鴻上尚史 逆風のコロナ禍を経て見えた“演劇の可能性”とは

作家・演出家の鴻上尚史さん。
80年代から90年代にかけて一世をふうびした、劇団「第三舞台」を主宰し、いまも演劇界のトップランナーとして活躍し続けています。しかし、新型コロナウイルスで、手がけた舞台は2本が中止。鴻上さんは、負債を抱え、自分の劇団も解散しました。それでも、鴻上さんを支えたのは、演劇の力でした。鴻上さんが信じる“演劇のチカラ”とは。
(聞き手:松田利仁亜アナウンサー、取材:都倉悠太アナウンサー)

演劇は人の本質を表す

鴻上さんの演劇の原点は、早稲田大学 演劇研究会(通称「劇研」)。設立は大正2年、100年を超える伝統あるサークルで、これまで数多くの名優を輩出してきました。
鴻上さんが学生演劇の門をたたいたのは、大学2年生の時でした。

早稲田大学演劇研究会の劇場でインタビュー

(松田)
演劇のおもしろさってどういうことだったんですか?
(鴻上さん)
演劇って、その人を一皮むく力があるっていうか。
先輩が賢そうに演劇の理論を語るんだけど、いざ動きだすと、ものすごく動きが不細工で貧弱なわけですよ。「あれ?」っと思った。片方は、あんまりものを考えてなさそうな先輩なんだけど、動きだすと、ものすごくセクシーっていうか、ドキドキして魅力的だったわけですよ。「あー、なんかすげえな」と思って。演劇って舞台に立って動くだけで、その人の人間を1つめくるっていうか。その人の本質をあらわにするっていうシステムがあるんだと思った。理論的にも納得できるし、人間の存在としても納得できるというか、感動するというか。そういう両方できる人間になれたら、すごくいいよねという。それが僕にとって演劇のいちばん最初の衝撃だったんですよね。
(松田)
本質を表すって、どういうことなんでしょうか?
(鴻上さん)
例えば、クラスだとすごく陽気で、「あいつ明るいよね」とか言われている人が一緒に演劇部入って、セリフを言いだしてみたら、実は明るいというよりは、必死に明るさをアピールしている。明るくなろうとしているというか、明るくしなきゃいけないと焦っている感じのほうが、はっきり見えてくるっていうか。
でも、距離が近いと、本当にこの人は明るい人だ、根っから明るいんだろう、陽気な人だなと思っていたんだけど、本当に、ちょっと離れて舞台の上で、役として与えてやり始めると、何でこの人はこんなに焦っているんだろうとか、こんなに自分に無理してるんだろうっていうのが見えてくるみたいな。そう思って、もう1回、日常をよく見てみると、なるほど、確かにそんなに大きな声で喜ばなくてもいいのに、とか。なんかこの笑顔って、ちょっと作ってる感じがするなっていうふうに感じるようになったというか。それがやっぱり、一皮むくことを演劇というのは教えてくれるシステムなんだっていうことですね。

多くの支持を集めた「第三舞台」

大学時代の鴻上さん

鴻上さんは早稲田大学在学中に、劇団「第三舞台」を立ち上げ、のちに大きな支持を集めます。

(松田)
劇団を立ち上げるときに、自分で表現したい世界とか、伝えたいものはあったんですか?
(鴻上さん)
そうですね、東京でいろんな演劇を見に行ったけど、なんかわりとどちらかに分かれている。すごい楽しいお芝居なんだけど、笑っただけで、終わったあとは本当に全部忘れちゃうとか。すごい深刻で、「どうだ、人生はこんなにつらいだろう」とか、「こんなに世の中には問題があるだろう、以上!」みたいな、喜劇と悲劇に分かれている芝居ばかりだと思っていて。人生って悲劇でありながら同時に喜劇っていうか。分かれないからこそ人生なんだってずっと思っていたんですね。軽いだけでもいやだし、重いだけでもいやで、重くて軽いっていうのが、やっぱり人生だし。そういうように対応する作品を作りたいと思っていたんですね。だから、そういうものを本当に作りたい。なんでかというと、そういうものを自分が見たいからという感じなんですよ。
(松田)
そういう芝居をする劇団というのは、その当時ではあまりなかったんですか?
(鴻上さん)
なかったと思う。なかったからこそ、第三舞台というのが爆発的にすごく受け入れてもらえたんだと思いますね。

