阪神・淡路大震災から29年 東日本大震災の被災地などで追悼

阪神・淡路大震災から、1月17日で29年です。東日本大震災の被災地、岩手県陸前高田市や福島県郡山市などでは、阪神・淡路大震災で亡くなった人と、元日に起きた能登半島地震で亡くなった人を悼みました。

岩手 陸前高田 「希望の灯り」のもとで

岩手県陸前高田市の箱根山には、神戸市の「1.17希望の灯り」から東日本大震災が起きた年に復興を願って分けられた火が、「3.11希望の灯り」として絶えることなくともされています。

17日、「希望の灯り」のもとには施設を管理する「箱根振興会」のスタッフなどが集まり、花を手向けました。

そして、地震が起きた午前5時46分、黙とうをささげました。

竹の灯籠が並べられた灯りの下には「令和六年 能登半島地震」と書かれた灯籠もあり、集まった人たちが能登半島地震の被災地の一日も早い復興を祈っていました。

東日本大震災で妻と次男が犠牲になった「箱根振興会」の佐々木善仁会長は「能登半島地震でつらい思いをしている人たちのことを思うと心が痛みます。過去の被害を風化させないよう、自分なりの形で伝えていかなければならないと改めて思います」と話していました。

福島 郡山 当時支援活動を行った団体が追悼

福島県郡山市では、阪神・淡路大震災の被災地で当時支援活動を行った市民ボランティアの団体が、地震の翌年から毎年、犠牲者を追悼する行事を行っています。

17日は市民10人ほどが集まり、降り積もった雪の上にろうそくおよそ600本を、ハートの形と17日の日付の「1・17」の文字に並べて、火をともしました。

そして、地震の発生時刻の午前5時46分にあわせて、神戸市の方角に向かって1分間の黙とうをささげるとともに、能登半島地震で犠牲になった人を悼みました。

主催した「ハートネットふくしま」代表の吉田公男さんは「阪神・淡路大震災の支援活動や東日本大震災での自分の被災で感じましたが、能登半島地震で被災した人は本当に大変な思いをしていると思います。できる支援をしていきたい」と話していました。

広島 「希望の灯り」が分灯

広島市では、災害の記憶を風化させることなく次の世代につなげようと、地元のボランティア団体が追悼のつどいを開きました。

広島市中区の原爆ドームの対岸にある元安川親水テラスでは、17日の朝早くからおよそ300個の紙灯籠が「1.17」という文字の形に並べられました。

紙灯籠には「笑顔」や「希望」などの文字が書かれていて、神戸市でともされている「希望の灯り」が分灯されました。

そして地震が発生した午前5時46分になると、参加した人たちは黙とうをささげ、犠牲者を悼みました。

つどいに参加した被爆者の内藤達郎さんは「震災の記憶を風化させないようにしたいです。能登半島地震で多くの人が避難していて、一日も早い復興を願っています」と話していました。

東京 阪神・淡路大震災起きた12時間後に合わせ黙とう

東京 千代田区の日比谷公園では、阪神・淡路大震災のあと神戸を離れて暮らす人や震災を経験していない人などと追悼の思いを共有しようと、5年前から追悼の集いが開かれています。

会場には、能登半島地震の被災者に寄り添う思いを込めて、200本のキャンドルが「1.17 ともに」という文字の形に並べられ、神戸市で復興を願う「希望の灯り」から分けられた火がともされました。

そして、地震が発生した12時間後の午後5時46分には、訪れた人たちが阪神・淡路大震災の犠牲者のほか、能登半島地震で亡くなった人たちにも黙とうをささげました。

当時神戸市に住んでいた40代の女性は「私は阪神・淡路大震災で家がつぶれる経験をした。能登半島地震が起きたときには当時の記憶がよみがえった。来年以降も集いに参加して経験を共有したい」と話していました。