来年の株価 “昇り竜”なるか

来年の株価 “昇り竜”なるか
相場の格言「うさぎ跳ねる」のとおり、年間で株価が28%上昇し、盛り上がりを見せたことしの株式市場。日経平均株価は6月、33年ぶりに3万3000円台を回復し、年末にかけてもこの水準での取り引きが続きました。

そして格言で「昇り竜」とされる来年・たつ年の株価。バブル期の1989年12月につけた史上最高値、3万8915円に迫るのではないかとの期待の声も聞かれます。ことしの株価を振り返り、来年を展望します。(経済部記者 坪井宏彰)

年末終値 34年ぶり高値

ことし最後の取り引きとなった12月29日の東京株式市場。日経平均株価の終値は3万3464円17銭と、去年の年末の終値と比べ7369円余り、率にして28%値上がりしました。
上昇率は、「アベノミクス」のもとで日銀が「異次元の金融緩和」を打ち出した2013年以来の大きさで、「うさぎ跳ねる」の格言どおりの展開となりました。

年前半に急上昇

日経平均株価はことし初め、2万5000円台でスタートし、その後は上昇傾向が続きました。

3月末には東京証券取引所が市場の評価が低い企業に対し、株価上昇につながる具体策を示すよう要請。また、4月に就任した日銀の植田総裁は大規模な金融緩和策を維持する姿勢を示しました。
こうした対応はいずれも株価を押し上げる要因となりました。企業の決算発表が本格化した5月には企業の好調な業績を背景に株価がさらに値上がり。5月17日には2021年9月以来、1年8か月ぶりに3万円台を回復しました。

その後も上昇が続き、6月13日にはバブル期の1990年以来、およそ33年ぶりに3万3000円台を回復します。

ただ、8月には大手格付け会社がアメリカ国債の格付けを1段階引き下げたことが市場の波乱要因となり、日経平均株価は3万1000円台に下落。

10月にはイスラエルとハマスの軍事衝突などを受けて投資家の心理が悪化し、日経平均株価は一時、3万500円台まで下落しました。
しかし、その後、株価は反転します。11月には企業の中間決算の発表で堅調な業績が改めて意識され、12月になるとFRBが来年、早期に利下げに転じるとの観測が広がりました。この結果、日経平均株価は年末にかけて再び3万3000円台に上昇しました。

来年は“昇り竜” 相場に期待?

相場の格言には「うさぎ年で相場は跳ねたあと、たつ年とへび年で天井をつける(たつみ天井)」というものもあります。

みずほ証券の小林俊介チーフエコノミストは、来年の株式市場は、コロナ後の経済活動の回復を経たあとの日本経済の本当の力が試されると指摘した上で、3つの点をポイントに挙げています。
ポイント1 為替の動向
「欧米の中央銀行がことし、利下げを開始するのではないかという観測が広がっている。一方で日銀がマイナス金利政策を解除するのではないかとの見方もある。日米の金融政策の方向性が異なれば円高が一定程度進むとも考えられ、中央銀行それぞれの政策をしっかり見ておく必要がある」

ポイント2 製造業の先行き
「ことしは自動車が好調だった一方、欧米の利上げの影響や中国の回復の遅れにより、鉱工業生産が伸び悩んだ。また半導体関連は低調だった。来年も、海外経済のほか、為替など金融市場の動向が製造業全体の先行きをみる上で重要になる」

ポイント3 内需の強さ
「来年の春闘で賃上げの状況がどうなるのかがポイント。賃上げの勢いが続き、物価上昇が落ち着けば、家計の実質可処分所得がプラスに転じ、消費が上向く可能性が見えてくるのではないか」

「一方、来年はアメリカとロシアで大統領選挙があり、台湾の総統選挙も行われる。特にアメリカの大統領選挙と議会上下両院の選挙の結果が注目される。政治体制が変われば、経済政策の方向性や世界経済のトレンドも変わり、日本の株式市場にも影響が及ぶ可能性がある」

“甲辰”で株価は

来年の干支(十干と十二支の組み合わせ)は甲辰(きのえたつ)。甲は草木の種子が成長の時を待つ状態、辰は草木が成長していく様子をあらわすとされています。十干の1番目で、物事の始まりや成長という意味があります。

前回の甲辰は1964年。この年に開催されたのが東京オリンピックです。戦後の復興から高度経済成長へと移行し、国際社会に復帰した日本を世界にアピールする象徴的な出来事となりました。

来年は、日銀が目指す賃金の上昇を伴った2%の物価安定目標が達成できるかどうかを見極める年。日銀は達成の見通しが立てば、金融政策を転換する方針で、デフレからの完全脱却も視野に入ります。

そして来月からは個人投資家を対象にした税制優遇制度「NISA」が拡充されます。新年、甲辰が意味するようなスタートの年、成長の年となるのか、「昇り竜」の勢いをしっかり見ていきたいと思います。
経済部記者
坪井 宏彰
2013年入局
広島局、経済部、社会部を経て現所属