気象・災害

阪神・淡路大震災から29年 今の被災地支援に教訓どう生かすか

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から1月17日で29年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では、犠牲者を追悼する行事が17日夜も続いています。神戸市の公園「東遊園地」では、元日に能登半島地震が起きた午後4時10分にも黙とうが行われました。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどして亡くなる「災害関連死」も含めて、6434人が亡くなりました。

神戸市中央区の東遊園地では、犠牲者を追悼する灯籠が「1.17」や「ともに」という文字の形に並べられ、地震が起きた午前5時46分には訪れた人たちが黙とうをささげました。

「ともに」という文字には、世代を超えて阪神・淡路大震災を語り継いでいこうという思いや、元日に起きた能登半島地震の被災者などに寄り添い、助け合おうという思いが込められています。

ことしは能登半島地震が起きた午後4時10分にも黙とうが行われました。

阪神・淡路大震災の発生から29年となり、記憶の風化が懸念される中、過去の教訓を今の被災地の支援にどう生かすかが課題となっています。

神戸 東遊園地を訪れた遺族は

神戸市兵庫区の73歳の女性は「家族4人で6畳一間に寝ていて、高校1年生だった娘を亡くしました。近所の人が助けてくれたときにはもう息がありませんでした。まさか、あんなことになるとは思わず、今でも本当につらいです。娘に会いたいです」と話しました。

神戸市東灘区の82歳の女性は「母親と親戚4人を亡くしました。毎年ここに来て、『苦しかったね、大変やったね』と声をかけています」と話しました。

兵庫県加古川市の60歳の女性は「実家があった神戸市のアパートが全壊・全焼して、住んでいた母親は遺骨も見つかりませんでした。毎年この場に来ていて、『助けられずにごめんなさい、天国でゆっくりしてください』と伝えています。母親が亡くなった年齢に近づいていて、『慰霊と復興のモニュメント』にある銘板に名前が刻まれている母親に会いたいです」と話しました。

神戸市の90歳の女性は「兵庫県西宮市に住んでいた3つ年上の姉を亡くしました。追悼のつどいには毎年参加し、姉に『来たよ』と声をかけています」と話しました。

大阪 柏原市の78歳の女性は「亡くなった息子にもう一度『お母さん』と言ってもらいたくて、今も毎朝、『兄ちゃんおはよう』と声をかけて、私の一日が始まります」と話しました。

最新の主要ニュース7本

一覧

データを読み込み中...
データの読み込みに失敗しました。

特集

一覧

データを読み込み中...
データの読み込みに失敗しました。

スペシャルコンテンツ

一覧

データを読み込み中...
データの読み込みに失敗しました。

ソーシャルランキング

一覧

この2時間のツイートが多い記事です

データを読み込み中...
データの読み込みに失敗しました。

アクセスランキング

一覧

この24時間に多く読まれている記事です

データを読み込み中...
データの読み込みに失敗しました。