石川 孤立状態 3100人余り「できるだけ早くなんとかして」

地震発生から9日たちましたが、石川県では依然3100人余りが孤立状態になっています。

孤立地区に物資を運び続ける男性は「現地では、皆、疲れが見えてきて心配だ。できるだけ早くなんとかしてほしい」と訴えています。

また、孤立が解消した地区でも、停電や断水が続くなど厳しい状況が続いています。
当事者の声をまとめました。

石川県によりますと、10日午後2時現在で輪島市、珠洲市、能登町の少なくとも22地区の3124人が道路が通れなくなるなどして、依然として孤立状態になっているということです。

孤立状態になっているのは、
▽輪島市の▼大屋地区の149人、▼河原田地区の25人、▼鵠巣地区の698人、▼町野地区の104人、▼南志見地区の219人、▼西保地区の814人、▼仁岸地区の7人、▼小山地区の26人、▼諸岡地区の61人、▼上河内地区の7人、▼小石地区の8人、▼本郷地区の3人、▼浦上地区の303人、▼七浦地区の351人などとなっています。

▽珠洲市では▼真浦町の4人、▼清水町の8人、▼仁江町の3人、▼片岩町の37人、▼長橋町の50人、▼大谷町の234人です。

▽能登町では▼水滝地区の5人、▼柳田信部地区の8人です。

このほか、孤立状態は解消されたものの、道路の状態などが不安定だとして、引き続き、支援が必要な「要支援集落」が多くあるということです。

輪島市七浦地区 物資運び続ける男性は…

人口およそ350人の輪島市七浦地区は地震で倒壊した家はなく、住民は無事だということですが、孤立状態が続いています。

七浦地区出身で金沢市在住の升本庄吾さん(33歳)は地震発生直後の今月1日夜、現地に入って、地区に住む両親と兄の家族の無事を確認しました。

その後、自衛隊が地区に物資を運び始めましたが、住民が自分たちの車で行き来するのは難しく、今も水やガソリン、灯油が不足しています。

このため、升本さんはこれまでに4回、金沢市と往復して物資を運んでいますが、途中の道路には亀裂があり、陥没して段差もできているほか、一部が崩落して危険なトンネルを通らないといけないということです。

また、停電と断水が続き、固定電話も通じないほか、携帯の電波も不安定で連絡も難しく、いまだに地区の外に住む家族に無事を知らせることができていない人も多いということです。

升本さんは「できるだけ早くなんとかしてほしい。現地では、皆、疲れが見えてきて心配だ。物資も運びにくいが、孤立していない地域と比べて物資が偏らないようにしてほしい」と話していました。

輪島市七浦地区 1つの部屋で身を寄せ合って生活

同じ七浦地区に住む東栄一さん(73歳)は能登半島地震の際、市内の別の地区に仕事で出かけていて被災しました。その日のうちに徒歩で自宅にたどりつき、妻とともに生活を送っています。

地区に向かう道路は自衛隊の車両による支援物資は届くようになりましたが、いまだに一般の車両は通行が難しく、孤立状態が続いています。

10日になって携帯電話の電波が安定してつながるようになり、地区の実情を知ってもらいたいと動画を撮影しました。

NHKに寄せられた動画には、倒壊した住宅や神社の灯籠、それに停電でうす暗く、雨漏りが続く部屋の中での生活を余儀なくされている様子が映されています。

また、集会所に避難している人たちが1つの部屋に集まり、身を寄せ合って過ごしている姿もあり、東さんの問いかけに、「電気がはやく来てほしい」「灯油でストーブをつけているが夜は寒い」などと話していました。

東さんはオンラインでのインタビューに対し、「10日間、入浴できず、ぬれたタオルで体を拭くような生活です。くみ取り式トイレの交換ができないことから臭いが気になってきていて、みんなのストレスがたまってきています。90代の高齢者もいて、ずっと横になったままの人もいるような状況です。まだ体調を崩している人はいないですが、この状況が続くと考えると、とても不安です」と話していました。

