砂川事件めぐる賠償訴訟きょう判決 “日米密談”の評価も注目

1957年に東京のアメリカ軍の基地に学生らが立ち入り、その後有罪となった、いわゆる「砂川事件」をめぐり、当時の学生らが国を訴えている裁判の判決が、15日、東京地方裁判所で言い渡されます。当時の最高裁判所の長官がアメリカ側と非公式に会談し、判決に関する情報を事前に伝えていたことを示す公文書が後に見つかったことから、原告側は「不公平な裁判だった」と主張していて、こうした経緯をどのように評価するか注目されます。

にらみ合う基地拡張反対の支援団体と警官隊

「砂川事件」は1957年に東京のアメリカ軍の基地にデモ隊が入り、学生など7人が起訴された事件です。

1審は「アメリカ軍の駐留は憲法9条に違反する」として無罪を言い渡しましたが、最高裁判所が取り消し、その後全員の有罪が確定しました。

最高裁(1959年)

しかし2000年代になって、当時の最高裁判所の長官がアメリカの駐日大使や公使と非公式に会談し、判決の時期の見通しを事前に伝えた上で、「実質的に全員一致の判決となり、世論を“乱す”少数意見を回避するようなやり方で裁判官の議論が進むことを希望している」などと発言していたことを示す公文書が相次いで見つかりました。

当時の学生ら3人は2019年に「憲法が保障する公平な裁判を受ける権利を侵害された」として、国に損害賠償などを求める裁判を起こしました。

一方、国は「賠償を求められる期間が過ぎている。公文書には大使らの主観も含まれており、内容の正確性は慎重に検討されるべきだ。これを根拠に最高裁長官の言動があったと認めることはできない」などと反論しています。

判決は東京地方裁判所で15日午後2時に言い渡され、文書の内容や当時の最高裁判所の手続きについてどのように評価するか、注目されます。

駐日アメリカ大使らと最高裁長官との“密談”示す公文書とは

原告によりますと、砂川事件の判決に関する公文書が初めて見つかったのは、最高裁判決からおよそ50年がたった2008年です。

外交史研究家の新原昭治さんがアメリカの国立公文書館で機密指定が解除された公文書を閲覧したところ、当時のマッカーサー駐日大使がアメリカ政府に送った電報などに最高裁の田中耕太郎長官との密談の報告があることを発見しました。

その後、ジャーナリストの末浪靖司さんや元大学教授の布川玲子さんも密談があったことを示す同様の公文書を相次いで発見しました。

公文書の中で田中長官は、駐日アメリカ大使館のレンハート首席公使に対し、砂川事件について「判決はおそらく12月だろう」と非公式に伝えたほか、「実質的に全員一致の判決となり、世論を“乱す”少数意見を回避するようなやり方で裁判官の議論が進むことを希望している」などと話していたとされています。

さらに末尾には駐日大使館の見解として「最高裁が1審の違憲判決を覆せば、安保条約への日本の世論の支持は決定的になるだろう」というコメントも書かれていました。

こうした文書の発見を受けて、有罪となった元学生などは2014年に「不公平な裁判が行われた」として刑事裁判のやり直しを請求しましたが、最高裁判所は認めない決定を出しました。

「砂川事件」の裁判 1審は無罪判決も最高裁で取り消し

「砂川事件」は1957年に東京のアメリカ軍 旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に入り、学生など7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反で起訴されたものです。

刑事裁判では、アメリカ軍の日本駐留が憲法に違反するかどうかが争われました。

2年後の1959年、東京地方裁判所は「アメリカ軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」という初めての判断を示した上で、7人全員に無罪を言い渡しました。この判決は裁判長の名前から「伊達判決」と呼ばれています。

検察は高等裁判所を経ずに最高裁判所に判断を求める異例の跳躍上告を行いました。最高裁では15人の裁判官全員による大法廷で審理が行われ、田中耕太郎長官が裁判長を務めました。

1審判決から9か月後、最高裁大法廷は「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の範囲外」として、15人の裁判官全員の判断として「伊達判決」を取り消し、東京地裁で審理をやり直すように命じました。その後の審理で7人全員が罰金刑の有罪となり、その後、確定しました。

この最高裁判決で示された、政治性が高い国家行為について憲法判断を避ける考え方は「統治行為論」と呼ばれ、その後、憲法9条や基地問題などに関わるさまざまな裁判で裁判所が憲法判断をしない要因になったと指摘する専門家もいます。

「砂川事件」2015年の国会の議論でも注目に

「砂川事件」は、2015年の国会の議論でも注目されました。従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の限定的な行使を容認する安全保障関連法が成立した国会です。

当時の安倍内閣は、「砂川事件」の最高裁判決にあった「戦力の保持を禁じた憲法9条のもとでも、主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されない」という判断について、集団的自衛権が憲法に違反しない根拠になりえるとしました。

これに対し、憲法学者や元内閣法制局長官からは「当時の判決で焦点となったのは集団的自衛権ではない」という批判が出ました。

原告の1人「裁判官の判断が正しくなかったということを認めて」

原告の1人で学生時代に砂川事件で有罪判決を受けた土屋源太郎さん(89)は、公平な裁判だったのかどうかを改めて問う重要な機会だとして、裁判に臨んでいます。

土屋さんは67年前の砂川事件で逮捕、起訴されましたが、1審で無罪判決が言い渡されました。

当時について「『全員無罪』と言われたときには頭の中が真っ白になり、全身が喜びと緊張であふれるような感覚だった」と振り返りました。

最高裁で1審判決が取り消され有罪となりましたが、2000年代になってから最高裁の田中耕太郎長官とアメリカ側の密談を示す公文書が相次いで見つかりました。

土屋さんは「日本の裁判にアメリカが介入したように見えた。許せないと思った」と話しました。

土屋さんはその後、真相を明らかにしたいと最高裁などに情報開示請求をしましたが、国内では密談の存在を示す公文書は見つかりませんでした。

またアメリカの公文書をもとに刑事裁判のやり直しを求める再審請求も行いましたが、最高裁は、文書の内容に触れることなく、請求を退けました。

土屋さんは今回の裁判について、「最高裁が公平な裁判所だったかどうかが問われている。長官をはじめとした裁判官の判断が正しくなかったということを認めてほしい。そして私たちの名誉を回復してほしい」と話していました。