“百貨店ゼロ県”に… まもなく閉店「一畑百貨店」思い出は

“百貨店ゼロ県”に… まもなく閉店「一畑百貨店」思い出は
「信じられず、ひざから崩れ落ちそうになりました」

島根唯一のデパートとして65年にわたり愛されてきた「一畑百貨店」が、まもなく閉店します。

大型ショッピングセンターが増え、ネットでの買い物も当たり前になった今、地元の百貨店はどんな存在だったのか。

視聴者から寄せていただいたメッセージからひもときます。

(松江放送局記者 三井蕉子)

大きな衝撃が

「今思うとディズニーランドに行くぐらいのワクワク感。あの高揚した気分は忘れられません。さみしいです」
2023年6月。

島根県松江市の「一畑百貨店」が閉店を発表。

島根に住む人はもちろん、島根を離れた出身者たちにも大きな衝撃が走りました。

65年の歴史 “松江のシンボル”

オープンしたのは、高度経済成長のさなかの昭和33(1958)年です。
はじめは、松江城にほど近い「殿町」というエリアにありました。

日常の買い物はもちろん、お中元商戦に、年始の初売り。さまざまな場面で地域の人たちに親しまれてきました。

平成10(1998)年、今のJR松江駅前に移転すると、売り上げは100億円を超えてピークを迎えます。
しかし、大型ショッピングセンターの進出やネット通販の普及もあって業績が悪化。

時代が大きく変化する中、2024年1月14日を最後に営業を終了することになりました。

閉店すれば、島根から百貨店がなくなります。

島根の玄関口、松江駅の目の前にある店は、まさに“松江のシンボル”で、多くの県民に親しまれてきただけに、影響は経済面だけにとどまりません。

メッセージ こめられた思いは

NHK松江放送局では、視聴者からメッセージを募集したところ、県内外から多くの投稿や写真が寄せられています。
その多くは、日常の中や人生の大事な節目の日に、家族と百貨店を訪れた際のちょっとした、でも大切な思い出やエピソードです。

「忘れられない笑顔」

58歳の男性は、結婚が決まったころの義理の父との思い出をつづっています。
松江市 ペンネーム「ちぃちぃ」さん(58)
まだ、妻との結婚前の話です。

結婚することが決まって、義理の父が“披露宴の時にでも着なさい”と一畑百貨店でオーダーメードのスーツを作ってくれました。

それまで既製品のスーツしか持っていなかった私にとって、初めてのフルオーダー。採寸から仮縫いと進み、1か月かかって仕上がりました。

それを着て見せた時の義父の笑みは、今でも忘れません。今でも大切な思い出の宝物です。
人生の節目で大切な品物を買うなら百貨店で、という時代の雰囲気が伝わるエピソードです。

「亡くなった祖母が」

また、31歳の女性は、百貨店は祖母にとって「特別な場所」だったことを投稿してくれました。
松江市 ペンネーム「森田のお嬢ちゃん」さん(31)
数年前に亡くなった祖母が大好きだった一畑百貨店。母が適当な服で行こうとしたら「そんな格好で行くの?百貨店よ!」と怒られたそうです。

私が高校生の時、祖母が夏休みに私を誘い、バスとタクシーを使って出かけたことがありました。祖母はオシャレをして百貨店に行き、カフェでランチをして、お洋服を買うのがとても好きでした。

買い物の時、少し声色を変えてマダム風にしゃべっていたことがとても印象的です。祖母は今ごろ、空から百貨店がなくなることを悲しんでいると思います。

屋上の遊園地で

投稿の中には、こんなモノクロ写真もあります。
観覧車を背景に撮影された、母と子の姿です。
松江市 ペンネーム「だいこんしま」さん 62歳男性
松江市殿町にあったころの一畑百貨店屋上。当時の記憶はありませんが、今は、米寿と還暦の親子です。
写真の小さな子どもは本人で、2、3歳のころではないかということです。

