宮城から水3000リットルを能登へ

今月1日の能登半島地震では、酒造りのシーズン真っただ中だった石川県内の酒造会社も大きな被害を受けました。

石川県能登町にある明治時代創業の「数馬酒造」もその一つ。

地震で壁が崩れ落ちたり、津波で泥水が流れ込んだりしたほか、発酵中だった酒のもととなるもろみがタンクから漏れるなどしました。

会社では割れた酒瓶の片付けなどを行っていますが、断水が続くため泥を取り除く掃除が思うように進まず、酒造り再開のめどは立っていません。

こうした中、支援を申し出たのが、宮城県の酒造会社「新澤醸造店」です。

被害がなかったもろみを預かり、酒を搾って瓶に詰める作業を、宮城で代わりに行うことにしました。

断水が続く中、今月17日にトラックに水3000リットルを入れたタンクを積んで現地へ。

水を渡して空になったタンクに、およそ1000リットルのもろみを入れて宮城に戻ったということです。

支援の背景には東日本大震災の経験

宮城からのいち早い支援の背景にあったのは、13年前の東日本大震災の経験でした。

地震で当時、宮城県大崎市にあった蔵が深刻な被害を受けました。

東日本大震災での被害

しかし、全国からの支援を受けてその年のうちに現在の川崎町に蔵を移転し、酒造りを再開しました。

新澤醸造店 杉原健太郎専務
「東日本大震災の時にたくさんご支援いただいたので、同じような状況になっている蔵元さんをなんとかしてあげたいという思いがありました」

今度は自分たちの番

宮城と石川の酒蔵はともに、去年、イギリスで行われた世界最大級のワインの品評会IWC=インターナショナル・ワイン・チャレンジの日本酒の部門で受賞。

その表彰式の場で知り合い、交流があったといいます。

今度は自分たちの番だと支援を申し出ました。

23日は、宮城県川崎町でもろみから搾った酒を瓶に詰める作業が行われました。

機械で一升瓶に酒が次々と詰められ、石川の酒造会社の銘柄が入ったキャップが閉められていました。

輸送や作業などの費用はすべて宮城の酒造会社が負担しました。

新澤醸造店 杉原健太郎 専務
「ものすごく手間暇かけて心血を注いで作ったものがお酒にできないのは、酒蔵としてはつらいことなので、蔵として少しでもお力になれればと」

数馬酒造 数馬嘉一郎社長
「醸造途中で被害に遭い、なかば諦めていたが、お酒になるのは非常にありがたいです。多くの方にまたお酒が届けられるようにという思いを胸に、少しずつ進んでいきたい」

瓶詰めしたのは1升瓶およそ400本。

冷蔵して保管し、復旧のめどが立って販売が再開できるようになった時点で、能登町に送り届ける予定です。