珠洲市仁江町 2人が行方不明

孤立状態になっている珠洲市仁江町で区長を務める男性がNHKの取材に応じ、厳しい生活の状況と今後求められる支援について語りました。

区長を務める中谷久雄さん(68歳)によりますと、海岸沿いにある珠洲市仁江町は地震のあと、地区につながる道路が土砂崩れで通れなくなりました。

今月3日に消防が救助に入り、今月4日には自衛隊も入って、支援物資が届けられるようになりましたが、それまでは完全に孤立した状態が2日間続いたということです。

その間、およそ60人の住民が地区の集会所に集まり、飲み水は湧き水をくんできて、食事はそれぞれの家から食料を持ち寄ったり、地震の影響で隆起した海岸線に打ち上げられたアワビやサザエを拾ったりしてしのいでいたということです。

発電機を持っていた人がいたため燃料を集めて発電し、携帯電話の充電などはできたということで、海岸沿いまで移動して、ぎりぎり電波が通じるところを探して外部と連絡をとっていたといいます。

また、地区では住宅に土砂が流れ込んで11人が巻き込まれ、自衛隊が来るまでは地元の人たちが力をあわせて救助を行いましたが、今も2人が見つかっていないということです。

中谷さん自身は今月1日の地震発生時、仕事で地区を離れていたため、崩れた土砂を乗り越えるなどして、徒歩で4時間かけて自宅に戻ったということで、「海岸も隆起してしまって、地区は立ち直れないくらい壊滅的な状況になっている」と話しています。

地区からは9日までにほとんどの住民が避難したということです。

中谷さんは「集会所にいたときと比べると避難所は快適でほっとしました。ただ、家の片付けにも行けず、自由もきかないので堅苦しさもあります」と複雑な心境を語りました。

その上で、「孤立が続く中で一番困ったのは通信インフラです。とにかく情報を集めることができず不安でした。道路なども含め、とにかくインフラの復旧を早急にお願いしたい。『いつになったら普通の生活ができるのか』と、先の見えない日々が続いている上、地区を離れた人もいてコミュニティーも崩壊してしまいました。物資もまだまだ必要ですが、安らぎを得られる環境も整えてほしいです」と話しています。

珠洲市仁江町「食料とともにとにかく情報を」

能登半島地震のあと、孤立状態になっている石川県珠洲市仁江町で今月2日に撮影された映像です。

集落の目の前に広がる海岸では、隆起したとみられる赤褐色の地面がむき出しになり、波消しブロックも高い位置まで持ち上げられてしまっています。

輪島市方面につながる道路は複数の場所で大規模な土砂崩れが起き、通れなくなっていることがわかります。

山のふもとにある集落は複数の家が傾いたり、倒壊したりしていて、住宅に向かって土砂が崩れ落ちている様子も確認できます。

撮影した友貞満さん(66歳)は仁江町にある実家に帰省していた際に被災しました。

友貞さんによりますと、今月1日の地震発生当日には、集落にある住宅に山から土砂が流れ込み、11人が巻き込まれましたが、道路の寸断で消防や自衛隊が来るのは難しい状況だったため、住民たちで救出にあたったということです。

当時の様子について友貞さんは、「自分たちでやるしかないと、スコップやチェーンソーを持ち寄り、屋根瓦などをはがしながら、閉じ込められている人たちを助け出していました」と話しています。

完全に孤立状態になっていた仁江町ですが、今月4日に自衛隊が入るようになってから住民の避難が進んでいるということです。

友貞さんは「携帯電話も通じにくく、情報が入らなかったため、最初は孤立しているかどうかもわからず、救助や生活の維持に必死でした。日がたつに連れて大変さが増し、『陸の孤島』になっていると感じた」と振り返ります。