日常で直面する問題に、いかに向き合うか

日常で直面する問題に、いかに向き合うかをテーマにした鴻上さんの作品は、人々を魅了し続けています。作品作りのきっかけは、暮らしの中での気づきだと言います。

(松田)
その時々の社会問題や気づいたことを、作品に取り込んでいらっしゃるじゃないですか。以前、私が観劇した「ベター・ハーフ」も、LGBTQの問題を作品に取り込んでいらっしゃったじゃないですか。そういう社会との向き合いというものを作品に織り込んでいるのかなと。
※「ベター・ハーフ」(作・演出 鴻上尚史/2015年初演)
 トランスジェンダーの登場人物をめぐる恋愛模様を描く

(鴻上さん)
それは、要は社会問題を入れるんじゃなくて、自分が生きているときにぶつかることを演劇にしたいというだけのことなんですよ。だから、社会問題を何でもかんでも入れているわけじゃなくて。自分が生きている中で引っかかったこと。「ベター・ハーフ」っていう作品は、中村中さんという、トランスジェンダーのシンガーソングライターの人と出会ってしゃべってるときに、この人はどんな悩みを持って、どういう決断をして、どんな人生を生きてきたんだろう。そして僕は、どういう向き合い方をするといいんだろうというのが作品を作る一番のコアになったわけですよね。
わりといろんなものを取り込むから、社会問題とか、流行ったものをリストにしてるんですか?とよく聞かれるんだけど、そういうことは全然なくて。僕はとにかく生きていて興味があることとか、ぶつかったことを取り入れてるというか、それが自分の中で膨らんでいくということですね。
(松田)
お芝居を見ると、見終わったあとに頭の中がぐちゃぐちゃになるというか、自分が今まで常識だと思っていたことと違う考えがあるというか。「え、何だったんだろう?」、「あれはどういうことだ?」って考える時間がある。そういう気づきが、自分の人生にも跳ね返って来るような気がするんですけど。今のお話を聞くと、まんまとはまっているのだなと思いました。
(鴻上さん)
それと同じことを僕も思っているわけですから。お客さんだけに苦行を強いてるわけじゃなくて、僕も自分で作品を見ながら、結局どうしたらいいんだろうな、みたいなことはすごく思っていますからね。劇研にいるときから、結局テーマは、どういうふうに人生を生きていけばいいんだとか、いったい幸せってどういうことなんだろう、みたいなことを探す一環として、演劇というのを僕は選んだ。

演劇の経験を社会に還元

鴻上さんは、これまで演劇で培った経験を社会に還元したいと、若者や俳優志望の人などを相手に、全国各地で演劇のワークショップを開いています。自分の思いを相手に伝えるために大切なことを、演劇を通して知ってほしいと考えています。

(演劇ワークショップでの鴻上さんの指導より)
気持ちって、思うだけじゃ伝わらないので。技術が必要なんだよ。つまり日本人はつい、気持ちさえあれば伝わるとか、気持ちがひとつになればとか、絆とか言いがちなんだけど、気持ちって技術がないと伝わらないのね。俺たちには想像力というものがあって、つまり自分がその体験はしていないけれど、もし体験していたら、どういうふうになるだろうかっていうことを、突き詰めようとするということなのね。

また、第三舞台の活動を経て、新たに立ち上げたのが、「虚構の劇団」。鴻上さんはふるさとの愛媛県新居浜市に、毎年のようにその劇団を率いて公演に訪れていました。
思い出の地・新居浜市の「あかがねミュージアム」に場所を移して、話の続きを伺いました。

(松田)
ここで、よく公演もされているんですよね。
(鴻上さん)
そうですね。「虚構の劇団」というのを解散するまでは、もう4年か5年連続して、1年に1回はずっとやってましたね。