「だいこんしま」さんは、松江市の湖、中海に浮かぶ島に暮らしています。

写真の思い出を聞いてみると。
母が一畑百貨店に買い物に行くときは、2週間くらい前から「よし行くぞ」と決めて天気予報を見ていました。

船が出るかどうか確認しなくてはならず、そうして買い物に行っても、たくさん買ってくるわけではありませんでした。
その後、島は道路でつながり交通が便利になりました。

写真に写る当時20代だった母親は米寿を迎え、今も一緒に暮らしているということです。
屋上にあった遊園地については、ほかの方の投稿でも「レストランでお子様ランチを食べたあと乗り物に乗るのが楽しかった」との声も寄せられていて、子どもたちにとっては“夢のような場所”だったようです。

ブーツを買いに その時、父が

家族の思い出の投稿が続く中、自分と父親との関係が変わるきっかけになった思い出を教えてくれた投稿もありました。

48歳女性のメッセージです。
短期大学に進学し、おしゃれなブーツが買いたいと思って、父と母と私の3人で一畑百貨店に行きました。

父から「どんな靴を探しているの?」と聞かれ、「可愛い系よりかっこいい系」と伝えたら、父が「好きそうなのがあるよ」と。

ついていくと、私の好みのブーツで速攻購入。なんだか、父に対する見方が変わった瞬間でもありました。
投稿した塩田恵理子さん(48)に話を聞きに行きました。

見せてくれたのは、30年ほど前、短大時代の塩田さんが写った1枚の写真。

目を引くのが、足元のブーツです。
投稿は、このブーツを買いに行った時のエピソードでした。

塩田さんは中学、高校のころは反抗期まっただ中で、“男親”である父との会話と言えば、部活で朝早いときに「送って」と頼むなど、用事がある時くらいのものでした。

父母と一緒に百貨店に買い物に行ったのは、高校を卒業して新たな気持ちで短大生活をスタートさせたばかりのころでした。
塩田恵理子さん
母と最初探していたんですけど、自分の好みに合わなくて…。それを見かねた父も一緒に探してくれて。
しばらくしたら、父に「ちょっとちょっと」と呼ばれました。

行ってみると、自分の好みに合うブーツがあったのです。

話す機会は少なくても、父は自分のことをわかってくれていた。そう感じたと言います。
塩田さん
あまりしゃべらなかったんですけど、父を見直したっていうエピソードですね。
一方、「娘のために何かできないか」と頑張った、父・広戸俊彦さん(76)も30年も前の当時のことを鮮明に覚えているといいます。
父・俊彦さん
どういうものが好きなのか、だいたいわかっていました。娘は体育会系だったので、かわいらしいものより動きやすいものがいいと思って選んだんです。娘のことになると、男親は何でもしてやろうっていう気になりますから。

それでも、なくならないものも

この買い物をきっかけに、2人の会話は少しずつ増えていきました。

塩田さんは短大を卒業し、松江市の実家を離れて就職・結婚しましたが、実家にはその後もたびたび帰り、両親と過ごしてきました。

お正月には毎年、百貨店で取りそろえたおせち料理を家族そろって食べるのが恒例になっていました。

そのおせちも、年が明けた2024年の正月が最後になります。

長いあいだ、家族の節目を彩ってきた百貨店。閉店が間近に迫った今、何を思うのでしょうか。
(記者)
最近は百貨店に行く機会は?

(父)
あまり行くことないかな。

(塩田さん)
そうだね。減っちゃったかなあ。
友だちと待ち合わせしてお茶したりとか、そういう時に使うこともありますけど、ここ最近はなかなか行く機会もないですね。

(記者)
閉店と聞いてどう感じましたか?

