サッカー 「皇帝」ベッケンバウアーさん死去 旧西ドイツ名選手

1974年のサッカーワールドカップで当時の西ドイツを優勝に導き「皇帝」と呼ばれた名選手、フランツ・ベッケンバウアーさんが死去しました。78歳でした。

これは、ドイツサッカー連盟が8日、発表しました。

当時の西ドイツ主将としてW杯優勝(1974年)

ベッケンバウアーさんは、1974年、当時の西ドイツ代表のキャプテンとして地元開催のサッカーワールドカップに出場してチームを優勝に導き、試合の流れを支配する冷静かつ華麗なプレーで「皇帝」と呼ばれました。

また、1990年のワールドカップイタリア大会では監督として西ドイツ代表を率いて優勝を果たしました。

監督としてもW杯優勝(1990年)

その後、ベッケンバウアーさんは、2006年のサッカーワールドカップのドイツへの招致活動に先頭に立って取り組みました。

ドイツサッカー連盟によりますと、ベッケンバウアーさんは7日に死去しました。78歳でした。

元ブラジル代表 ペレさんと(2006年)

これを受けてベッケンバウアーさんの死を悼む声が国内外から上がっていて、ドイツのショルツ首相はSNSで「ドイツにとって最も偉大な選手であり、多くの人にとっての『皇帝』だった」と功績を称えました。

また、UEFA=ヨーロッパサッカー連盟も「ヨーロッパで最も偉大な選手の1人が亡くなった。『皇帝』は並外れた選手で、監督としても成功した」とSNSに投稿しました。

フランツ・ベッケンバウアーさんとは

フランツ・ベッケンバウアーさんは、1960年代から1980年代にかけて活躍した当時の西ドイツの名選手です。主にディフェンダーとしてプレーしながら攻撃力も兼ね備え、背筋を伸ばした優雅なプレースタイルと冷静沈着な統率力から「皇帝」と呼ばれました。

1964年に地元のクラブチーム、バイエルンミュンヘンとプロ契約を結び、1966年には20歳で西ドイツ代表としてワールドカップイングランド大会に出場してチームの準優勝に貢献しました。

1970年のメキシコ大会でも中心選手として活躍して3位となり、1974年地元開催となった西ドイツ大会はキャプテンとして卓越したリーダーシップでチームを2回目のワールドカップ優勝に導きました。

また、現役引退後の1984年には西ドイツ代表の監督に就任し、1990年のイタリア大会では接戦を次々とものにして監督としてもワールドカップ優勝を成し遂げました。

その後はバイエルンミュンヘンの会長としてクラブの経営に携わったほか、2006年ワールドカップドイツ大会の大会組織委員会のトップやFIFA=国際サッカー連盟の理事を務めるなど多方面で活動していました。

日本サッカー協会 川淵三郎 相談役「いつも紳士的で優しかった」

フランツ・ベッケンバウアーさんが亡くなったことを受けて、日本サッカー協会の川淵三郎相談役は協会を通じてコメントを出し、2006年のワールドカップでドイツに渡航した際、ゴルフを一緒に楽しんだことが思い出されるとして「ボビー・チャールトン氏に続き偉大なる名選手が亡くなったのは寂しいかぎりだ。『カイザー』のニックネームが示すとおり、いつも紳士的で優しかった。あれほどのスターとお付き合いできたことは、今思えば夢のようだ。ベッケンバウアーさん、安らかにお眠りください」などとしています。

日本サッカー協会 田嶋会長「サッカーの発展に多大なる貢献」

日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「長年、憧れ続けていた往年の名選手がいなくなったことが残念でならない。選手として、監督として、FIFA理事として、世界のサッカーの発展に多大なる貢献をされた。ベッケンバウアーさんが安らかな眠りにつかれますよう心よりお祈りします」などとコメントしています。