(松田)
鴻上さんと演劇との出会いについてお聞きしたいのですが?
(鴻上さん)
母親に連れて行かれて。その当時、会員制の、演劇を見る演劇鑑賞会っていうのが新居浜にもあって。それは、会員になって、1年か2年に1回、演劇を呼ぶというシステムなんですけど。今、全国にもまだ続いていますけど、それがたまたま、本当にラッキーに新居浜にもあって。何回か母親に連れて行かれたのが、演劇との最初の出会いですね。
(松田)
私も地方出身で、そういう文化的なものに触れる機会が少なかったので、都会の子たちは羨ましいという感じはいまだにあるんですけど、鴻上さんのように、ずっと一線で活躍している方がこういう場に来て身近に感じられるというのは、大事なことですよね、きっとね。
(鴻上さん)
文化的なもの、子どものときに見た演劇の楽しさというのは、すごくあるんじゃないかな。だから、僕は1年に1回ここに来てる。「虚構の劇団」とか、今回のサードステージの芝居を持ってくるのも、誰かね、僕みたいに子どものころに見て、それで、それがやがて広がっていってくれたらいいなと思うんですよ。1年に1本見るだけでも、その1本を脳内で、すごく反すうして反すうして。なんで、あんなことやったんだろうとか、あれはどういう演出の意図だったんだろうということをすごく思ったんですね。それは、だから、見た本数じゃなくて、どれくらいそれに対して、いろんな角度でしゃぶり尽くすというか、思い続けたことが、今の僕になっていると思っているので。僕が高校生になったときくらいに、演劇鑑賞会の組織が、会員数が減って新居浜はなくなってしまったんですよ。それ以降はもう、演劇を見る機会がなくなってしまったので。なんかこう、見て広がっていってくれたらすごくいいなと思っていますね。

コロナの影響は演劇界にも

2020年、鴻上さんは危機に直面します。世の中を混乱させた新型コロナウイルス。鴻上さんが行ってきた演劇やワークショップも中止になりました。

(松田)
コロナ禍、世の中の動きが止まって、演劇も影響を受けましたよね。
(鴻上さん)
公演中止で、2020年に僕、2本、芝居が中止になっていますけど、1本は「虚構の劇団」でした。稽古は途中までやっていましたから、結果トータル2000万円くらいの負債になった。それは僕がいまだに返し続けているということですね。
(松田)
主宰する劇団「虚構の劇団」は2022年に新居浜で解散公演をしていますね?
(鴻上さん)
2020年が中止になったので、2022年に改めてできたわけですね。でも、綱渡りでしたけどね。稽古中は本当に、マスクして、消毒で手拭いて、体温測って。稽古の始まりと終わりにスタッフが全部を消毒して、小道具から机、いすから床から全部やってっていうので、たまたまラッキーに感染者が出なかったから、公演ができたという感じですね。
(松田)
若い人たち中心の劇団で、解散せざるを得なくなってしまったんですよね?
(鴻上さん)
そうです。それは、コロナももちろんありましたし、それまでの間のいろいろな蓄積が、金銭的な負担が大きくて、それでしょうがないので、ここまでかなと思って解散することになったということですね。

そんな鴻上さんに、さらに追い打ちをかけたのが、演劇界へ寄せられた、批判の声でした。

(鴻上さん)
日本の場合は、自粛要請と休業補償はセットでしょって、僕とか演劇人が何人か言い出したら、いつの間にか、お前らはエリートだと自分のことを思っていて、演劇だけに金を払え、補償しろと言ってるだろうと、本当に翻訳されたんですよ。だから、今でもまだ来ます。今でもコロナの話をすると、ネットで僕のSNSに、好きなことやっていて、演劇をエリートだと思っているのはクズだ、みたいなのは今でも来ます。
それで、コロナ禍のときに、なるほど、ひぼう中傷で、ネットで死ぬんだっていうのはこういうことだなというのは、本当に僕も2回ぐらい、自分が高層マンションに住まなかったことが本当によかったなと。たまたま僕は一戸建てだったんで、もし、自分が高層マンションに住んでたら、ベランダからたぶん飛び降りていたなというのは、2回ぐらい自分の中では本当にあって。
(松田)
相当逆風が吹いて、これまで演劇にずっと取り組んでこられて、ずっと走ってこられたと思うんですけれども、やってきたことが一般の人に届かないというか、受け入れられていないような、受け入れられなくなった状況だった?
(鴻上さん)
受け入れられないというよりも、何だろうな…。みんな、それぞれに、自分のことで精いっぱいだから、自分のことで精いっぱいの時というのは、僕も含めてですけど、周りに対する想像力はなくなるよね。それはしょうがないと思いますけどね。だから、伝わらないんです、ぶっちゃけて言うと。なんかね、伝わらないんだっていうことを演劇人はコロナを通じて気がついたんです。つまり、サッカーとか野球とかが中止になった。で、サッカーや野球が大好きだっていう人に中止になったんだよと言ったら、「あぁ、大変だね」っていう同情される量と、演劇が中止になったんだよと言ったときに、「どうしたの?それで?」という量が、あまりにも違うんだということを、演劇人は気づいたんですよ。