(塩田さん)
本当にびっくりして、なくなるということ自体、頭の中になかったので驚きました。

(父)
駅前の百貨店がなくなっちゃうと、松江の駅で降りても何もないしね。さみしいですね。

(塩田さん)
電車に乗っていて松江が近づくと、窓からビルが見えてきて「ああ帰ってきたな」という感じがしていたんですけど、もうなくなるんだと思うとショックですね。
思い出の場所がなくなるさみしさの中、それでも、なくならないものもあるのかも、と塩田さんは話します。
塩田恵理子さん
形としてはなくなってしまうけど、“百貨店でこんな楽しいことがあったな”とか、私たちの中でいつまでも残る楽しい思い出になるんじゃないかと思います。

“買い物弱者”はいない?

一方で気になるのは、百貨店の閉店で買い物に困る人たちのことです。

ネットがつながれば、いつでもどこでも買い物ができる今の時代、どんな時に困るのでしょうか。

この点について、メッセージを投稿してくれた人たちに詳しく取材したところ、多くの人は「食料品や生活必需品はスーパーや量販店で購入する」と答えていました。

今まで百貨店で購入していたのが別のお店になることなどで利便性は下がるものの、日常生活への影響自体は限定的なようです。
ただ、冒頭で紹介した投稿にもありましたが「冠婚葬祭で使う服や高価な化粧品、他人に贈るお中元やお歳暮などを買う時は百貨店を利用してきた」という声も多く聞かれました。

こうした人たちからは、閉店後の買い物をどうすればいいか、不安の声があがっていました。
松江市 ペンネーム「タイガース命」さん 64歳女性
靴はいつも決まったブランドのものを百貨店で買っています。ネットでも売られていますが、靴は必ず試着してから買いたいです。でも、県内では一畑百貨店でしか売られていません。

松江市 67歳男性
お中元・お歳暮はいつも百貨店で買います。贈る相手も地元の人なので、包み紙で一畑百貨店だと分かってもらえます。閉店後は、店頭で買うか、ネットで買うか、迷っています。
また、テナントの中には、百貨店で半世紀近く働いているというベテラン従業員もいて、なじみの従業員と、お互いに“顔の見える関係”の中で商品を購入したいという思いは、地域の人たちに根強く残っていると言えそうです。

終わりに “百貨店がなくなっても…”

取材を通じて感じたのは、百貨店はただ買い物に行くだけの場所ではなく、“家族の絆”や“従業員との交流”といった、さまざまな人を“つなぐ”場所だったということです。

百貨店がなくなっても、そのつながりは多くの人たちの心の中に残り続けるのではないでしょうか。みなさんは、終わりゆく百貨店をどのように見つめていますか。

NHK松江放送局では、一畑百貨店での思い出やメッセージを引き続き募集しています。

投稿フォームのリンクはこちらです↓
島根県内はもちろん、県外在住の出身者の方などもぜひお寄せください。

参考データ・3県目の“百貨店ゼロ県”に

最後に、百貨店関係のデータをまとめておきます。

日本百貨店協会によりますと、店舗数がピークだった1999年には、加盟する百貨店は全国で311ありましたが、地方を中心に閉店が相次ぎ、2023年11月時点では180と約4割減っています。

また、島根のように県内に百貨店が1店しかない県は全国に18あるということです。

一畑百貨店が閉店すると、県内に1店もない「百貨店ゼロ県」は山形(2020年1月閉店)、徳島(2020年8月閉店)に続いて島根が3県目となります。

さらに岐阜県でも2024年7月末、県内唯一の百貨店の閉店が決まっています。
一方、全国の百貨店の売り上げは、外国人旅行者によるインバウンド消費の拡大で、好調さを取り戻しています。

日本百貨店協会によりますと、全国のデパートの11月の売り上げは5023億円余りで、既存店どうしの比較で2022年の同じ月より7.4%増えました。

ただ、地域別に見ると、11月の売り上げの伸び率は都市部の百貨店では前年から9.7%なのに対し、それ以外の地区では0.6%にとどまるなど、地方の百貨店は都市部に比べて厳しい状況が続いています。
松江放送局 記者
三井蕉子
2020年入局 
地域の課題やデジタルなどを担当
メッセージ投稿ありがとうございました 百貨店への思いの強さに驚きました