その上で、「食料とともに本当に必要なのはとにかく情報だと感じました。通信環境を整備して、孤立地域の人たちにもっと情報が届くようにしてほしい。高齢者が多い地域なので薬などの配慮もお願いしたい」と話していました。

能登町十郎原地区 断水と停電続く

能登町十郎原地区の区長によりますと、地区は一時の孤立状態は解消したものの、断水と停電が続き、テレビや新聞が見られない状態で、情報の不足が課題だということです。

能登町の内陸部にある十郎原地区はおよそ50人が住んでいて、人的な被害はなかったものの、地震で道路ののり面が崩れて一時、孤立状態となり、今月4日に土砂が取り除かれ、通行できるようになったとということです。

地区の区長を務める高尾昭雄さん(64歳)は妻とともに自宅にとどまり、生活を続けています。

地区では自宅に被害が出た人など、地区の半数ほどの人たちが避難所になっている柳田小学校に避難しているほか、20人ほどが地区を離れて金沢市内などの親族の家に避難、さらに高尾さん夫婦を含む7人ほどが自宅に残って生活しているということです。

停電と断水が続く中で、高尾さんの自宅ではくんできた湧き水を煮沸して使っているということです。

また、9日になって、ようやく携帯電話の電波がつながるようになりましたが、携帯電話の充電のためには6キロ離れた親族の家に行かなければならないということです。

高尾さんは「ことしは雪が少ない年越しで、穏やかに過ごしていたのに、元日からこんなことになるとは思ってもみませんでした。自宅は幸い大きな被害はありませんでしたが、周囲の家は倒壊はしていなくても、中がぐちゃぐちゃになって手つかずの人も多い。テレビも新聞もダメで、情報が入ってこない状況です。灯油ストーブで暖を取っていますが、雪が30センチ積もるなど寒さが厳しい状況です。電気と水が早く復旧して欲しいです」と話していました。

輪島市町野町広江 断水と停電続く

輪島市町野町広江の上地地区の深田良明区長によりますと、地区ではJAの建物を自主避難所として利用し、30代から80代の100人ほどが避難しているということです。

地区では多くの住宅が倒壊し、深田さんの2階建ての自宅も1階部分が押しつぶされた状態だということです。地区は一時、孤立した状態でしたが、現在は自衛隊や警察が入り、食料や毛布などの支援物資も届いているということです。

一方、停電や断水は続いたままで、避難所の住民が交代で近くの山に水をくみに行っているほか、持ち寄った発電機や暖房器具で寒さをしのいでいるということです。

深田さんは「地域住民の絆が強いので、食料を持ち寄ったりと協力して生活しています。支援物資も届いたので3食の炊き出しもできていますが、ライフラインが早く復旧してほしいです」と話していました。

珠洲市馬緤町 NGO支援チームが支援物資

国際NGO「ピースウィンズ・ジャパン」の支援チームは今月2日に珠洲市に入り、安否が分からない人の捜索活動や避難所に開設した臨時の診療所で住民の診察などを行っています。

今月6日には、道路状態が悪く孤立状態となっていた珠洲市馬緤町の集落にヘリコプターを使って医師や看護師を派遣し、当時、およそ50人が身を寄せていた避難所に生理用品などの支援物資を届けました。

馬緤町は県の発表では、現在も引き続き支援が必要な「要支援集落」となっています。

NGOによりますと、避難所には高齢者が多く、中には体調を崩している人もいて、急きょ、段ボールで机を作って仮設の診療所を設け、医師が診察をしたり、避難所での生活に関する注意点を伝えたりしたということです。

被災者からは「常備薬が足りなくなってきた」とか、「感染症が心配なのでマスクをできるだけほしい」といった声が多く寄せられたということです。

支援にあたった稲葉基高医師は「自助共助でなんとか生活している状況だが、医療面の不安には専門家しか対応できないので、少しでも安心してもらえたならよかったと思う。今後、孤立や要支援の状態が解消されたとしても、生活の立て直しは長期的な課題になるだろう」と話していました。