演劇と向き合い続ける覚悟

自分が伝えたかったことがうまく伝わらなかった。やりきれない思いを抱えながらも、鴻上さんは演劇と向き合い続ける覚悟を新たにします。

(松田)
やっぱり、演劇の魅力を伝えることがいちばん大事だっていうふうに立ち返ったのは?
(鴻上さん)
本当に、深い井戸に石を投げてるだけで、何の反応もないし。でも、その分、いろんなことばは飛んでくるし。で、われに返って何ができるんだろうって。自分が壊れないために、死なないために何ができるんだろうと思ったら、自分がやっぱりいい作品を作ることしかないんだって。それによって演劇に対する理解も広がっていくんじゃないかっていうふうに思ったということですね。
(松田)
とはいえ、演劇って遠いところのものと思っている人はいるじゃないですか、きっと。そういう人たちを振り向かせたいみたいな思いはないんですか?
(鴻上さん)
だから今回のインタビュー番組にも出てるじゃないですか(笑)
全部演劇のためにやっているわけですよ。こういうマスコミに出るのもそうだし、それから、SNSでつぶやくのもそうだし。それはだから、演劇っていうメディアに1回、足を踏み入れてみませんか?おもしろいですよ?っていう。いい作品を作ってね、クチコミで広がる可能性だって、全然あるわけだし、今はクチコミどころか、SNSでいい評判も広がるわけだし。要はクチコミなわけですよ。自分が見に行って、すごくおもしろかったから、次の時は友達を連れて行くということで広がったという実績が自分の中であるので。だから、本当におもしろいものを作り続けることが大事だという感じがすごくしますよね。

演劇の可能性

(松田)
コロナが明けて、ようやくこうやって対面でコミュニケーションできる機会も増えてきて、その必要性も増している中、より演劇に求められる役割は大きいと感じるのですが。
(鴻上さん)
どうでしょうね。要は、コミュニケーションが得意というのは、誰とでも友達になれるということじゃなくて、物事がもめたときになんとかできる能力がある人のことを「コミュニケーションが得意な人」って言うんですよ。本当に多様性の時代になった。多様性って、うたい文句なんだけど、協調性から多様性になったんだけど、多様性ってしんどいんですよ。一人ひとり違うということは本当にしんどい。だから、それぞれが好きなことを自分の責任で選ぶという時代にようやくなってきて。そういう時代は、すごくいいことだと思っているので。だからワークショップも、そういう多様性の時代に対応できる表現力を身につけましょうっていうためにやっている。

(松田)
鴻上さんは、日々生きていく中で、演劇がどう役立つか、どう生かせるか。どんなことがあると思いますか?
(鴻上さん)
今、世界的に注目されているのは、「非認知的能力」というやつで、数字に換算されない能力なんですね。「シンパシー」ということばがあって、シンパシーって、同情心ということ。
でも、同時に「エンパシー」ということばがあって、エンパシーっていうのは、相手の立場に立つ能力のことなんですよ。演劇というのは、つまり、自分じゃない人間になるんですよ。自分じゃない人間になるという体験は、エンパシーの能力を育てられる、数少ないシステムなんですね。昔は、原っぱにドラえもんのような土管があった時代は、みんな子どもたちは、エンパシーごっこをしたんです。海賊ごっこだとか。「お前、誘拐されたお姫様な」とか、「お前 悪もんな」とか、「お前 いいもんな」とか、子どもたちが自分じゃないものをやったので。そうすると、なるほど、悪者というのは悪者なりにいろんなことを考えているんだなとか、子どもたちが自然にエンパシーを学ぶ場所があったんだけど。今はもう本当にみんな集まっても、ずっとゲームをやったり、どんどん分断されてて。エンパシーを学ぶというのが、本来はごっこ遊びだったのが、演劇がやるしかないみたいな。そういうのもあって、ワークショップをやるというのはすごくあるんですね。
(松田)
今後は、どういうことをしていきたいのか、目標はありますか?
(鴻上さん)
いや、だから、今のことですよ。おもしろい芝居を作り続けることが、やっぱりいちばんメインですね。やっぱり、おもしろい芝居を作っておかないと、いくら演劇の教育的なこと言ってもね、あんま聞いてくれないんですよ、やっぱり。実績を作っていく中で、さっきのシンパシーの話みたいなものも、みんな耳を傾けてくれるという感じ。だから、とにかくやることはもう、おもしろい芝居を作りたいということですね。